- カルチャー
【ユーさんの74年_17】中川祐二、74年目のアウトドアノート〜米を作ることにしてしまった。
2023.02.13 Mon
中川祐二 物書き・フォトグラファー
プライベートキャンプ場(*1)を作り、カヌーをしたり、鮎釣りをしたり、最前線基地を十分に利用し僕はひとりで遊んでいた。(*1)プライベートキャンプ場=前回、ユーさんが綴った「里山で自分だけのキャンプ場をつくる」に詳しい。茂木町、そして現地のキーマン・田村幸夫さんとの出会いはユーさんのアウトドア人生に新しい1ページを加えることに。
ある日、大家である田村さんが山へ遊びに来た。と言うより、僕がここでキャンプをするようになると、一升瓶をぶら下げ、ちょくちょく現れるようになった。ここで焚き火をし、暗闇や夜空を眺め会話を楽しんだ。
このときはなぜか酒瓶はぶら下げてはいなかった。
「ユーさん、米作ってみねぇか?」
僕は高校も大学も農業系、でも園芸関係、つまり花の勉強ばかりしていた。だから米作りに関してはまったく知識はなかった。
しばらく考えたが、
「おもしろそうだ、やってみましょうか」
このひと言が、44歳のターニングポイントだった。その後の僕のライフスタイルをまったく変えてしまうことになるとは、このときは考えもつかなかった。
田村さんにしてもこんなど素人に先祖代々の田んぼで米作りをさせるのだから、手間がかかることは覚悟してのことだったのだろう。
棚田とはいえ、区画整理され比較的大きな田んぼが並ぶハトムナイの谷。5月の連休は近所の田んぼもみな田植えが始まる。こんなときの挨拶は「よく植ったね」である。多少曲がっていてもそれは見なかったことにする。嫁に行った娘が子どもを連れ手伝いに帰ってきたり、子どもたちも田んぼの周りを走り回り農村の楽しい風景が見られるときだ。
僕に与えられた田んぼは、ハトムナイ(*2)の棚田の中程にある8畝(*3)の細長いものだった。(*2)ハトムナイ=鳩無内。茂木町北部の集落にある里山の地名。谷間には、うつくしい棚田が広がっている。(*3)畝=畝(せ)は、土地の面積を表す単位のこと。尺貫法の単位で、1畝は歩(ぶ)=坪の30倍。10畝で1反となる。同じ文字で「うね」とも読むが、これは田んぼ、畑などで作物を植えやすくするために、土を直線上に盛り上げたところ。
8畝とは1反の10分の8、1反はおよそ300坪、テニスコート1面分ほどの広さ。その8割、つまり240坪の広さだ。都会での宅地を考えると240坪はかなりの広さだが、広い田んぼが続く棚田の中ではひどく小さく感じた。
早速作業が始まった。今まで使っていなかった田んぼなので背丈ほどの草が生えていた。これを草刈機で切り、ついでに周りの道の草刈りもして作業をしやすくした。
次に雑草の根や固まってしまった土を柔らかくするため、耕さなくてはならない。これは親分田村さんのトラクターが活躍、あっという間に土を真っ黒にしてくれた。これまでが準備の入り口。これから田植えまでいくつもの作業をしなくてはならない。
農家のことを百姓と呼んだ時代があった。これは今では差別用語として出版業界、放送業界では使用禁止となっているはずだ。しかし、田村さんはこれはとてもいい言葉なんだ、米を作るのは百の技術を持っていなければならない。それができるという証なんだと。
あるラジオ番組に出演して、米作りのことを話してくれというリクエストがあり、
「僕は始めたばかりの酒飲み百姓ですから」と言ってしまった。まずいかなと思ってはいたものの、いい言葉でもあるということを信じていた。するとMCの村野武範(*4)氏が番組の最後に”不適切な発言がありました”とあやまっていた。失敗失敗。(*4)村野武範=文学座出身の俳優。1971年の映画『八月の濡れた砂』に主演し、脚光を浴びる。以来、テレビドラマやバラエティ、CMとマルチに活躍。『くいしん坊! 万歳』では7代目を務める。リポーターとしても注目される。
