- 山と雪
すぐそこにある外国! ホーボージュン「オホーツクの風と謎だらけの巨大島サハリン」前編
2017.07.24 Mon
ホーボージュン 全天候型アウトドアライター
北海道の北にある巨大な島サハリンは、
じつは稚内からわずか40数キロしか離れていない
〝日本にもっとも近い外国〟だ。
昨年の夏、香港・ベトナム・台湾・モンゴルのアジア諸国を放浪した
さすらいの旅人ホーボージュンさんが、
この夏は北方の島サハリンへ旅に出た。
かつては日本領だったこの島には
果たしてどんな自然が広がっているのだろうか?
なんでまたサハリンなんかに!?
「今度はサハリンに行こうと思ってるんだ」
次の旅の計画を話すとまわりの友人たちは一様に驚いた顔をした。
「えっ?サハリンって……どこだっけ?」
「旧樺太だよ。北海道の北にあるでかい島」
「それって、北方領土じゃないの?」
「ちょっと違うけど、グレーゾーンかな」
「そんなとこに行ってもいいの?」
「うん。ロシアのビザを取れば誰でも行ける」
「でも、どうやっていくわけ?」
「船だよ。稚内(わっかない)から定期船が出てるんだ」
「ええっ!マジっ?」
サハリンなんてみんな知らないから、たいてい質問攻めにあう。そして最後はお決まりの質問を受けるのだ。
「で、なんでまたそんなトコロに?」
「だって面白そうじゃん」
バカみたいな答えだが(まるで中高生みたいだ)ほかになんとも言いようがない。けっきょくのところ旅の理由なんて“好奇心”と“衝動”しかないのだ。そういう意味でサハリンは正しいデスティネーションだと僕は思う。少なくともモンサンミッシェルやウユニ塩湖よりずっと気が利いている。SNSに上げる写真を撮るために行くような目的地はクソだ。せっかくだもの、未知の扉を開きたいじゃないか。
そして僕がサハリンに惹かれるのにはもうひとつ理由がある。それは「日本からもっとも近い外国だ」ということだ。
じつは北海道からサハリンまでの距離はわずか43kmしかない。石垣島~台湾間が約110km、対馬~韓国間が約50kmだということを考えると、これは猛烈なご近所なのだ。
なのにサハリンなんて誰も行かない。台湾には年間190万人、韓国には230万人もの日本人観光客が押し寄せるというのに、サハリンとなるとその場所すらよく知らないのだ……!
そのギャップが僕の好奇心に点火した。だったらこの目で見てやろうじゃないか、テントを背負って原野を歩き、いにしえの樺太を感じてやろうじゃないか、と。
そもそもサハリンって、どこの国なの?
ということで、まずはサハリンの基本知識をおさらいしておこう。
サハリン(日本名・樺太)は北海道の北にある巨大な島で、カニのツメのような形をしている。このカニツメの長さは南北950kmにも及び、面積は北海道の9割ぐらいデカい。「島」というよりは「本州の北半分」ぐらいの感覚だ。
古来ここにはアイヌ、ウィルタ、ニヴフなどの北方先住民族が住んでいたが、17世紀後半になると松前藩が進出し、漁場としての開拓が進んだ。さらに19世紀初頭には江戸幕府が最上徳内や間宮林蔵を派遣し、現地を徹底調査。間宮は1809年に間宮海峡を発見し、ここが大陸の一部ではなく巨大な島であることを発見したのである。
この当時から日本とロシアとは領有権を巡ってたびたび揉めていたが、1905年の日露戦争に日本が勝つと北緯50度以北はロシア領、以南は日本領として分割統治をすることになった。
左)1855年の「日露通交条約」では樺太の領有権を設けず、日露両国民雑居の地としていた。中)1875年の「樺太・千島交換条約」によって樺太全島がロシア領となり、以後流刑地として使われた。右)1905年の「ポーツマス条約」により北緯50度以南の南樺太が日本の領地として復帰した(出典=全国樺太連盟より)
