- カルチャー
東京ドーム3個分の土地を買ったUS開拓男子。その行く末は……!?
2021.07.02 Fri
佐藤 ジョアナ 玲子 剥製師(修行中)
「弟が土地を買ったらしい。35エーカー。場所はアーカンソー」
アメリカ人の彼氏から突然こんな報告を受けた。付き合いたての彼氏で、ましてや国際恋愛ともなるとカルチャーショックはつきものだけど、今度のカルチャーショックはスケールがデカい。なんといっても、35エーカー。東京ドーム3個分である。
そんなにたくさん土地を買って一体なにに使うのかと尋ねると、「決めてない」と返ってきた。じつにあっけらかんとした、短い返事だった。ふだんこの弟は格闘家として活躍しているそうだが、どうしても選手としての寿命が短い競技なので、将来への漠然とした不安を抱き「とりあえず」東京ドーム3個分の土地を買ってみたらしい。
アーカンソー州といえばなにもない。アメリカ人にとっても地味で印象の湧かない州なので、「どうしてわざわざアーカンソーに土地を買ったのか?」とみんな困惑の表情で問いかける。
本人いわく、答えは単純で、土地と税金がとにかく安いから選んだらしい。
だけど安いのにはワケがある。電気を通すにはまず敷地内に電信柱を立てなきゃいけないし、水道も井戸を掘らないといけない。そういうド田舎の土地なのである。このようなインフラが整っていない僻地で仮の住まいを確保するのに手っ取り早い方法はなにか。
答えはキャンピングカーである。
「ほら、家の庭に放置されている古いキャンピングカーがあるでしょ? あれを届けに、ジョアナもいっしょにアーカンソーまでロードトリップに出かけよう」
こうして私は彼に誘われて、自宅のコロラド州からアーカンソー州まで約1,800㎞(*1)のロードトリップに出ることになった。
(*1) 日本でたとえると函館駅から博多駅までが約1,800㎞。
立派な4トン級のキャンピングカーである。こんなものが今日まで埃をかぶって庭に放置されているのもおかしな話だが、そもそもこれは昔、家を建てるときの仮設住宅用に購入したものらしい。
キャンピングカーはアメリカでは一般的にRVと呼ばれている。これは “Recreational Vehicle(レクリエーショナルビークル)” の略なのだが、田舎のアメリカ人の場合、キャンピングカーの使い方はレクリエーションに留まらない。
というのも、アメリカの田舎には娯楽がないせいか、男たちの間では日曜大工の精神がいまも健在で、どこかに土地を買って、休暇を過ごすために小さな家を建てようとする人たちがいる。そういうときに仮設住宅としてキャンピングカーが重宝するのだ。
私の彼氏もコロラドのロッキー山脈のなか、標高3,000mの村にある現在の自宅を自力で建てたとき、仮設住宅としてキャンピングカーに住んでいた。
しかし仮設住宅としては申し分ないこの車も、旅先では車体が大きすぎて小回りが効かず、むしろ旅が不自由になってしまう。家が完成してからはキャンピングカーの出番は一切なく、ほとんど放置されていたのだ。それがやっと、今回のアーカンソー行きでキャンピングカーの出番がやってくることになった。
旅のメンバーは男2人女1人、それから犬が2匹と、私のニワトリが4匹。ひとりがキャンピングカーを運転し、そのほかは現地移動用に帯同するピックアップトラックに乗る。
春の田舎はニワトリの雛を飼いはじめるシーズンで、夏の終わりには卵を産みはじめ、数年経ったら食肉にしてしまうらしい。「郷に入りては郷に従え」ということで、私も今年、アメリカの田舎文化を体験するべくニワトリを飼いはじめた。育ち盛りのニワトリはよく鳴き、よく食べ、そしてよく糞をする。車内はたちまち、畜産農家のような香りに包まれた。
目的地までの約1,800㎞を1日で走りきるのはむずかしいので、途中でひと晩、車中泊をするが、場所は長距離トラック用の仮眠場。ガソリンスタンドの脇にあるトラベルストップと呼ばれる区画だ。
RVでレクリエーションする気がない男たちにRVパーク(*2)を利用するという発想はない。なにせ彼らは遊びでキャンピングカーに乗っているんじゃない。家を建てに行くためにキャンピングカーに乗っているのだ。
(*2) キャンピングカー専用の滞在施設。オートキャンプ場のようなところ。
そうこうして2日がかりでたどり着いた土地には、うわさ通り、なにもなかった。
なにもないというのは電気ガス水道がないだけでなく、車を乗り入れるための地面が整っていないということ。案の定、敷地内をギリギリ数メートル侵入したところで、湿った地面と草にタイヤを取られ、キャンピングカーがハマってしまった。
重さ4トンのキャンピングカーである。ピックアップトラックで引っ張ってみるが、ビクともしない。絶体絶命のピンチだが、ハマらせた格闘家本人はというと、
