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<書評>現代人はどこまで自然と調和できるのか!?『ぼくは原始人になった』

2017.02.07 Tue

藤原祥弘 アウトドアライター、編集者

 

 野外活動をテーマにライターを続けて15年。私はすっかりアウトドアをこじらせている。

 例えば、最近流行りのブッシュクラフト。

 ちょいとYouTubeを開けば、屈強な男児がナイフの背でマグネシウムを削り、炭化させた綿で火花を受けて火をおこしている。その顔は、とっても得意げだ。

 でも、私は思ってしまうのだ。

「綿とかマグネシウムを都市から持ち込んでる時点で、100円ライター持っていくのとあんま変わらなくね?」と。

 例えば、インスタグラムの格好いいキャンプ写真である。

 北欧製のでっかいテントに展開されるのは一分の隙もないグランピングのようなレイアウト。そして、ちょっと信じられないような数の「いいね!」がついていたりもする。

 でも、汚れきった私はつい思ってしまうのだ。

「キャンバス地もいいけど、雨降ったら撤収どうするの? そしてそのオシャレな敷物の下には、泥や水分を避けるためにブルーシートを仕込んでんじゃないの?」と。

 天邪鬼だと自分でも思う。そしてそのひねくれた視線はどこへ行っても自身を責め立てる。

 毛鉤でニジマスを釣っては、外来魚で釣欲を満たすことに引け目を感じ、遠征先で魚を突けば「遠出したからって、1日に食べきらない量を獲っちゃうんだな、お前」ともうひとりの自分がささやく。自然を楽しむために出かける自分の装備が、上から下まで最新の工業製品づくめであることを恥じている。

 日常生活でも野外でも、いつも後ろめたさを感じている。よりフェアな自然への向かい方を知っているのに、低負荷な生活や野外活動を徹底しない自分に自家中毒をおこしている。

 そんなところで手に取ったのがマット・グレアムの『ぼくは原始人になった』という本だった。
 
 原題は『EPIC SURVIVAL』。副題には Extreme Adventure, Stone Age Wisdom, and Lessons in Living from a Modern Hunter-Gathererとある。

 ざっくり意訳すると「すごいサバイバル録/過激な冒険、石器時代の知恵、現代における狩猟採集技術の挑戦録」といった感じだろうか。 

 表紙も(一部の人にとっては)刺激的。乾いた渓谷をバックに立つ髭面のおじさんが身につけているのは、手製と思われる衣類とバックッパック。足にはワラーチ(サンダル)を履き、手には矢と投槍器を持っている。このおじさん、普通じゃない。

 序文から本書のエッセンスを引き出してみよう。

生きるか死ぬかの状況に身をおくと、
生きるために何が必要かわかってくる。
そうすれば、大きな力を得られる。
ありとあらゆる感覚が研ぎ澄まされ、
聴力が高まり、視界がくっきりする。
病みつきになる体験だ。
しばらくこの状態で生活して、
肉体をどこまで向上させられるかわかってきたら、
もっと体験したくなる。

 本書には、この精神に則ってマット・グレアムが積み重ねたサバイバル武者修行の記録がまとめられている。

 少年時代から自然に心惹かれたマットは、国立公園でのアルバイトを手始めに深い自然へと入っていく。歳を重ねるごとにマットの自然への志向はより強く、過激になっていく。

 吹雪のなかで少ない装備でビバークし、ヨセミテの岩場で命綱なしのロッククライミングを楽しみ、自作のワラーチでパシフィック・クレスト・トレイルの一部を記録的な速度で2,740kmも走破する(フリークライミングとワラーチでの長距離のランニングは、本書の前半部の核をなしている)。