以降ロシアはこの地を流刑地にしたが、日本は多くの移民を送り込み、酷寒不毛の地を開拓して近代都市を築いた。樺太にはサケ、ニシン、カニ、タラなどの海産物のほか、石炭資源が潤沢で、また原生林のエゾマツがパルプの原料になることから巨大な製紙工場が建てられた。経済の中心地となった豊原(現ユジノサハリンスク)周辺は大いに栄え、60万人もの人々が暮らし、新聞だけでも10紙以上が発行されていたという。王子製紙豊原工場(出典=Wikipediaより)
そんななか、1941年に太平洋戦争が勃発する。日本とソ連は日ソ中立条約を結んでいたので交戦することはなかったが、広島に原爆が落とされた直後の1945年8月9日、ソ連軍は突如として条約を破棄して南樺太に侵入。日本の街を次々破壊し、全島を占拠してしまった。
その後、第二次世界大戦後の世界の枠組みを決める「サンフランシスコ平和条約」により、敗戦国である日本は南樺太と得撫(ウルップ)島以北18島の領有権を放棄することになったが、ソ連はこの条約には不参加だったため、国際法上これらの地域の帰属は未定のままである。
こういった歴史を踏まえ、日本政府は現在「択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の北方四島は日本固有の領土である」そして「北緯50度以南の南樺太は国際法上の所属は決まっていない」という立場をとっている。しかし実際はロシアが千島と樺太全土を実効支配しているのが現状だ。
1951年の「サンフランシスコ平和条約」に基づく現在の国境線。ソ連(現ロシア)はこの条約に調印していないため、日本政府は南樺太の国際法上の所属は決まっていないと主張(出典=全国樺太連盟より)
……とまあ、教科書的にいうとこういう状況だ。なので僕のようなバックパッカーが自由旅行をするには少々敷居が高い。しかしそれはそれ、これはこれ。政治家や官僚がどう解釈しようと、民間人には別の解釈があり、いまも北海道とサハリンでは人的、経済的交流が盛んに行われている。なんてったって43kmである。そりゃあ行くだろう。
5月に入り北海道の雪が溶け始めると、僕はサハリン冒険旅行の準備を進めたのである。
ロシアのビザとヴァシレンコからの手紙
いろいろ調べてみるとロシアの観光ビザを取るのはけっこう面倒くさいということがわかった。
それもこれもロシアの「バウチャー制度」のせいだ。
外国人旅行者がロシア国内を旅するためには、あらかじめ現地での宿泊や交通機関を予約し、支払いを完了しておかなければならない。それを証明する書類がバウチャーで、ビザ申請にはこのバウチャーと現地受け入れ先機関からの「旅行確認書」が必要となる。しかも受け入れ先は政府に登録された旅行会社でなければならず、申請には登録番号と社印が必要なのだ。
これが自由旅行をさまたげている。向こうに知り合いやツテがあればともかく、一般市民がこれを手に入れようと思ったらロシア専門の旅行会社に依頼し、パックツアーに参加するしかないのだ。
でもさー。
そんなのバックパッキングじゃないよね。
自由気ままに街を歩き、予定外のハプニングを楽しむ。
風の行方を追いかけ、誰もいない原野で野宿をする。
それこそがリアルバックパッキングじゃないか。
それに旅行会社のツアーはどれも目玉が飛び出るほど高価だ。正直僕には手が出ない。それに山に登って野宿するのにバウチャーもないだろう。僕はなんとか自分の力で旅する方法はないかと、せっせとリサーチを続けたのである。
そんな中で見つけたのが「Сергей Василенко」という人物のVK(ロシア版フェイスブック)ページだった。
そこには広大な連なりを持つ山の稜線や、オホーツク海を望むナイフリッジを歩く登山者たちの姿が何枚もアップされていた。登山だけではない。バックカントリースノーボードやマウンテンバイクを楽しむ姿もあり、写真を見る限りかなり本格的かつプロっぽいのだ。
