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【ユーさんの74年_14】中川祐二、74年目のアウトドアノート~道具を虫干し、俺たちも虫干し。ジジイたちのこっそり雪遊び。
2022.04.16 Sat
中川祐二 物書き・フォトグラファー
山本由紀男 /スキー滑走理論実践家 建築職人セミプロ
吉田二郎/愛犬溺愛家 食品プロデューサー
吉田潤子/愛犬溺愛家令夫人
吉田ジョー/愛犬
中川祐二/旗振り
(アイウエオ順、敬称略)
ここは戸隠高原、遠くにゲレンデを見渡す牧場。後ろに見える柵の先端が牧場とわかるくらいの積雪がある。遠くに見えるは黒姫山。この黒姫山、戸隠連峰、スキー場のある毛無山、瑪瑙山に囲まれた平坦地がこの牧場。僕のXCスキーの遊び場、40年も前からここで遊んでいる。
この話が始まったのは2022年の2月の初旬のことだったと思う。山本由紀男とメールで話していて戸隠の名前が上がった。以前フェイスブックのやり取りなどで、僕のホームゲレンデが戸隠ということを彼は知っていたのだろう。
そうか、久しぶりの戸隠もいいな。コロナでスキーには2年以上行っていなかったし、実は山本由紀男と滑るのは何十年ぶり、いや、こんな形で滑ったことはなかったかもしれなかった。
むかし、『Do! スポーツ』(*1)というテレビ番組があった。若い女の子が2人、いろいろなスポーツにチャレンジするのだが、彼女らを指導するのは一流のプロアスリートばかり。バイク、カーレース、ヨット、カヌー、釣り、スキー、マウンテンバイク、ありとあらゆるスポーツにトライしていた。
(*1)『Do! スポーツ』=テレビ東京で1983年から1990年まで放送されていたスポーツを中心としたテレビ番組。日本ビクター(現JVCケンウッド)の一社提供。僕の出演した回で深夜枠にもかかわらず3.6%を取ったと聞いたことがあった。
番組の冒頭、声優の古川登志夫さんが「やーやー、お兄さんはね……」と三枚目的な声で始まるオープニングだった。
この番組で、ニセコのスキーを取り上げるときは必ず山本由紀男がそのインストラクター、関東圏でアウトドア、スキーの企画のときは僕が出演することが多かった。お互い画面の中や、雑誌の中では知っていた。
僕がテレマークスキーをするようになって、雑誌の取材やTAJ(*2)のビデオ制作でニセコを訪れ被写体として、また取材対象として山本由紀男とスキー場へ行ったことはあっても、一緒に滑ったことはなかったような気がする。それよりも、初めて会ったとき、「俺によく似た男だな」と思った。山本由紀男も同じことを思ったと言っていた。
(*2)TAJ=日本テレマークスキー協会(Telemark Ski Association of Japan)。テレマークスキーの普及、発展、振興を目的として1984年に設立された団体。
そこで山本由紀男が5年前、僕に紹介してくれたカツヤ・ナントウと連絡を取った。
「ナンちゃん、コロナの様子を見ながらなんだけど、おさまってきたら山本由紀男を誘って、戸隠なんかどうかと思ってさ」
「戸隠か、行きたいな。どうせなら昔のXCスタイルで、という条件をつけたらどう? akimamaのネタになるんじゃない?」
「ほかに誰を誘おうか、吉田二郎はどうだろう?」
こうしてJKK(ジジコソ企画)が始まった。
参加するジジはみなスキーのエキスパートばかり。山本由紀男は以前ニセコのスキースクールの校長だったし、当時からテレマークスキーの第一人者。今みたいな道具が発達していない頃から細いXCスキーでテレマークターンを研究していた。カツヤ・ナントウはテレマークでスキーパトロールをした最初の人物。吉田二郎はベテランテレマーカー、潤子はインターハイ(高校総体)や国体で距離スキーの選手。ついでにジョーは保護犬で、吉田家に保護されたばかりに、いつもスキー場や山に連れて行かれている。
