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<書評>奥野克巳『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』

2019.01.17 Thu

藤原祥弘 アウトドアライター、編集者

 自分の財産のすべてが、地下の資源やほかの生物の命を変換したものだと気づいてから、働くことに身が入らない。

 きっかけは、素潜り漁師になった友人に感化され、漁師への転身を夢想したことだった。

 素潜り漁での魚価を1kgあたり1000円としたとき、1000万円を得るには10tの漁獲が必要だ。水揚げから諸経費を引けば、手元に残るのはおそらく5〜6割。10tの魚を殺して、ようやく手元に500〜600万円を残せる。

 魚獲りには長く取り組んできたので、10tの命を海中から抜くのがどんなことかは見当がつく。これは、ひとつの磯をすっからかんにする量だ。これは割といい魚だけど、この写真でも10kgちょっと。磯の生態系のなかで重要な位置を占める値のいい魚を、1年で10t抜いたら何が起きるか。魚突きに取り組んで15年あまり。海は、魚を過剰にストックしないことを知った。自然はその地域が涵養できる上限いっぱいまで生き物を養う。上限いっぱい、さまざまな命がある状態が正常で、そこから人に都合の良い命を抜いた状態は十全ではない。「魚に満ち溢れる海が好き」だなんていいながら、そこから命を抜くのだから、狩猟採集系の活動は罪深い。
 命を奪うときの手応えと、命が溢れかえる海の素晴らしさを知っているだけに「ひとりの素潜り漁師がサラリーマンなみの年収を得るには、10tの魚が必要」という概算は、ボディブローのように効いてきた。

 数百万円の収入は、成人としては当たり前のものだが、それを得るのに必要な命の量は当たり前ではない。ひとつの生き物に許される取り分を、大きく超えている。

 もしかしたら、現代人が当たり前だと思っている収入は、自然から苛烈に収奪してはじめて成り立つものではないのか? 

 そんなことを考えるうちに、仕事をするたびに数十kgの魚を殺した気分になり、原稿料が入ればそれを魚肉の重さに換算する癖がついた。

「お金を稼ぐことは、生き物を殺すこととイコールではない。何を恥じている」と、言う人もいるだろう。

 それでは、自分の周囲を見回してほしい。机、椅子、紙、電化製品……。冷蔵庫を開けば、肉も野菜も入っている。そこにあるのはどれも、元は地下資源や生物だったものだ。

 現代人はなんらかのサービスを社会に提供することで対価を得て、それを使って生活を支える食物や道具を手に入れるが、これは間接的に石油を掘ったり、魚を獲るようなものだ。人なみに稼いでお金を使っていれば、経済活動の先の先で、その金額に吊り合うだけの自然を利用している。

「自分はお金は稼いでいるけれど、モノにはあんまり変換していないぞ」という人もいるかもしれない。

 しかし、お金を手にした時点で、命はすでに損なわれている。お金とは、資源や命、労働力を腐らない紙や数字に変えたものだ。つましく暮らしても、貯蓄していたらその人の口座には、魚や毛皮や鉱物が積まれていることになる。

 そして、やっかいなことにお金は腐らない。

 生魚や毛皮なら、山と積んでもそのうち腐る。だから自分や自分の周囲で必要とされる量以上に獲る理由がない。ところがお金は、数年、数十年に渡って保管できる。

 しかもデスクワークには殺しの手応えがない。罪悪感というブレーキがないから人は際限なく働き、その結果、どこか遠くで、たくさんの命や資源が損なわれる。

 お金は人間の欲望のリミッターを解除し、ひとりでは使いきれるはずもなかった資源をためこめるようにした。その結果、資源は少なくなり、貧富の差はいよいよ大きい。

 これ以上世界を浪費しないために、僕らにできる本質的な解決策は、働きすぎず、稼ぎすぎないことだけではないのか? そろそろ、人間の欲望にブレーキをかけるための新しいアイデアが必要なのではないか?

 そんなことを考えていたときに手にしたのが『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』だった。

 本書の舞台はマレーシアのボルネオ島。著者の奥野克巳さんは世界の少数民族と暮らして、その社会の構造や世界観を記録する人類学者だ。

 著者がフィールドワークの対象としたのは、狩猟採集民の「プナン」。彼らは熱帯雨林の奥の奥に住まい、今も狩猟採集を中心とする社会を保っている。

 プナンへの600日にも及ぶフィールドワークを基に、著者はプナンの興味深い習俗と考え方を紹介していく。

 生活習慣や婚姻の方法、狩猟採集の技術など、現代社会とはかけ離れたその生活はたいへん興味を引くが、なかでも驚かされるのが、プナンには反省する習慣も「反省」という言葉もないこと、そして感謝の気持ちを伝える「ありがとう」に相当する表現もないことだ。