文章はロシア語なので何が書いてあるのかまるでわからなかったが、本文や写真につけられたキャプションをコピペしてせっせとGoogle翻訳にかけてみると、どうやらこのСергей Василенкоさんは山岳ガイドかなにかで、サハリンを中心に各種の冒険的ツアーを主催しているみたいだった。
僕はダメモトでСергей Василенкоさんにメールを送った。
「Hallo。はじめまして。あなたのVKページを見ました。どの写真もファンタスティックですね。僕は日本に住むバックパッカーで、この夏サハリンの山々をトレッキングしたいと思っています。ついては現地ガイドをお願いするか、あなたのツアーに参加させていただくことは可能でしょうか? BestRegard」
英語が通じるかどうかわからないので、なるべく平易な文章にした。そして今回の旅が取材を兼ねることもカメラマンを連れて行くこともまずは伏せておいた。なんといっても極東ロシアである。KGBが見張っているかもしれないじゃん。
そして待つこと7日間。僕の元にこんな返事が来たのである。
「Hallo.Thank you for writing to us. Our company will gladly help you organize the tour.
We can arrange an individual tour with an English speaking guide.
Do you have any experience in walking tours? What is your physical preparation?」
おおおおっ! これはすごい。
なんかすごくうまくいきそうだぞ!
メールはすべて英語だったが、文末には
「C уважением,генеральный директор АДРЕНАЛИН ТУР」とロシア語で書いてある。いったいこれは何だろう??
文節に分けてGoogle翻訳にかけてみる。するとそれはそれぞれ「BestRegard,」「General Manager」「ADRENALINE TOUR」という意味だということがわかったのである。
「アドレナリンツアーだって!やっぱりこの人、サハリンで冒険ツアーやってるんだ!」
この時点で僕は大興奮だった。もうアドレナリン出まくりである。
さらに署名欄の「Сергей Василенко」は英語読みすると「Sergei Vasilenko」だということがわかった。
「セルゲイ・ヴァシレンコ! この人セルゲイさんて言うんだ! それにしてもなんてロシアな響き! ああ、セルゲイ・ヴァシレンコ!」
調子に乗った僕は今度はGoogleの画像検索にかけてみた。セルゲイさんはいったいどんな人なのだろう。アウトドア好きの爽やか青年なんだろうな、と思いながら……。
ところがどっこいぎっちょんちょん。
最初にヒットしたのはロシアの軍服を着たイカツイ軍人だった。つり上がった太い眉毛の下にゴルゴ13みたいな目がぎらついている。胸にたくさんの勲章をぶら下げているが、いったい何人殺したのだろう……。(画像=Google画像検索より)
続いて出てきたのはブラックスーツに赤いシャツを着たヤサ男だ。まるで映画に出てくるロシアンマフィアで、蛇のような目をしていた。もしこいつに捕まったら間違いなくロシアンルーレットをやらされるだろう……。
さらにファイティングポーズを取りこちらを睨むセルゲイ・ヴァシレンコ、ミルコ・クロコップのようなセルゲイ・ヴァシレンコ、焚き火で生肉を焼くセルゲイ・ヴァシレンコ、素手で大鷲を抱えるセルゲイ・ヴァシレンコなどなど、出てくるのはどれもプーチン張りのタフガイばかりである。しかもどの顔も1ミリも笑っていない。まったく冗談の通じない殺し屋タイプばかりなのである。
「セ、セルゲイさん……」
僕はまだ見ぬセルゲイさんにちょっと怯えてしまったのであった。