左から山本由紀男、テレマークスキー黎明期からヒールフリーを普及のため尽力したパイオニア。 TAJ初代会長。今、2軒目の家を制作中。左から2番目 カツヤ・ナントウ、この人をひと言で説明するのは困難。わかっているのはスキー、フライフィッシング 、クライミング、カヤック、料理、ブルーグラスの技術を持ち、なお且つそれらの道具を決して捨てずに持ち続けている男。中央、吉田二郎。この男もなかなか説明が難しい。確実にわかっているのは、有名アウトドアメーカーに勤めている僕の友人と大学の同窓生ということ。今回はカウチンセーター、カザマハイカントリーで参加してくれた。足元には保護犬セッターのジョーが。左から4番目は吉田潤子、二郎令夫人。溺愛家のタイトルはこちらの方がふさわしいと思う。ジョーのお世話役。現役時代に使っていたRexのウッドスキーを見つけ大喜び。さてどん尻は旗振りユーさん。古いXCスキーのものをと考えたら、この数十年間スキー関連のものはまったく買っていない事に気づいた。つまりどれを持っていってもオールドスタイルになるわけだ。セーターはノルディックセーター、お揃いの帽子はきつく、スウィックスのニットキャップ。ズボンは残念ながらツイードのニッカーはすでになく、パタゴニアのパンツ。スキーはお気に入りのモロト、靴はアゾロNNNーBC。
旗振りユーさんは、若い頃この戸隠スキー場でリフトの順番待ちで、横から入ってきたならず者とのいざこざが原因でアルペンスキーにピリオドを打ち、それ以来ゲレンデに背を向けXCスキーに転向。もっぱらかかとの上がるスキーばかりをしている。(「ユーさんの72年_4 戸隠でアルペンスキーにはまり、アルペンスキーをやめる」に詳しい)。雑誌の取材と称して各地のテレマークレースに出場、11番のゼッケンをもらえるくらいの腕になった。
4人ともテレマークスキーの黎明期に暴れ回った、今流行りの言葉で言えば “レジェンド” だ。
1日目は昼頃にゲレンデ食堂に集合。もちろん使う道具は黎明期の道具を持ってくるお約束だった。
吉田二郎は革靴にカザマ・ハイカントリーの第2世代、ステップソール(*3)。カツヤナントウはやはり初代カザマ・ハイカントリー、ステップソール。靴は浅型の皮革製XCシューズ。ポールは六角形の合竹製、手革は切れていたので自分でつくり直したという。
(*3)カザマ・ハイカントリー、ステップソール=カザマスキーはスキーメーカーの老舗。現在はない。競技用のXCスキーではなくツアー用の初期のモデル。滑走面に推進用のワックスの代わりにギザギザのステップ加工が付けられたタイプ。
ユーさんはカルフ・スープリーム(*4)にアゾロ・エクストリームプロ(*5)、シナノのポール。30年前レースに出ていたときと同じもの。
(*4)カルフ・スープリーム=フィンランドのスキーメーカカルフ社の初期のモデル。(*5)アゾロ・エクストリームプロ=イタリアのアゾロ社のテレマークブーツ。皮革製の編み上げ式にバックルが2本付いたタイプ。30年以上使っているがまだどこも壊れていない。
みんなが持ち寄ったスキーを並べてみた。テレマーク専用のものからXC専用。懐かしいスキーが勢揃いした。最近の幅広のスキーとかカービングは1本もない。
さて山本由紀男といえば、懐かしいものはまったくなしのルール破り。ビンディングはRottefella Xplore System(*6)、ブーツは、alpina Araska XP(*7)。どちらも国内では来期発売予定の最新鋭。曰く、人間が黎明期だからいいでしょ、おまけに蝦夷地を後にしたとき、古いものは何もかも捨ててしまった。だって。
(*6)Rottefella Xplore System=ノルウェー・ロッテフェラ社のバインディング。まったく新しいしシステムで来季に期待。(*7)alpina Araska XP=アルピナ社のブーツ。上記バインディングとシステムを同じくする。爪先の両側にある2本のピンで固定する。