 この間の現金収入は野外活動技術のスクールの講師業。仕事のためにひとところに留まる間も、先住民に学んだ自作の掘っ建て小屋で寝泊まりする。

 こんなストイックな生活をしているから、彼女とは長続きしない。序盤からあとがきに至るまで、自身が女性と長期間の人間関係を維持できない悩みが綴られる。

 人間社会と折り合いがつけられないことを悩みながらも、マットは技術を高めていく。身に付ける道具の数は減り、それらの素材はだんだん自然物に近づいていく。狩猟の道具も投槍器のような単純で効果の高い道具を使うようになる。野に向かう精神も洗練されていく。

 マットは動物を狩りはするものの、決して殺しすぎない。自身の命をつなぐのに必要な量だけを獲り、殺すたびに狩った獲物のために涙を流す。何度殺しても、殺しに慣れることを自分に許さない。

 原野での生活技術を深めたマットが、冬至から夏至までの半年間を選んで野に入るのが本書のクライマックス。

 もっとも自然が厳しい時期に荒野に入ったマットは、狩猟採集とサバイバル技術だけで無補給で生き抜けることを自身に証明する。

 このように、現代人のマットが自然と調和するサバイバル技術を身に付ける半生を綴りながら、書中のあちこちには野外活動や狩猟採集の技術や哲学が織り込まれる。

 一般のアウトドア好きやランナーは、ちょっと過激なアウトドア野郎の一代記として楽しめるだろう。しかし狩猟や採集、漁労に取り組む人はマットが深めた思想のひとつひとつに胸をチクリと刺される。

 漁労・狩猟において「自然や獲物にフェアかどうか」はずっとつきまとう問いだ。自分では作り出せない高性能な道具を使った狩りは、どこまで許されるのか? どんな道具とスタイルなら行為の純粋さは損なわれないのか?

数百m先から獲物をしとめられる道具はフェアか?
射程が数十mならフェアか?
原始的な弓矢なら殺しは許されるのか?
都市生活者が狩猟のために山野に入るのは「レジャー」以上のものになりえるか?
いちどきに食べきれない量を獲って保存するのは許されるのか?
そもそも、自分の命の維持のためなら、殺生は許されるのか?−−−−

 狩猟や漁労に取り組む人なら、誰でも一度は自身に問うたことがあるこれらの疑問に、マットもまた本気で取り組んでいく。マットの導きだしたスタイルは、自身の漁・猟に悩みを抱えるプレイヤーに、ヒントを与えてくれるだろう。
 
 ストイックな彼のやり方にいたく感銘を受けた私は、マットについて調べてみた。どうやら、向こうのサバイバル界隈では有名人らしい。YouTubeにも出演した動画がたくさんあるようだ。さっそく視聴してみる。

 すると……なんとマット、いかにもアメリカ人が好きそうなノリのTV番組に出てるし、楽しそうにアウトドア用品のレビューもしてる!(おまけに今では、美人の彼女もいるようだ!)

 レベルこそ大きく違えど、どうやらマットもアウトドアをこじらせちゃった男の一人だった模様。ちょっとがっかりしつつ、ちょっとホッとしたりもするのである。

ぼくは原始人になった
マット・グレアム/ジョシュ・ヤング 著
宇丹貴代実 訳
河出書房新社
¥1,800+税

序 手つかずの自然の中心にて
第1章 黄金の日の出
第2章 ふたつの世界にまたがる
第3章 思うがままに行動する
第4章 ”筋肉頭のマット”
第5章 古代の健脚な使者たち
第6章 極限まで走る準備
第7章 カリフォルニアを走る
第8章 馬なみの壮健さ
第9章 自分の居場所を見つける
第10章 人といかにかかわるか
第11章 わが家への長い歩き旅
第12章 原始時代のいでたちで歩く
第13章 ひとりで過ごす
第14章 死の瀬戸際
第15章 幻覚とヴィジョンクエスト
第16章 冬至から夏至までの旅
第17章 サバイバル道具
第18章 食べ物と絆を結ぶための狩猟
第19章 ”シュライバル”を教える
第20章 裸足で原野を走る

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