その後セルゲイさんとはメールで何度もやり取りをし、7月上旬にサハリンに行くことになった。サハリンの夏は短いが、この時期なら山頂の雪も溶け、高山植物も楽しめるという。僕は自分の登山レベルと装備一覧を伝え、サハリン滞在5日間、山中3日間ぐらいで登れる山を教えてもらった。
旅の起点となる島南部のユジノサハリンスクへは北海道の新千歳から直行便が飛んでいたが、僕はもちろん船で行くつもりだ。最果ての港からロシア航路に乗り込み、さらに北へ……。これぞオトコのロマンなのだ。
ちなみにバウチャーとビザ取得は予想通り苦労した。詳しくは別ページにハウツーをまとめておくが、在日ロシア領事部はひどくお役所的で窓口が大混雑するし、問い合わせ電話はいつも繋がらない。おまけに日本語が通じないのだ。そのために多くの旅行者はビザ取得を専門の代行業者に依頼していたし、ガイドブックでもそれを薦めている。でも、もしリアル・バックパッキングをめざすならこの面倒くささをぜひ自分自身で経験して欲しい。それを含めて初めて「自分の旅」になるのだ。
「今日は地獄になります」とオジサンは言った
「なんか、海荒れてますね……」
稚内港の埠頭に立って、ケイジ君がぽつりと呟いた。海は鉛色で、湾内だというのに白ウサギが跳ね回っている。風速は15メートル以上あるだろうか。さっき帽子を飛ばされたばかりだ。
「こんな天候でも船は出るんですか?」
「日本ではこういう海を“シケ”っていうんだけど、サハリンでは“ナギ”というらしいぞ」
「マジすか……」
海旅に不慣れなケイジ君はずいぶん不安そうだ。
サハリンの玄関口となる稚内は本州から来た旅行者にはもはや”外国”だ。交通標識にはロシア語が並記され、目抜き通りの商店街には謎のロシア語看板(まったく読めない)がズラッと続く
今回の旅の相棒である田島継二君はバックカントリーの世界では超有名なフィルマーだ。カナダやアラスカをベースに『HeartFilms』という作品を10年に渡って撮り続けていて、雪山でその名を知らぬ者はない。彼とはこの春にアラスカで知り合い、一緒に氷河でキャンプ生活を送った。その時に彼のバイタリティと純粋さ、撮影への執念、そして大自然と対峙する姿勢に打たれ、今回の冒険旅行に誘ったのである。
夏山登山はケイジ君の専門外だし、英語圏以外での活動も初めてだ。でもきっとケイジ君ならいい写真が撮れると僕は思っていた。
稚内についた僕らはさっそく探検に出た。街中で『国際元気堂』という超マニアックな模型店を発見。シン・ゴジラから青島の終売品のプラモに至るまで凄まじい品揃えだ。また『ノーザン・ノース・フェイス』という日本最北端のアウトドアショップでは、ご主人さんにオススメのスナックを教えて貰う。この夜泊まったホテルは「ホテルサハリン」!しかもまさかの和室!しかもすんげー狭いし!稚内は謎だらけの港町だ
出航時間が迫ってきたのでフェリー乗り場に行ってみると、小さな待合室の中央に木製の簡素なボックスがあり、制服姿の女性が座っていた。どうやらこの待合室がイミグレーションと税関を兼ねているらしい。女性は出入国審査官なのだ。
フェリーターミナルの待合室がイミグレーションを兼ねていた。これはその脇にある船会社のカウンター。イミグレーションは撮影禁止なのだ
パスポートを差し出すと、あっさり出国スタンプを押してくれた。床に引かれた白線を越えると、国境の向こう側にいたオジサンが「こっちこっち!」と手招きしている。この人が稚内とコルサコフを結ぶ「サハリン海洋汽船」の係員さんらしい。
「えー、これでみなさん揃いましたね。本日の乗船は6名です。どうかみなさん、助け合ってご無事の航海を」オジサンに言われ、一同ぺこりと頭を下げる。
待合室にはエコバッグを肩にかけた若い女性と、小型スーツケースを引いた女性、そしてフランス人バックパッカーのカップルが座っていた。驚いたのはエコバッグ女子があまりに身軽なことだ。レギンスにスニーカー。首からミラーレスカメラを下げているが、帽子もコートも持たず、まるで近所のコンビニに行くようなかっこうなのだ。
