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【フィールド動物誌】カラフトマス。晩夏に想う、遡上魚に染まる川
2021.09.24 Fri
二神慎之介 写真家
猛暑がおそった今年の北海道。お盆を過ぎて、どうやら気温が急激に下がり、秋が深まっているようです。この季節になると気になるのは、知床半島をはじめとする道東の河川に遡るカラフトマス。「今年の遡上量はどうだろう。たくさん帰ってきてくれるだろうか……」と、本州にいながらも、いつも気をもんでいます。
北海道の河川には、幾種ものサケ科の遡上魚が海からやってきて川を遡ります。サケ、もしくはアキアジ、という呼び名でおなじみのシロザケをはじめ、ひとまわり小さなカラフトマス。本州の釣り人には憧れの対象魚であるサクラマス(北海道の河川内は禁漁)など。その姿を見るだけで、北海道の自然の豊かさを感じることができるでしょう。
そして、私が自然写真の撮影活動のメインフィールドにしているのも北海道。その自然に魅せられたきっかけは、河川に黒い塊のように群れを成して押し寄せる、カラフトマスたちの姿を間近に見たことでした。
カラフトマスの体長は50~60㎝ほどでしょうか。シロザケにくらべてひとまわり小さい魚ですが、それでも河川で見るには大きい魚と言えます「セッパリ」と呼ばれるオスの背中は隆々と盛り上がり、その顔は恐竜を思わせるような猛き表情。鋭い牙も印象的です。そんな魚たちが、私の膝ほどもない水深の川を一心に遡っていく。はじめて見たときには、とにかくその生命力の強さに圧倒されました。
浅い流れの岩や川底に削られたのか、白く傷だらけになっているカラフトマスもたくさんいます。しかもこの川を埋め尽くす夥しい数のカラフトマスたちは、一尾残らず海に戻ることなく死んでしまうのです。死に向かってためらいなく、ボロボロになりながらも突き進んでいく。言うまでもないですが、その目的は産卵。つまり次世代に生命をつなぐことです。こんなにわかりやすく、劇的な形で生命の営みを見ることができる機会は、そうそうないでしょう。
もうひとつ、カラフトマスの遡上が見せる風景で象徴的なのは、その死です。美しい渓流のそばに足を踏み入れると、魚の腐った臭いが鼻を突きます。
臭いの主は「ホッチャレ」。遡上や産卵行動で力尽きたサケやカラフトマスの死骸をホッチャレと呼ぶのですが、あたりを見回すと、無数のカラフトマスたちが川底や川岸で死んでいます。なかにはまだ息のあるものも。見下ろすと、横倒しになっても喘ぎながらまだ泳ごうとしていて、その瞳には森の空が映っていることもあります。私はそんな力尽きたカラフトマスの死にゆく姿を眺めるのも、生命の力をまたちがった形で感じるようでとても好きなのです。
遡上する彼らを待ち構える動物たちも、運がよければ見ることができるかもしれません。
ヒグマ、キタキツネはもちろん、川に潜って生まれたての卵(イクラ)を失敬するカワガラスの姿を見ることもできます。河岸に落ちた羽根に、夜、ホッチャレをついばみにフクロウが河岸に降りたのだろうかと、想像するのも楽しいものです。
集まってくるのは動物だけではありません。この季節、海岸は遡上を前に沿岸に寄って来たカラフトマスを待ち構える釣り人たちでにぎわいます。むしろ、彼らはより大きく味もよいとされるシロザケのほうが本命なのかもしれませんが……。林立する釣り竿もまた、この季節の風物詩。
魚、獣、鳥、人間。そして海と川。さまざまな生命の営みが交錯する、カラフトマスの遡上する姿とその周りのようすは「自然界の繋がり」というものを感じさせてくれる、ひとつの大きな自然風景といえるでしょう。
人間を含めて、多くの動物たちがカラフトマスの遡上を待ちわびています。しかし、マスたちは、毎年必ずたくさん川に帰ってくる、というわけではありません。木の実における豊凶の差と同じような波(増減)が存在します。水温の差や、産卵時の個体数の多寡など、さまざまな理由が考えられますが、これまでは、今年来なければ来年来るだろう、といったような期待をしてもよいような感覚がありました。しかし昨今、そのリズムも崩れかけているように思います。来なかった、その翌年もまた来ない……。少しずつそんな印象を持つようになってきました。
その理由は温暖化のせいだと、割り切って決めてしまうほど自然の仕組みはシンプルではないでしょう。しかし、急激で大きな変遷の途上にあることは、おそらくまちがいない。カラフトマスの遡上を思うとき、ついそんなことを私は考えてしまうのです。
9月の知床半島では、海沿いを走る道路からすぐの場所で、カラフトマスが逞しく遡上する姿を見ることができます。たとえば道路にかかる橋の上から川を見下ろせば、川を黒く染めるカラフトマスの群れを真上から見ることができるでしょう。これからの季節、道東を訪れる人は、景色を眺める合間に、ぜひ川をチェックしてみてください。