「今度、地面が乾いたらジャッキを使って浮かせてみよう。無理なら近くの農家からトラクターを借りて、引っ張り出せばいい」
こんな調子でいたって落ち着いていて、本気で脱出させようともがく気配もない。そう、どうせ仮設住宅にするつもりだったんだから、いま動かなくても彼にとってはまったく問題ないのである。何事もなかったかのように短パン半ズボンの格好に着替え、真っ直ぐ敷地内の探索に出かけてしまった。
文明的なものはなにひとつないけれど、アーカンソーの土地は豊かだった。草地と、森林地帯と、そして敷地内に小川まで流れている。小川の存在は水道が通っていない土地を選ぶ上では重要な要素で、これならきっと少し掘れば問題なく井戸が湧くはずだ。
そして草地は春から初夏にかけての雨季に湿原のように変わり、あちこちにザリガニの巣ができる。この地域ではザリガニは食用として認知されていて、ふつうのスーパーでも売っている。
私が噛んでいるのは、スイートグラスと呼ばれるイネ科の雑草。名前の通り、噛むと甘い味がする。草の大地というといかにも退屈な響きだが、実際にはこうした動植物の多様性に含まれた豊かな土地である。アメリカの「野生生物生態学の父」として知られるアルド・レオポルド氏(*3)も草ばかりの大平原の地域で生まれ育った。地味なようだが、草原には、人を野生に還らせる魅力がある。
(*3) 1887年にアメリカ・アイオワ州バーリントンで生まれた野生生物生態学者。人間と自然は生態学的に平等関係であるとする「土地倫理」を提唱した。
お風呂だって、私はキャンピングカーでシャワーを浴びるよりも、近くの湖まで行って水浴びする方が気持ちいい。湖は海とちがって波がなく穏やかで、プールよりものびのびと水に浮かんでいられる。人間は本来、こうやって体をキレイにするものなのだと私は思っている。
夜には焚き火を起こし、南部独特の長い枝がたくさん生えた木の枝を拾い、棘のひとつひとつにマシュマロを刺して焼いていく。一度にたくさん食べられる “マロツリー” の完成である。
さて、キャンプの楽しみのひとつといえば料理だが、じつはこのキャンピングカー、調理用のプロパンガスが空なのでコンロが使えない。使えないのはガスばかりではなく、発電機も壊れているので車内の居住空間の明かりが一切使えない。
これらは出発前に指摘されていた不具合なのだが、この土地を買った格闘家は「ガスと電気がなくても生きていける」というワイルドな信念の元にあえてなにも直さず出発したのだ。
元はといえば、遠い将来への漠然とした不安に備えるために土地を買った男である。それがどうして、もっと近い将来、確実に困るであろうガスや電気に対する備えをしようという気が一切ないのか、腑に落ちない。
車内の電気が使えないから、懐中電灯で本を照らして読む始末である。
キャンピングカーの車中泊というとなんだか聞こえはいいが、これではまるで避難訓練のようだ。
本来のキャンピングカーらしい機能的な体験はなにもなかったが、電気が使えなくてよかったこともある。
ふと窓の外を見ると、あちこちに蛍が飛んでいた。蛍に囲まれて車中泊するなんて、想像したこともなかった。
電気が使えなくて暗いおかげで、早々に眠りに落ちる。
そして、朝霧の向こうに陽が昇るころに自然と目が覚めるのだ。
アメリカと聞いてだれでも思い浮かぶ風景といえば、ニューヨークやカリフォルニアの大都会。だけど意外にも、アメリカの国土の97%は、こういう景色が広がる “田舎” に分類されるらしい。
ヨーロッパの開拓者がアメリカに来た当時と、そう変わらない景色が残っている。
一体この広大な土地をどう開拓するつもりなのか彼に聞いてみたが、なんと「まだとくになにも決めていない」という。ただ彼は、いわゆるプレッパー(*4)と呼ばれる気質の人で、世界の終わりが来てもひとりで生きていくための切り札としてこの土地を捉えているらしい。
(*4) 自然災害や大恐慌など、世界の終末的な状況に備えようと意識している人たちのこと。
狩りで肉を確保し、畑で野菜をつくり、木を切って家を建てる。これだけの土地があれば、人が生きていくために必要なことは、なんだってできるのだ。
祖国を捨てトランクひとつでアメリカに渡った開拓者と、動かないキャンピングカーでアーカンソーに住もうといういう彼は、似ているところがある。ないものは現地で調達し、とくにだれの助けをアテにすることもなく、自分の身ひとつで楽園をつくろうとしているのだ。
彼は、人と戦う格闘家から、自然と戦い共生する本物のカントリーボーイに生まれ変わろうとしている。
彼なら、きっとできるはずだ。
動かないキャンピングカーとともにはじまった彼の挑戦を、これからも追っていこうと思う。