- カルチャー
ミスターのプレーと言動がなぜ野生的であったのか、その秘密が今明らかに
2013.12.10 Tue
滝沢守生(タキザー) よろず編集制作請負
長嶋茂雄。ミスタープロ野球、ミスタージャイアンツ。いまも輝きを失わない、ほんとうのスーパースター。少なくとも、イチローよりも松井よりも、上原よりも、ましてや田中よりも、スタープレイヤーであるのは、長嶋をおいてほかにはいない。もし、万が一、ニッポンが民主主義国家であるならば、本案件に関しては絶対的な多数(少なくとも私たち60年代生まれの世代)からの支持を得られるに違いない。
その長嶋茂雄氏が自身のバックボーン、とくに外での遊び(アウトドア)に関して、少年たちへ語っている貴重な文献を発掘した。
なんとそこには、長嶋茂雄の伝説のプレーの背景とも言える、意外な真実が隠されていたのである。
以下は長嶋氏の原稿から(たぶん編集者か聞き手が、ある着地点に向かって、しっかりと整理した原稿のようではありますが……。)
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「僕の「つり歴」は、小学校の四年生までしかなく、しかもマブナつりだけです。印旛沼まで家から百メートルも離れていないので、夏休みは魚つりで明け暮れました。
朝七時には、おにぎりを持って、友だちと川船をこぎ出し、沼の中でつれそうな場所を探します。マブナは、マコモの間にかくれていますが、どのあたりにいるかは、きょうは風が強いから、このへんだろう、とかんを働かせながら、見当をつけたものでした。
場所が決まると、友だちとの「つり比べ」の始まりです。そしてつりあきると、水泳大会に早変わりします。背丈の二倍もある沼に、ザブンザブンととびこむのですから、みんな、ひとりでに泳げるようになります。やがて、うす暗くなるころ、まっくろに日焼けした仲間たちと、そろて家路へつくのですが、今思い出しても、たいへん楽しい少年時代でした。
ところで、いちばんつったのは、なんとバケツに二はいです。数はどれくらいかというと、四十五、六匹。しかも型ぞろいで、全部二十センチ以上……。ちょっとした「つり名人」でしたよ。
現在はフナ料理などもあって、ぼくもマブナを食べることがありますが、当時は家に持ち帰って、庭の小さな池で一週間ぐらい飼い、全部また印旛沼へ放してやりました。池で飼うときは冷たい水のほうがマブナは元気に生きていました。
こうして、夏休み以外でも、春から秋まで、小学校から帰ると、毎日のようにマブナつりに行きました。そのころは、終戦直後(昭和二十年〜二十一年)なので、べえごまとか、めんこぐらいしか遊びがなかったので、マブナつりに熱中できたのでしょう。船をこぎ、マブナをつり、そして泳ぐという遊びが、ぼくのその後の野球選手としての足腰の訓練に役立ったと思います。
ぼくの「つり自慢」は、今までいちども話したことも書いたこともないので、「えっ、長島はつりをしたことがあるの?」と言う人がいるかもしれません。また、長島はかなづちだと思っている人もいるでしょうが、子どものころは、カッパみたいに泳ぎまくっていたわけです。それはともかく、少年時代に川づりで体をきたえることは、とてもすばらしいことだということが、みなさんにもわかってもらえれば、たいへんうれしいですね。」
(小学館入門百科シリーズ81『川釣り入門』(小学館刊)より)
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というわけで、メジャーリーグを夢見る少年たちは、今すぐバットを釣り竿に代え、大海に櫓舟を漕ぎ出さずにはいられないだろう。
長嶋さんはここにもひとつ、偉大なる伝説を残していたのである。