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【読み物】登山道整備に情熱を傾ける〜藤 このみさん〜 [後篇]
2021.01.27 Wed
林 拓郎 アウトドアライター、フォトグラファー、編集者
「旭岳トレイルキーパー(https://www.asahidaketrailkeeper.com)」という屋号を掲げて、個人で旭岳の登山道整備に時間を費やす藤このみさん。彼女の地道な活動は多くの人の共感を呼びながら、さまざまなムーブメントへとつながっていきました。そのひとつが2020年9月に実施された「旭岳 第一天女ヶ原 木道(あさひだけ だいいちてんにょがはら もくどう)」の整備です。
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旭岳登山道の木道修復の様子。残っている杭や木道の残骸など、使える材はなるべくリサイクルしながら作業を進めていく。そのため、すべてが現場合わせ。目の前の状況に細かく調整を重ねながら、少しずつ木道を伸ばしていく。
鉄を使わず、木だけで木道をつくり直す
—— この整備はどういう経緯で進められたんでしょう?
藤:私は今、旭川市郊外の東川町(ひがしかわちょう)というところに住んでるんですが。旭岳も東川町内なんですよ。で、今回は東川町の「大雪山国立公園保護協会」が登山道の整備を進めようってことになったんです。
—— なるほど。
藤:私自身、荒廃が気になる登山道はたくさんあるんですけど、いちばん気になってたのは旭岳の登山道の入口の木道です。場所としては旭岳ロープウェイの山麓駅までバスやクルマで来て、歩き始める、そのいちばん最初の区間がいちばん荒れてたんです。
修復前の第一天女ヶ原。湿原から流れ出た水が土壌を流し、木道は落ちている。しかし木道が朽ちているのはおもに、ボルトやカスガイで留められている両端の部分。中央付近はしっかり残っているものも多い。「鉄の近くは朽ちていくのが早い気がするんです。だから今回は木道の固定に鉄を使わないでやってみたかったんです」
登山道入り口付近では木道は完全に朽ちてしまっており、木道跡は木とボルトとカスガイとで非常に歩きにくい。そのため、脇の笹薮に沿って新しい道ができてしまっている。しかしそこも泥濘化しているため、さらに外側を歩こうとする人が出てくるだろう。「これ以上植生を踏んでほしくないので、早く木道を直して歩きやすくしたいと思ってたんです」と藤さん。
—— 具体的にはどういう状況だったんでしょうか?
藤:ここはたぶん20年以上前に敷設されたんですけど、木の杭を打って枕木を渡して、そこに木道を架ける構造になってました。けど、その接合に鉄のボルトやカスガイを使ってたんですね。鉄と木はまったく性質のちがう材料だし、旭岳のように気温が激しく変わると鉄は木の中で結露して錆びてきたりします。収縮率もちがうから陽のあたりかたなんかによって割れてきたりするんじゃないかと思ってるんですよ。っていうのも古い木道はボルトやカスガイがあるところは木の腐朽が早くて、もうボロボロでした。そのせいで木道が枕木から落ちてしまったり、残ったボルトやカスガイが崩れた木道から飛び出すようなかたちになって、とても危なかったんです。もう、つまづきのトラップだらけ。私も登山道はどっちですか?とか、登山道はどんな状況ですか?って聞かれることが多いんですが、履いてらっしゃる靴のしっかり具合とか見ながらじゃないと案内できないし、場合によっては危ないのでやめたほうがいいですってお話することもあったんですよね。
—— 道が荒れていった原因は鉄のボルトやカスガイにあった?
藤:その可能性は高いと思います。でも当時はそれがふつうの工法だったと思いますし、過去に施工した人が悪いわけじゃないです。おかげで、こういう工法をとるとこうなるんだな、っていうことが分かりましたから。
木が朽ちることで、使われていたボルト類が飛び出してしまう。これまでも藤さんは、じゃまになったボルト類はハンマーで叩き込むなどして対処はしてきた。「錆びてもろくなってるし、抜くのは無理なんです。せめて躓かないようにと思って叩き込むんですが、それも限界があります」安心して歩くことができる木道を考えたとき、 最適解は新設することだったのだ。
—— なるほど。
藤:だから今回の敷設では鉄の部品を使わないことにしたんです。木道はいつか朽ちていくものですから、そのときに鉄だけが残ってしまうとやっかいなんで、今回は木の釘を使って木道を固定しています。朽ちていくときは木道も釘も全部いっしょになってくれれば、崩れていく途中でも邪魔なものがないから安全に歩けるし、将来誰かが撤去するときも楽かなと思って。
古い杭に枕木をかけて木道を敷き、ドリルで穴を開けて接着剤を塗った木釘を打ち込む。「このやり方が合ってるかどうかは、いまはなんとも言えません。良い点や悪い点が分かるのは10年くらいしてからだと思います」
接着剤が乾いたら、木釘の飛び出している部分をノコで切り落とす。そうして木釘の木口に防腐剤を塗れば完了だ。作業途中の木道には、こうした注意書きが添えられていた。
—— 今回木道を新しくしたのはどのくらいの区間ですか?
藤:工区は大きく2箇所に別れていて、のべ220mです。
—— 材はどうやって運ぶんですか?