田植えは5月の連休にするという。地方にもよるだろうが、関東近県は5月が多いようだ。米どころ新潟の津南でこの話をしたら、「ま~た嘘ばか言って」と信用してもらえなかった。この地方の田植えは6月だという、そりゃそうだ新潟は豪雪地帯だ。
本来イネは温帯の植物、もっと暖かくなって植える方が生育にはいいのだろうが、人間さまの社会生活に合わせ、労働力の関係からも5月の連休あたりがいいようだ。
その田植えに合わせて苗を作るのだが、苗作りは手間がかかりこんなど素人にはできることではない。本来ならば田植えから逆算し苗床(*5)に種まきをし、15センチくらいに伸びた苗を植える。(*5)苗床=苗を育てるための場所のこと。多くの場合、専用の容器を使う。
稲の苗は水稲用育苗箱で育てられる。農協から買ってきた苗は田植えの日まで田んぼの端に浸けておく。当日水を切り、しっかりと根の張ったマット状の苗を機械にセットする。田植え機はこれを端から3、4本ずつ土に植えていく。機械の進み具合が遅くなると株間は狭くなり、早くなると広くなる。これを調節しながら、なるべくまっすぐに植える。これがむずかしい。
だが、僕の田んぼは農協が作った苗を買って植えることにした。品種は「キヌヒカリ(*6)」だ。(*6)キヌヒカリ=イネの栽培品種のひとつで、食味はコシヒカリに近いとされる。
田植えの1ヶ月前、まだ水を入れる前に肥料を撒く。エンジンのついた散布機を背負い、田んぼの中を歩き回る。
次にクロ塗りをする。クロとは畔ともいい田んぼを区切る土手のこと。この4辺を塗り固め水が漏れないようにする作業。これが、なかなかむずかしい。モルタル(*7)を塗るようで楽しいのだが、目の前の作業ばかりを見ていると真っ直ぐにならない。だんだんと腰は痛くなるし飛び跳ねた泥が顔に付くし、いっぺんに米作りの後悔が始まる。(*7)モルタル=セメントと水を混ぜ合わせて作る建築塗装材。
これが終わると水を入れ、トラクターで土がトロトロになるまで走り回る。
田んぼの中は平らなように見えてもわずかに傾斜がある。平らにさせるため、高い方の土を低い方に移動させるのだが、水を吸った土は重いのなんのって、さらに後悔が積み重なる。そこでトンボという、野球場でも使っているT字型の道具で水と一緒に土を移動させる。これだと少しは楽に土を動かせる。極端にたくさんの水を一度に動かしてはいけない。様子を見ながら何度かに分け泥水を寄せてくる。泥水ということは水に泥が溶けた状態なので水の移動イコール泥の移動なのである。
この後、今度は梯子を引く。3メーターほどの木製の梯子の両端にロープを付け、このロープをコントロールしながら引き、土を移動させる。
水が濁っているうちは平らになっているような気がするが、澄んでくると土の凸凹がわかってしまう。
こんなとき、近所の長老が通りがけに慰めともわからない声をかけてくれた。
「よくやるね、だいじだ~、水張ればみんなてえらだ。(*8)」(*8)訳/よくやるね、大丈夫だ、水を張ればどこも平らだ。
そりゃそうだ、水はどこでも真っ平ら、その下の土が問題なのだ。
もうこの頃にはクタクタ。田んぼ用の長靴は履いているが歩き方が下手くそなので内股まで土で汚れている。アスファルトの道路に寝転がり夕焼けを見ていると涙が滲んでくるほどだ。
さ、これで準備はできた。とはいえすぐに田植えを始められるわけではない。まだ土が柔らかくこのまま植えると苗が浮き上がってしまう。3日間くらいはこのままにし土を落ち着かせなくてはならない。
田植え当日である。作業の数時間前に水位の調節をする。ミノデ(*9)という水の排水調節口を開け、ミノイリ(*9)という注水口の水の量を抑える。つまりあまり水が入っていない田んぼの方が作業がしやすいのだ。水が多いと苗をうまく植えられないところができてしまう。(*9)ミノデ、ミノイリ=水出、水入。つまり、水の出口と入口。
田植え機のご機嫌がよく、オペレーターの体調もいいと8畝の田んぼは半日もあればで植え終わってしまう。天気がよく、カエルが鳴き、トンビが空を舞い、5月の風が気持ちいい。でもこんな日ばかりではない。カッパを着込み、冬支度で田植えをしたこともあった。植え終わった苗が霜でやられ黄色くなることもしばしばである。