 著者はフィールドワークの早い段階で、プナンには「反省」がないことに気づく。「反省」を意味する言葉もなければ、自身の失敗を省みることもなく、また、失敗した他者に反省をうながすこともない。

 著者は初めのうち、貸した道具を壊しても謝罪されないことなどに居心地の悪さを覚えるが、その一方で反省しないことを「少しだけうらやましく思う」ようにもなる。

 反省することがないためか、プナンには「自死や精神的なストレスというものがない」。そして著者は、プナンの社会と現代日本を比べて、日本は反省の「やり方に行き過ぎがあるのではないか」とも思う。

 日本は「反省を個人の内面へと強いる」「ことによって、個人の悩みは深まり、生きにくさを感じるようになるのかもしれない」と分析する。

 反省がないこと以上に、プナンの社会を特徴づけている風俗が、贈与に対する考え方だ。それについて解説する部分を以下に引いてみよう。

 プナン社会では、与えられたものを寛大な心ですぐさま他人に分け与えることを最も頻繁に実践する人物が、最も尊敬される。そういう人物は、ふつうは最も質素だし、場合によっては、誰よりもみすぼらしいふうをしている。彼自身は、ほとんど何も持たないからである。ねだられたら与えるだけでなく、自ら率先して分け与える。何も持たないことに反比例するかのように、彼は人々の尊敬を得るようになる。そのような人物は、人々から「大きな男」、すなわちビッグ・マンと呼ばれ、共同体のアドホックなリーダーとなる。そうしたリーダーのあり方は、高級なスーツを身にまとったり、高価な時計を腕に着けたり、ピカピカの高級車を乗りまわしたり、平気で公金を私的に流用したりする先進国の(一部の)リーダーたちとなんと違っていることか。

(略)

 逆に、彼が個人的な慾に突き動かされるようになり、与えられたものを独り占めして出し惜しみし、財を個人の富として蓄えるようになれば、彼が発する言葉はしだいに力を失っていく。それだけではなく、人々はしだいに彼のもとを去っていく、その時、ビッグ・マンはもはやビッグ・マンではなくなっている。プナンは、ものを惜しみなく分け与えてくれる男性のもとへと集うのである。

 この習慣を、著者は「有限の自然を人間社会の中で分配するため」に生み出されたと考える。獲物があるときに惜しみなく与えれば、自分に獲物がないときには誰かが与えてくれる。それによって、食物が共同体に行き渡り、誰かを極端に飢えさせることがなくなる。

 物をもっている人と、もっていない人の間に上下の関係はない。持てる人は当たり前に与え、もらう側も当たり前に受け取る。ゆえに、プナンには「ありがとう」という言葉がない。この風俗を紹介した章は、次のような言葉で締めくくられる。

 プナンの小宇宙では、こうした持つことと持たないことの境界が無化された贈与と交換の仕組みが深く根を張っていて、貨幣を介して、持ちものやお金をためこもうとたくらんで外部から滲入してくる資本主義をばらばらに解体しつづけているのである。

 この部分を読んで、目から鱗がザラザラ落ちた。

 プナンは獲物という財産を占有することで生きぬくのではなく、外部に配ることによって、自分が不猟のときの生存の可能性を高めている。また、指導力と財産をひとりの人に集中させない仕組みもある。贈与を社会の前提にすることで、自然から過剰に奪わずに富をあまねく行き渡らせる。

 資本主義は、個人が欲望を限りなく増長させることを是として、のっぴきならないところまで地球を疲弊させた。これまでのやり方がこれから先も立ちいかないことは、誰もが感じているだろう。

 資源は枯渇し、一部の人に富と力が偏在する現代において、獲物や資源が有限であることを前提にしたプナンの世界観には学ぶべきものがある。

 誰も飢えず、自死もストレスもないプナンと、物と人に囲まれながらも飢えと自死が身近な日本では、どちらがよりよい社会だろうか。

『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』
奥野克巳
亜紀書房
¥1,800+税

はじめに
1 生きるために食べる
2 朝の屁祭り
3 反省しないで生きる
4 熱帯の贈与論
5 森のロレックス
6 ふたつの勃起考
7 慾を捨てよ、とプナンは言った
8 死者を悼むいくつかのやり方
9 子育てはみなで
10 学校へ行かない子どもたち
11 アナキズム以前のアナキズム
12 ないことの火急なる不穏
13 倫理以前、最古の明敏
14 アホ犬の末裔、ペットの野望
15 走りまわるヤマアラシ、人間どもの現実
16 リーフモンキー鳥と、リーフモンキーと、人間と
おわりに 熱帯のニーチェたち

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