藤:荷運びはすべて人力です。1本4kgの枕木や、1本16kgの木道用木材を何本かまとめて背負子につけて登山道を歩いて行きます。一ヶ所は登山道の入口部分なんでラクなんですが、もう一ヶ所の第一天女ヶ原までは1.5kmほど歩きます。第一天女ヶ原は湿原なので古い木道から外れて歩くことができないし、荷を置く場所もほとんどないんですよ。なので湿原手前でデポして、そこからまた少しずつ運びながら、でした。
資材はすべて人力で搬入。1回あたり木道用の枕木なら4〜6本が作業する人たちの間ではスタンダードとされていた。頑張ればもっと運べるが、あえて頑張らない。欠員が出ると作業が止まってしまう。身体をいたわり、余裕をつくりながら着実に続けるのがコツだ。
防腐剤を塗って乾かし、搬入を待つ材。
—— それでどのくらいの日数がかかるものでしょうか?
藤:荷運びと施工のトータルで20日弱ですね。
—— 作業は藤さんおひとりですか?
藤:いえ、私以外に山のガイドさんや東川町の大雪山国立公園保護協会の人や観光協会の人、環境省のアクティブレンジャーの方、旭岳にあるビジターセンターのスタッフや有志の人たち。途中、東川高校のクロスカントリー部の人たちが、トレーニングを兼ねてって荷運びを手伝ってくれました。
施工中はいろいろな人が手伝いに訪れた。みんな旭岳が好きで、藤さんの活動に共感している。少しでも手伝うことで、自分も登山道修復の当事者でありたいと思っているのだ。
現場でいちばん大変だったのは、枕木をわたす作業。「ちょうどいい場所に古い杭があったり、朽ちた枕木があったり。そういうものを避けながら、枕木自体もなるべく水平になるようにセットして、その上に木道を渡していきます。つなぎ目の中途半端な段差はかえって危ないので、この離れ方でこの落差だったら大丈夫とか、ここは危ないから次の木道どうしの間隔を詰めるとか。すべてが現場合わせのパズルでした」
—— 作業を終えてみていかがでしたか?
藤:思ったよりも早く終わったんですよ。大きく天気が崩れることもなかったし、台風もこなかったんでラッキーでした。旭岳は9月の半ばには雪が降り始めるんで、お尻の時期が決まっちゃってますから。焦りはしなかったですけど、日程のことはつねに気になってましたね。
—— 作業は楽しかったですか?
藤:毎日いろんな人が手伝ってくれて、少しずつ道が伸びていく。その様子は楽しかったです。でも個人的には、木道づくりはある程度のフォーマットができあがると、あとはその繰り返しなんで単調なんですよね。もうちょっといろいろ悩みながら、ああでもないこうでもないって考えながら作業をするほうが好きですね。
—— 本当に登山道整備が好きなんですね。
藤:整備そのものよりも、どうやって直そうかって考えるのが好きなんだと思います。ここにはどういう工法を当てはめて、なにを使ってどうやればいいのか。すごく複雑なパズルを、自分なりのスマートなやり方で解決できたときの楽しさは、ちょっと他では得られないものなんですよね。
できあがった木道を歩きながら傾きや段差、グラつきなどをチェック。そうしながらも、別の箇所の登山道の整備のことを考えている。
こうして旭岳の登山道は、そのごく一部ですが新しい木道へと変わりました。この区間だけは今までのように突き出したボルトやカスガイを気にすることはなく、うっかり足をおいた木が朽ちていて驚くようなこともなくなりました。
生まれ変わった木道をいちばん最初に歩いたのは、地元の子どもたちです。親子で秋の旭岳を散策する。そんな時間を楽しむことができるのも、安心して歩くことができる登山道があればこそです。
きれいになった木道を歩く、親子ツアーの参加者たち。感染防止のため、普段から親しい交流のある家族をグループに分けて実施。これまで小さな子どもたちの参加が難しかった散策も、登山道が整備されたことでハードルが下がった。
自分の足で歩くことを楽しむ。こうしてこどもたちは、山の近くで暮らしているからこそ触れる、山の文化のなかで育っていく。
この日の目的地は第一天女ヶ原。広大な湿原だが、冬は厚く雪に覆われてスキーのコースとなる。
しかもこうして子どもたちが山に親しむことは山岳文化の継承につながるとして、散策に同行してくださったのはUIAA/ICAR/ISMM認定国際山岳医の大城和恵先生。コロナ禍のなかにあって、山での感染対策と共に参加者の安全管理を担ってくれました。
安全管理とコロナ対策を担っていただいた大城先生。イベントでは家族や普段から親密にしている友だちなど、日常的に接触のある人たちをグループとすることで、感染の拡大を防ぐことができる。大城先生は参加者と日常的な接触がないのでつねにマスクを着用して、屋外でも距離をとって行動。「感染対策をとりながら、万一感染したとしても、ある小さな集団のなかで留められるようにすることが大切です」 こうした策を講じることで、これまでどおりの野外活動を楽しむことができる。
登山道は、自然という大海に突き出した桟橋のようなものだと思っています。その桟橋は多くの人達に幸福をもたらすものです。これまで山を歩いたことのなかった人が山を楽しみ、興味を持った人が余計な不安を持つことなく山に親しみ、それがより深い自然への理解と尊重へと繋がっていきます。
その登山道は人が手をかけなければ維持できません。道があるのは、誰かが汗をかいた証です。だからこそ、誰も知らないところで黙々と木を運び、石を動かし、土を掘っている人がいることを知ってほしいと思っています。