やや重くなった春のゲレンデ、山本由紀男は安定した往年のテレマークスタイルで楽々と優雅に滑った。吉田二郎はステップソール、ダブルキャンバー(*8)のXCスキーでジャンプ系のテレマーク。ユーさんは深いテレマーク姿勢が災いして、あるいは普段の運動不足で数ターンずつ止まらなければ降りてこられないていたらく。カツヤ・ナントウは、リフトを敬遠し、翌日のためにウォーキングの練習。と、春の雪をめいめい楽しみ、早々と宿へ引き上げた。
(*8)ダブルキャンバー=スキーの反りの形態の呼び名。反りが強いのがダブルキャンバー、反りが弱いのがシングルキャンバー。ツアースキーはダブルキャンバーでステップ付きが一般的。
夕食前に、先般スキーツアー中に突然の病気で亡くなったカラファテの店主、テレマークスキー黎明期の実力者、北田啓郎(*9)氏に献杯をし、その後かなり長い時間、今日の反省会をしたのは言うまでもない。
(*9)北田啓郎=東京・目白にある先鋭的なアウトドアショップ「カラファテ」の店主。テレマーク スキー、ツアースキーに造詣が深く、ファンも多かった。2022年1月スキーツアー中に内因死。スキー関係の著書多数。故人。
翌日はあいにくの天気。本当ならば戸隠奥社まで行き、「ボケ・モレ防止祈願」をしてからの行動を予定していたが、雨の時間が早まりそうなのでこれは割愛、奥社参道入り口でめいめい車から片手合掌で祈願を済ませ戸隠牧場へ。
むかし、僕がXCスキーにどっぷり使っていた頃、スウェーデンやノルウェーのようにコースをつくり、距離によって色の違う案内板を付け、XCスキーにもっと力を入れたらどうかとあるスキー場に提案したことがあった。40年も前の話だ。スキー場側の考えは、XCスキー(当時歩くスキーと呼んでいた)の人は金を落とさないからダメだと。リフトは乗らない、食堂も利用せず自分たちで持ってきたものを食べてしまう。コースを整備してもその利用料金は取れないだろうという。さらに僕たちは、雪の中に雪洞やイグルーをつくって泊まってしまう。確かに僕たちはその地域にはいい客ではなかったのだろう。
しかし数年後、平らな広い雪原にはXCスキーのシュプールがたくさん付くようになった。これは僕たちが実際に仲間と楽しんでいたことをテレビやラジオでその楽しさ、気持ちよさをアピールしたからだと信じて疑わない。
冬の牧場はXCスキーにはもってこいのフィールドだ。傾斜は少ない、人はいない、牛もいない。とくに今年は雪がたっぷりある。天気さえよければジジたちの天国だった。
しかし、やっぱりトラブルは起こった。まず口火を切ったのはカツヤ・ナントウだ。75mmノルムの靴(*10)のソールが剥がれたのである。せっかくこの日のために靴にオイルを塗り、いい艶が出ていたのに無残にもパックリと口を開けてしまった。ビニールテープでグルグル巻きにし応急処理をしたが、それ以来カツヤ・ナントウの歩きはXCスキーの歩きではなくなってしまった。雪の上でも本当にジイさん歩きになってしまった。
(*10)75mmノルムの靴=靴とスキーをつなぐバインディングの形式の1種。爪先の幅75mmの靴をバインドするシステム。
(左)何年も使っていなかったXCスキーの滑走面が剥がれてしまった。完全にである、それも2本とも。このスキー、中央部だけにスチールエッヂが埋め込まれたステップソールの軽いスキー。このタイプのものがなかなかない。仕方がなく接着剤を調べて修理を試みた。とりあえず今回のツアーでは問題なく使えた。(中)ソールががっぱりと剥がれたカツヤ・ナントウのブーツ。これも彼は修理すると張り切っていた。来年このブーツが再登場するか? (右)ツアーを早く切り上げアスファルトの道を歩くしかなかった。僕のブーツも取り返しのつかないことになってしまった。むかし山へ滑りに行ったときのように、ザックと背中の隙間にスキーをクロスに刺した。カツヤ・ナントウはそれを見て、「ユーさん、懐かしいことするね」と言ってシャッターを切った。
人のことを笑った罰が僕にも襲いかかってきた。ちょっとバランスを崩して転倒した。嫌な力を足の裏に感じた。やっとの思いで立ってみると足の裏が冷たい。恐る恐る靴のソールを見ると土踏まずの部分が剥がれ落ちていた。先端部分はしっかりとバインディングにセットされたままだが、僕もジイさん歩きになってしまった。