田村さんは乗用の田植え機だが、僕が使うのは歩行型2条植え、駆動輪は1輪。両側にフロートが付き浮くわけではないが沈みにくくなっている。見れば見るほどよくできた機械だ。
この機械に苗をセット、予備の苗も積み、スタートだ。はじめに田村さんが見本を見せてくれるのだが、見るのとするのでは大違い、機械操作にはコツが必要で真っ直ぐ植えるのは至難の業だ。
田んぼに田植え機を入れる場所は通常1ヶ所。機械を入れた場所から出さなくてはならない。つまり一筆書きの要領でないと帰って来られないか、せっかく植えた苗を踏み潰さなければならないことになる。これが初心者には頭が痛い。
何度かUターンをして最後に田んぼのぐるりを植えながら帰ってくる。なるべく機械で植えてしまわないと、後で手直しの作業が多くなる。
8畝の田植えにはそれほどの時間はかからなかったが、終わってみると見事に植えた稲の列が曲がっている。近所の農家の方は通りすがりに、
「ん~、よく植ってる」
「絵を描いたのか?」
ただただ、「だいじだ、だいじだ、育てばわからね~(*10)」(*10)訳/大丈夫だ、大丈夫だ、大きくなれば気にならない。
これは田んぼを始めた東京者への最大の賛辞なのだろう。
機械で植えた後、手直しが始まる。機械で植えたままだと植え損じが案外ある。水が多いと苗が浮いてしまっているところもあり、それらを手で植え直す。これがなかなか辛い。1人5条の列を点検しながら何度も田んぼの中を往復する。ちょっとした手間だが、それがお茶碗1杯分になるかもしれない。
機械で植えても、うまく植ってないところもある。今度はそれを見ながら手植えをして補う。腰にカゴをつけ、苗を持って腰を曲げて田んぼの中を歩く。2、3本ずつ押し込んでいく。とくにUターンしたところや、出入り口は機械では植えられない。慣れない者にとってはこの手植えほど疲れる作業はない。
それでもすべての作業が終わったのは、もう夕陽が西に傾いた頃だった。あ~あ、なんでこんなことをし始めちゃったんだろう。コメ作りは後悔の塊だった。
キャンプ場へ戻り、サウナに火をつけ、買っておいた食料で簡単な夕食を作り酒を飲んだ。
翌朝、身体中から悲鳴が聞こえた。しかし仕事はまだ終わってはいない。田村さんは6反くらいの田んぼをひとりで植えている。僕のが終わったからと帰るわけにはいかない。これが小作人(*11)の辛いところだ。それでも3日くらいで作業の目処が立ち、一旦自宅へ戻った。(*11)小作人=地主から土地を借りるなどして、耕作を行なう人。
しかし、作業はまだまだ続く。稲が活着する3日目あたり、これはあまりしたくないのだが、除草剤の散布をすることになる。作業は1、2時間で終わるのだが、そのためだけに田んぼまで行かなくてはならない。僕の田んぼなのだから。
機械で植え、手直しが終わり、これが至福のときである。この時期のことをさなぶり(早苗饗)、植えあげといい無事に田植えが終わったことを祝う。大家の田村さん(左)と悪巧みの相談もこんなときに飛び出す。山でバーベキューをするか、内緒の鰻屋へ行くか、いずれにしても田の神様に感謝するために御神酒をいただくことになる。
この頃、田んぼを始めたと人に言うと、
「わー、合鴨飼っているんですね、田んぼで」
とみな、申し合わせたように言う。
当時、有機農法プラス合鴨を飼って除草させる(*12)という方法がテレビなどで紹介されていた。僕みたいなものが米を作り始めたというと、みな合鴨だと決めつけて話してくる。(*12)有機農法プラス合鴨を飼って除草させる=合鴨農法のこと。合鴨稲作とも。合鴨を田んぼに放つことで除草をしてもらう。減/無農薬農法の一種。ただ、合鴨は事後、畜産物として扱われることも。