話を聞いてみると彼女は昨日仕事が終わったあと、羽田から最終便で千歳へ飛び、そこから深夜バスに乗って330kmをひた走り、今朝ここ稚内に着いたばかりだという。
「だから夕べはシャワーも浴びてないんですよ。匂います?あははははは」と笑っている。すごいバイタリティーだ。係員のオジサンも彼女のことが気になるらしく、しきりに声をかけている。
「ところでお嬢さんはどこまで行くの? コルサコフかい?」
コルサコフというのはこのロシア航路が着く港町のことだ。
「いえ、路線バスでユジノサハリンスクまで行って、そのあとはスタロドゥブスコエにでも行こうと思ってるんです。でもまだなにも決めてないんですよねえ。ふふふふ」
「えっ?ホテルはどうするの?バウチャーは?」
「バウチャーはネットで代行業者見つけて、空バウチャーを買ったんです。だから行き先とかホテルとかも全部ダミー。でもこれでもちゃんとビザ取れるんですね。ふふふふふ」
すぐそこに入国審査官がいるというのに、いきなりの超ぶっちゃけトークである。
「いやいや、それはたいへんだ」
係員のオジサンはバタバタと奥に引っ込むと、ロシア語が書かれた紙をもって戻ってきた。
「いいかいお嬢さん、これには“ユジノサハリンスク行きのバスはどこで乗れますか?”って書いてあるから、向こうについたら誰かに見せて教えてもらうんだよ。それから山登りのお兄さんたち、もしよかったらユジノまで一緒にいってあげてよ」
同じ船に乗ったチャレンジャー女子のしずかちゃん。オジサンに書いてもらったノートを掲げてニッコリ。いつもこんなふうに身軽に、かろやかに、世界中のあちこちを旅している
そういいながらなぜか嬉しそうだ。
「いやー、最近の若い子はすごいねー!チャレンジャーだよ!ここは普段はツアー客ばかりだけど、今日は全員が自由旅行者じゃないか。君たちみたいな人がこの国の未来を切り拓いて行くんだよ」
てっきり怒られるか諭されるかすると思ったが逆に大喜びで、僕らを埠頭へと案内してくれた。
しかしそこに碇泊していたのは僕が想像していたようなフェリーではなくちっぽけな観光船だった。伊豆七島や瀬戸内海の島々を結んでいるような高速艇だ。船名は『ペンギン33』という。
「こ、これでサハリンまで行くの?」稚内港の埠頭にスタンバイする『ペンギン33』号。とても国際定期航路の船とは思えないサイズ感。せっかくセイコーマートでお弁当買ってきたのに、揺れるなら食べられそうにないなあ
さすがに一同不安になる。その時だった。さっきまでニコニコしていたオジサンが急に真顔になりこう言ったのである。
「残念ですが、今日はみなさん地獄をみることになります」
「乗船時間は約4時間半ですが、勝負は海峡横断の最初の2時間です」
「船内には人数分のエアベッドを用意しておきましたので、乗船したら一刻も早く眠って下さい」
「どうかみなさん、助け合ってご無事の航海を」
そういって深くおじぎをした。
タラップを渡る時、叩きつけるような風にあおられ、波飛沫が僕の顔を叩いた。
出航の銅鑼も、むせぶ霧笛もなく、ビュービューと吹き荒れる風の音に押されながら『ペンギン33』はグラリと岸壁を離れた。そして稚内港を出ると北北東に進路を取った。
今回の乗船はわずか6人。しかも全員が個人旅行者という珍しい状況になった。右端の黒いジャケットが田島継二くんだ。外洋に出ると海はいよいよ大荒れ。船内に用意されたエアベッドに倒れ込み、全員沈没
離岸したらすぐに寝ろと言われていたが、興奮してなかなかその気になれない。後部甲板から身を乗り出すと、遙か向こうに宗谷岬が霞んでみえた。この岬をすぎるともう陸地はない。この先に広がるのは荒れ狂うオホーツク海のみだ。
さらばニッポン。まってろよサハリン。
まるで間宮林蔵になったような気分だった。
こうして僕のサハリン冒険旅行が始まったのである。
次回はついにサハリンへ!
