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佐渡金銀山の動画が、ポップで小気味よい。その製作の背景を聞いてみた。
2021.01.09 Sat
林 拓郎 アウトドアライター、フォトグラファー、編集者
佐渡ヶ島と言えば金だ。その昔、江戸時代にはその一大産地だったことは有名だが、採掘が近年まで続いていたことや、金だけでなく銀も多く産出したことなどはあまり広く知られてはいない。
この佐渡金銀山は明治になって官営化。近代的な産業へと変わっていくなかで造られた建物や坑道、選鉱のための施設、古道などは現在、文化財として残されている。
■相川金銀山 北沢浮遊選鉱場/浮遊選鉱法と呼ばれる比重を利用した選鉱方法を、日本で最初に金銀鉱山で採用した施設の遺構。建設は昭和11年からはじまり、最盛期には一ヶ月に5万トン以上の鉱石処理能力を誇った。
こうした歴史的な背景を擁する佐渡の文化を未来にわたって保存するため、佐渡市と新潟県では「佐渡島の金山」として、相川鶴子金銀山と西三川砂金山の世界遺産登録をめざしているのだ。
さて、世界遺産登録への道筋をつけることと同時に、受け継がれる文化の価値を広く知ってもらうためには広報活動が欠かせない。佐渡市ではこれまで、イベントを開催するなどしてその周知をはかってきたが、折からのコロナ禍によって多くの企画は中止に追い込まれてしまった。
左)佐渡金銀山ガイダンス施設「きらりうむ佐渡」。400年以上の佐渡金銀山の歴史や価値などを展示・紹介。 右)「きらりうむ佐渡」館内の展示室。江戸時代の金の取引の様子なども知ることができる。
そこで代案として登場したのがインターネットを使った広報活動だ。宣伝告知形態の変化に伴って、広報のコンセプトもユーザーの特性にフィットするものへと変更。ネットに接している層に確実にリーチする方向へと思い切って舵を切った。
というのも世界遺産登録をすすめる佐渡市世界遺産推進課はスタッフの平均年齢が若く、ネット文化への感性も豊か。従来、佐渡金銀山の魅力を伝えようとすると、どうしても学術的な解説が中心になりがちだったが、そこにポップさとスピード感を加え、短くクリエイティブな動画構成とすることで、インターネットというメディアに親しんでいる層への訴求を考えたというわけだ。
■道遊の割戸(どうゆうのわりと)/1601年、山の頂で金が発見され、露頭掘で採掘を進めた結果、山に大きな切れ目が入った形になった(写真奥)。割戸の深さは74メートル。幅は30メートルにも渡って掘り取られた。
■相川金銀山 シックナー/北沢浮遊選鉱場に隣接する直径約50メートルの沈殿槽で、泥状になった鉱物と水とを分離するための施設だった。不純物を取り除いた水は、北沢浮遊選鉱場で再利用された。
こうしてできあがったのが、国内・海外に向けて佐渡金銀山の魅力を発信する2本の動画と、佐渡ヶ島の文化についての思い入れを語った、計3本の作品だ。
「SADO GOLD & SILVER MINES for all Tourists」(海外向け)
https://youtu.be/RTTAZ7RBFtQ
「SADO GOLD & SILVER MINES 日本が誇る黄金島」(国内向け)
https://youtu.be/HYDcLutfrOU
「SADO GOLD & SILVER MINES Another Story」
https://youtu.be/yY-3Cl6S6m0
動画ならではの躍動感はもちろん、これまで見たことのないドローン視点やドリーショット、うつくしい自然、趣のある遺構、伝統的な文化に息づく厳かな空気感。そうしたものたちをとりあげることで観光地としての要素を紹介しつつも、文化や歴史や人々の思い入れまでを内包する「土地」の魅力を描く。
左)西三川砂金山 五社屋山/かつて砂金を産出した佐渡最古の金山跡。砂金はこのように山を掘り崩し、土に水を流して金と土砂とを選り分けた。 右)相川金銀山 間ノ山搗鉱場(あいのやまとうこうば)/「搗鉱」とは鉱石を砕き、すりつぶすこと。間ノ山搗鉱場は明治中期から昭和初期まで、50年以上に渡って活躍した。
いいところだから来てください、と表面的な言葉を矢継ぎ早に繰り出すのではなく、発信側の視点として何を良いと思っているのか、どういった点が魅力的なのかをわかりやすく表現することに徹している。その手法は非常にドラマチックかつ短編映画的だ。そして伝えたい、伝わってほしいという地元愛は画面から溢れるほどなのだ。
これはもう、じっとしているのが難しい。事態が収束したらぜひとも、動画に登場するさまざまな遺構を訪れてみたいと思っている。