えらく腹が立った。あんな合鴨なんて、地元に住んでいなければできないし、朝、田んぼに放し夕方に小屋へ入れなければ、キツネやカラス、イタチにやられるし、悪い人間だっているかもしれない。都会の人間はちょっとした情報で頭でっかちになって困る。そういう僕も都会育ちなのだが。
僕の米作りは「祐二農法」の酒飲み百姓なのである。
この後しばらくは水位の調整だけ、これは田村さんが見てくれる。
田植えが終わるとなぜか急にカエルが鳴き始める。田んぼの中にはミズカマキリ、タガメ、コオイムシ、ゲンゴロウ、ドジョウ、タニシなど生き物がいっぱいだ。これらがいなくなってしまうような農薬の使い方はしたくなかった。まったく使わないということはできないが、なるべく使わず減農薬な米づくりをめざすことにしたかった。
しかし、農村は共同社会。僕の田んぼはみんなの田んぼの真ん中。僕の田んぼから病気が出たり、害虫が発生すれば周りに迷惑がかかる。右へ倣えをしないと、ギクシャクすることになる。みんなと一緒の文化はここから始まっていたのだった。
田んぼ1年生が生意気なことは言えない。
田植えの後は月1回程度、田んぼの周りの草刈りは欠かせない。夏は暑いので7時頃から作業に入り10時に終了。川へ行ってパンツ1枚で水浴びをし、お昼を食べ、昼寝をして3時に作業を再開し、5時には終わる。集落の共同管理の土地、道路脇、水路に溜まったゴミ掃除と、百姓の仕事は終わりがない。
毎月1回のペースで田んぼの周りの草刈りをする。植えた苗は活着し、元気に伸び青々としてくる。こうなれば畝が曲がっていたのも見えなくなる。そのかわり、稲の高さの凸凹ができてくる。これは肥料の撒き方が均一ではなかったためだ。よく見ると緑の色の濃さの違いもある。もう後の祭りである。手直しは効かない。後になってわかることだが、収量にそれほど関係がないので心配することはなかった。
この年、どうして米づくりを始めたのか不思議でならない。なぜなら、この年は特別な年だったのである。1993年は記録的な冷夏で「平成の米騒動(*13)」が起きた年であった。その結果、政府は世界各国へ米の緊急輸入を打診した。(*13)平成の米騒動=記録的な冷夏となった1993年の米不足と、それに関連する社会現象のこと。この年、米不足による食糧市場の混乱により、政府は各国への米の緊急輸入を打診した。大正の米騒動に対しての名称でもある。
梅雨に入ったものの、梅雨明けは一旦出した梅雨明け宣言を取り消すほど天候が不順だった。僕の田んぼも生育が悪く、きっとあまり収穫は期待できないと覚悟した。
むかしはこの谷だけで千枚の田んぼがあったと言う。ある日これを数えてみたが、何度数えても999枚までしか数えられなかった。あきらめて帰ろうと足元に置いた蓑と笠を取ったらその下に1枚隠れていたというむかしからのお話し。それほど小さな田んぼで区切って使っていたという例え。
どのくらいの収量があるか簡単に調べる方法がある。1本の稲穂に何粒の米が付いているかを調べてみる。この年は86粒が付いていた。それが多いのか少ないのかはわからない。後年、天気の安定した年は250粒が付いていた。
7月頃出穂、出穂とは米となる穂が出て、花が咲くこと。これが花かと思うほど地味なもので緑色のモミの中から雄蕊(おしべ)が出てくるのがわかる。
8月末から9月になると稲穂は黄色くなり、その重さで垂れ下がってくる。「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな(*14)」とはよく言ったものである。(*14)実るほど 頭を垂れる 稲穂かな=稲は実れば実るほど、穂先(頭)が低くなり、下がっていくもの。ここから、偉い人は偉くなるほど謙虚であるという意味がある。さて、人の世は……。
通常なら8月になると田んぼに入っていた水を止め、田んぼを乾かし、稲刈りがスムースにいくようにするのだが、この年はそうはいかなかった。雨が多く、曇天続きで田んぼはちっとも乾いてくれなかった。