極東の冒険旅行・中編へ続く。
それでは、サハリン渡航のためのビザ入手方法やフェリー、直行便など旅のお役立ち情報を公開します!
なにはともあれ行かなきゃ始まらない
保存版!! サハリン渡航への道
今回僕が向かったサハリンは現地の旅もハードだったが、それ以上に面倒だったのが渡航のためのビザ取得。「ビザ」(査証)とは旅行者などの入国を認める許可証のことで、ロシアを旅行するためにはパスポートと合わせてビザが必要になる。
観光ビザ申請で用意するもの
1. 旅券(パスポート)の原本
2. 電子ビザ申請書(EVA) 1枚
3. 写真(縦4㎝×横3㎝)1枚
4. 旅行会社のバウチャー(ホテル、列車などの支払済み証明書)(原本・コピー各1枚)
5. ロシアの登録旅行会社からの受け入れ確認書(招聘状・インビテーション) 1枚
申請書はロシア外務省領事局の専用サイトにアクセスし、ロシア語または英語で必要事項を入力の上、プリントアウトして持って行く。
バウチャーの入手方法
ビザ申請に必要な「バウチャー」には次の要素が必要だ
・旅行者のデータ(氏名・生年月日・パスポート番号)
・ロシア入国日と出国日
・ロシア国内の移動ルート、移動手段、宿泊場所、観光プログラム
・旅行会社の署名と印
・支払い済み証明書
・ロシアの受け入れ機関名とレファレンス番号
僕の旅行計画はパッケージツアーではなく個人で組み立てたため、当初は行きの船舶(ネットで予約し、銀行振込み)、帰りの飛行機(電話とメールで予約し、請求書対応の銀行振込み)、ユジノサハリンスクのホテル(booking.comで予約し、現地で現金支払い)などの個々の領収書や予約確認書に加え、セルゲイさんの会社「ADRENALINE TOUR」に受け入れ確認書を作って貰おうとしたのだが、この書類はロシア連邦観光省による登録業者(旅行リファレンス番号を持つ受け入れ機関)が作成し、なおかつ署名と社印が必要なため、個人ガイドのセルゲイさんでは対応できず(というか、ロシア語ができない僕のコミュニケーション能力不足により、そこまで細かくネゴシエーションができなかった)、けっきょく途中で頓挫してしまった。
「やっぱり個人旅行は無理なのか……」と半ば諦めかけたころ、トラベルロシア(TravelRussia.su)というサイトで、必要書類を入手できるらしいということがわかった。いわゆる“空バウチャー”である。
さっそくサイトにアクセスし、必要事項を記入してクレジットカードで599ルーブル(約1,135円)を支払うと数時間後には僕のメールアドレスにバウチャーとインビテーションがPDF書類で届いた。ちゃんとサインも入っている。あまりに簡単なので拍子抜けしてしまった。
「こんなんで大丈夫なのか?」と半信半疑だったが、実際はこれでなんの問題もなく観光ビザが取得できた。結果オーライである。しかし……。
【CAUTION!】 今年4月3日のサンクトペテルブルグ地下鉄爆破テロ事件を受けて、ロシア政府は全土での治安対策、安全対策を強化している。具体的には外国人旅行者のビザチェックや旅行中の口頭尋問が厳格になっていて、この流れは2018年FIFAサッカーワールドカップまで続くと思われる。
原則としてロシアの観光ビザは現地旅行会社が旅行の全責任を負う旅行保証人制度を礎とする。なので今回のような“空バウチャー”による渡航(個人の自由旅行)はどのようなトラブルに繋がるかわからない。
モスクワやウラジオストックなどの人気観光地、トラブル多発地に比べ極東の島であるサハリンは非常にのんびりしているが(実際、現地の警察官や公安関係者はとてもフレンドリーで親切だった)、リスクをしっかり自覚し、くれぐれも自己責任で行動してもらいたい。
ビザの申請
申請は東京麻布のロシア大使館領事部のほか、大阪、新潟、札幌、函館の在日ロシア総領事館で行う。ビザ申請から取得までに要する期間は11営業日。申請費用は無料。ただし早期発給を希望する場合は別途手数料が必要になる(4~10営業日は4,000円。3営業日以内は10,000円。窓口で日本円で支払う)。
郵送は受け付けていないので、本人か代理人が領事館に出向く必要がある(申請と受け取りの2回)。地方在住者や時間がなくて出向けない場合は代理業者に依頼することもできる。
これが代行業者のサイト「ロシアビザセンター」。ここだとバウチャー入手からビザ取得まですべての手続きを日本語で対応してくれる。
サハリンへの足は船? 飛行機?