僕のXCスキーはイタリア・モロトのステップソール、ハーフエッジタイプ(*11)。古いスキーなのだが、まさかこんなになるとは思ってもいなかった。ソールが剥がれていたのだ、完全に。気に入っていただけにそのショックは大きかった。今回のために接着剤を探し、これを修理して持ってきた。靴に不安はあったものの、まだ大丈夫だろうと思っていた。スキーは問題なく使えたが、靴が悲鳴を上げた。来年用には次の一手を考えなくてはならない。
(*11)イタリア・モロトのステップソール、ハーフエッジタイプ=モロト社のツアースキー。お気に入りのスキーだ。もう1シーズンくらいは使えるかも。靴とのマッチングをなんとかしなくてはならない。
ちょうど風が強くなり、雨も降ってきたのでこのままここにいては遭難の危険があると判断し、スタート地点へ引き返した。除雪された道路に出たところで僕とカツヤ・ナントウはスキーを脱ぎ、お互いの靴のだらしなさを罵りながらアスファルトの道を歩いた。あんなに手入れをしてやったのに。
その脇を山本由紀男と、吉田二郎、潤子、ジョーは軽快に雪を蹴りながら僕たちを追い抜いていった。そのステップソールが奏でる音が一層僕の足の裏を冷たく感じさせた。
スタート地点に戻り、除雪でできた雪の山の上にそれぞれのレストランを開いた。ここは林の中で、さっきまでの強い風は嘘のように静かだ。遠くには川の流れも見え申し分ない。山本由紀男はおもむろにコーヒーグラインダーを取り出し豆を挽き始めた。そうだ、彼はコーヒーにはうるさく、スキー同様一家言持った男。
(上)雪を削り足が下ろせるようにテーブルと椅子をつくった。それぞれストーブを出しコッヘル、パーコレーターを出し準備が始まった。懐かしい調理器具ばっかりだった。(下)吉田潤子はまずはサンドウィッチ、そのあとパスタをかっ込んでいた。まるで○○製麺でうどんを食べているようにも見えた。
パーコレーターでコーヒを入れるアメリカンスタイルだ。カツヤ・ナントウはサンドウィッチをつくり始めた。吉田二郎グループはパスタを茹でクリーム系のスパゲティをすすっていた。
ユーさんは、インスタントのクラムチャウダー、ボイルしたジョンソンビルのソーセージ(*12)、フランスパンというランチメニューだ。なぜ外人がパンを切るときまな板を使わず、手の中で手前に引くように切るんだろうと言うと、
(*12)ジョンソンビルのソーセージ=全米1の人気を誇るソーセージブランド。そのオリジナルスモークを持っていった。
「そうだね、ガストン・レビュファの『天と地の間に』(*13)の中でもレビュファがそうやって切ってたね。」
「あの映画、山に行く格好をしていくと料金を半額にしてくれるって言うので、僕と細田 充(*14)はピッケルを持って見に行ったよ。」
(*13)ガストン・レビュファの『天と地の間に』=登山家ガストン・レビュファが監督し自ら出演の記録映画。1961年製作。(*14)細田 充=『山と溪谷』や『ホットドッグプレス』、『カヌーイングマガジン』で活躍したカメラマン・ライター。故人。「ユーさんの72年_11 早逝した友人、細田 充くんのこと」に詳しい。
みな見てたんだねあの映画、見ている世代なんだ、同じ世代なんだと確認した。
滑り終え、次のスキー場へ行く者、寄り道を考える者、別れがたいが解散のときが来た。最後のイベント、ここ戸隠なら蕎麦を食べなくてはならないだろう。しばらくはぐずぐずしていたが道具の虫干しを終え、みなの虫干しも無事終わった。愉快なジジイ旅だった。
降ったり止んだりの天気の中、誰とも会わず、雪の中をジジイたちが昔を思い出しながら滑り、歩き、休み、しゃべり、笑い、食い、飲んだ、JKKの冬の旅だった。
次回も同時期にここで開催し、さらにほかのジジイも巻き込もうと約束した。誰も欠けずに来てほしいと祈るばかりだ。
(本文中敬称略)