9月に入り、これ以上待ってはいられなかったので稲刈りを決行した。通常なら田村さんのコンバイン(*15)で刈ってもらえるのだが、田んぼがぬかり重い機械が入れないのである。仕方なく古いバインダー(*16)を持ち出しての稲刈りとなった。(*15)コンバイン=稲の刈り取り、脱穀、選別などの作業を一台でできる農業用の車輌。(*16)バインダー=稲の刈り取りをしつつ、適量の稲を結束することができる農機具。
田村さんは当時役場の職員。週末は作業の指導をしてくれるが、ウイークデイはひとりでやらなくてはならない。どうしてもわからないときは役場の田村さんを訪ね相談した。また、当時は田村さんのお父さんがいらしたので聞くこともあった。
そぼ降る雨の中、ひとりで刈り取る、何とも悲しい作業だった。コンバインなら機械の中で脱穀し、溜まったモミを布袋に入れトラックへ運び、乾燥機へ入れる。しかしこれは稲がある程度乾燥していることが必要なのだ。この年の冷夏は米作り1年生の僕には優しくしてくれなかった。
コンバインはぬかるんだ田んぼに入れない。一株ずつバインダーで刈り、それでもぬかるんでいるところは手で刈ることになる。雨で倒伏した稲は水を吸い発芽し始めているものもあった。
刈った稲の束ははさ掛け(*17)をしなくてはならない。稲を乾燥のためにかけるはさを作ったこともない。どうやって作るのかも知らない。となり近所の田んぼに作ってあるはさを見て見よう見真似で作り、稲を掛けた。(*17)はさ掛け=「はさ」とは「稲架」とも書き、刈り取った稲を掛けて乾かすために作られる設備のこと。たいていは稲刈りが行われた田んぼに竹で足を組み、長い竹を横木として渡す。そのはさに稲穂を掛けることが、はさ掛けである。
はさ掛けをして稲を乾燥させる。束ねた稲をここまで運ぶのも田んぼがぬめっているとこれも大変な作業だ。稲穂を下に向けて掛け、水が染み込まないように稲の切り口をビニールで覆う。こうしておくと稲の茎の部分にまだ残っている栄養分が米に溜まり、登熟するという。みなそう言うが本当のところはよくわからない、と僕は思う。
翌日、稲を掛けたはさは見事に壊れていた。涙が出た。初めから作り直しだ。
こんなひどい仕打ちを受けながらも稲刈りを終え、収穫ができた。どのくらいの量できたか定かには覚えていないが、このハトムナイの棚田の平均は反あたり8俵くらいとすれば面積からその80パーセント、冷夏の影響で50パーセント、素人でそのまた80パーセント。
<1俵60kg x8 x80%x50%x80%=153.6kg (2・56俵=5.12袋)>
紙袋で5袋(*18)の米ができたと考えられる。(*18)袋=玄米や精米を入れる専用の袋。「たい」と読む。1袋は約30kg。
この年、政府は米の緊急輸入をしたが東南アジアの備蓄米はすべて長粒種(*19)、いわゆる外米である。これがことごとく日本では嫌われた。粘り気がない、パラパラだ、挙げ句の果ては臭いと。日本中がパニックになった。(*19)長粒米=粒の細長いインディカ米のこと。日本のずんぐりとした米は、ジャポニカ米。
しかし、僕は5袋の米を持っている。ジャポニカ種だ。我が家ではこの年、まったくお米に不自由はしなかった。外米は口にしないばかりか、親戚、友人にも”素人米”を配った。
苦労して作った「キヌヒカリ」を精米し、我が家で新嘗祭(*20)を執り行った。おかずは塩鮭、豆腐とお揚げのおつけ(*21)、白菜とキュウリのお香こ(*22)。(*20)新嘗祭=「にいなめさい」「しんじょうさい」とも。古来からの神事で、宮中儀式のひとつ。新米、新穀を神々に供える。(*21)おつけ=ご飯に添えることから吸い物、とくに味噌汁のこと。(*22)お香こ=漬物、香のもの。香香の丁寧な言い方。
田んぼの中で泥との格闘、田植えのむずかしさ、草取りの辛さ、雨との戦い、稲刈りの腰の痛さ、それらすべてを忘れさせてくれる味だった。
(*今回の記事に使用した写真は、この年のものではないことをお断りしておく。なぜなら、初めての作業、悪天候続きでほとんど写真が撮れなかったからである。その後、メンバーを増やし米作りをしたときのものを掲載した)