サハリンへ渡る方法はふたつ。稚内からのフェリーと、北海道・新千歳空港からのフライトだ。前者のフェリーは2017年は6月2日(金)~2017年9月19日(火)が運行期間で、7月8月の繁忙期2ヶ月は毎週火・木・土の週3日間稚内港からコルサコフ港まで便が出ている。料金はヒトだけで片道18,000円。詳しくは北海道サハリン航路で。
対して後者の飛行機は、新千歳空港からユジノサハリンスク空港までを結ぶ「札幌線」がある。2017年は3月26日(日)〜10月28日(土)が夏スケジュールで、往路復路ともに週3便が飛んでいる。価格は片道40,000円前後。僕らも復路は飛行機を利用した。詳しくはオーロラ航空HPで。
なおフライトは満席の日も多かったが、フェリーは席が埋まることはほほないそうで、出発の1週間前でも予約は間に合った。
ロシア語なんてできないT_T ホテル予約は?
読むことも書くこともできない呪文のようなロシア語を使って、サハリンの宿の検索なんて日本人には到底ムリだ。
が、今の時代本当に便利である。Booking.comなど、世界中のホテルや民宿の予約がオンラインで行えるサービスは、サハリンも例外ではない。またサハリンは宿泊費がべらぼうに高いという情報も単なるウワサであり、今回ベースの街として滞在したユジノサハリンスク周辺には1泊3,000円程度の安宿やゲストハウスなども充実していた。余談だが、ユジノサハリンスクには「サハリン サッポロホテル」というホテルがある(笑)。
ロシア語翻訳はサイトまるごと訳してくれるGoogle chromeが便利
さっぱりわからないロシア語。翻訳サイトに文章をコピー&ペーストするといった方法もあるが、もっとも手っ取り早い方法はブラウザ「Google Chrome」の翻訳ツールを使うこと。画像として埋め込まれている部分などは翻訳されないが、サイトまるごと訳されるため、手も足もでない状態からおおむね理解できる状態になる。
旅の相棒
グレゴリー/バルトロ65
■価格39,000円+税
■重量:S2.2kg、M2.3kg、L2.3kg
■容量:S61L、M65L、L69L
■カラー:NAVY、BLACK、RED
歴代のトリコニとバルトロを愛用してきたが、現行モデルは快心のできだ。このバルトロ65、背負い心地のよさはグレゴリーの真骨頂だから今さら語るまでもないが、他では例えばフロントの大型ポケットが使いやすい。この部分には純正のレインカバーが付属していて、天候の急変にすばやく対応することができる。僕はここにレインウェアの上下と速乾タオルをいれている。また、ハイドレーション用のスリーブが超軽量のデイパックになっていて、ピークへのアタックはもちろん、買い出しなどにも使える。長期放浪旅にも便利なのだ。
<文=ホーボージュン、写真=田島継二(Heart Films)>