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【ユーさんの74年_21】中川祐二、74年目のアウトドアノート~“ピーター・ラビット”から始まった僕の英国病

2024.05.22 Wed

中川祐二 物書き・フォトグラファー

 フライフィッシング発祥の国と言われている英国。ここで釣りをするなんて、とても敷居の高いことだと思っていた。ところがやりようによっては低価格で川を独り占めなんてこともある。
 この50年間、どのくらい海外へ行っただろうか。もちろん仕事で行くのだが、僕の仕事はアウトドア関係の取材がほとんど。まあ言ってみれば遊びの現場へ行って、その遊びを体験しながらレポートするというパターンが多い。周りの人から見ると遊びに行っているようにしか見えない。本人はいたって真面目に仕事をしているつもりなのだが、家族にさえ理解してもらいにくいことも多々ある。

 振り返ってみると24歳くらいのときにアラスカ・ユーコン川へカヤックを背負って行って以来、何十回と海外へ出掛けている。

 当時はアメリカからのアウトドアのムーブメントがあり、アメリカ、カナダなどへ行くことが多かった。その後、スキーなどの取材で北欧へ行く機会が増え、北欧の人々の清々しさに憧れたこともあった。

 その次が英国なのである。北欧へサンタクロースの取材で夏と冬、同じところへ出かけた。夏に行ったその帰りに、これをついでと言っていいのだろうか、英国へ寄って取材することとなった。まあ、スタッフ分の航空運賃などを考えると、1回の旅で2つ分のテーマをこなしてくれば、それはそれで経費節減、経済であることには違いない。

 自然たっぷりの北欧の旅を終え、北海を跨ぎロンドンの東側からロンドンヒースロー空港へ向かった。かなり低空でロンドン上空を横切るため煉瓦作りの街並み、街路樹の緑が手にとるように見えた。

『メリー・ポピンズ(*1)』の中で空から見たロンドンの風景と同じだった。その街の中をクネクネと川が見えた。テムズだ。川の中をいくつかのムカデのようなものが流れていた。後で分かったことだが、テムズの中流で練習をしていたエイト(*2)などのボートだった。
(*1)メリー・ポピンズ=“Mary Poppins”。1990年代初頭のロンドンを舞台にしたアメリカの実写版アニメーション・ミュージカル。原書はイギリスの児童文学作家のパメラ・リンドン・トラバースによる『メアリー・ポピンズ』。ウォルト・ディズニーが制作を担当し、ディズニーを代表するファンタジー映画として名高い。挿入曲に『チム・チム・チェリー』など。(*2)エイト=競技用ボートのひとつで8人の漕手と、コックスといわれる舵取りを担当するひとりの計9人が乗り込んで漕艇する。イギリスはボート競技の生まれた国。ヘンリーレガッタは、1839年からテムズ川で行われる伝統の競技。
 空港を出た僕たちはロンドンに関してはまったくの初心者。このど素人たちはロンドンの交通事情がわからない。そこでまずタクシーに乗った。そう、あの黒いでかいブラックキャブだ。助手席にトランクを積み、手荷物だけ持ち後ろの席へ。中は広々とし、向かい合わせにシートがあり5人は座れる。

 後で分かったことなのだが、ロンドンタクシーの運転手は道の名前とハウスナンバーを言えば確実に連れて行ってくれる。それほど訓練されているという。さらに料金の支払い方法にもロンドンスタイルがある。荷物を下ろし運転手側へ回り、窓からお金を払うということを教わった。

 先にロンドンに入っていたスタッフと会い、打ち合わせをし、翌日から地方へと旅に出た。今回は世界でいちばん有名なウサギ、”ピーターラビット(*3)”と、その作者ビアトリクス・ポター(*4)の生涯を探る旅だ。
(*3)ピーターラビット=“Peter Rabbit”。著者であるビアトリクス・ポターが、友人の息子宛に書いた絵手紙が原型となるキャラクター。ピーター・ラビットは、1902年に『The Tale of Peter Rabbit(ピーターラビットのおはなし)』が刊行されて以来、シリーズ化され、世界的に親しまれる絵本となった。その累計部数は2億5,000万部を超えているといわれる。(*4)ビアトリクス・ポター=“Helen Beatrix Potter” 1866-1943 イギリスの絵本作家。『ピーターラビットのおはなし』を発表後、その創作期間は十数年と短かったものの、世界的なキャラクターを世に生み出している。絵本作家としての一面のほか、イギリスの湖水地方での自然保護活動や畜産業にも多くの時間を割いた。設立間もないころのナショナル・トラストへの支援も、彼女の業績のひとつ。
自然に対して鋭い観察眼を持ち、その結果が世界一有名なウサギを産んだ。

 この僕が世界的に有名なピーターラビットに関する写真を撮るなどというと、皆そのギャップに違和感を感じることと思う。皆さんが思う前に本人が違和感を感じての撮影旅行だが、スタッフがむかしからの気の置けない仕事仲間だったこともあり、寄り道をして英国へ降り立った。

 遠くにあってもなんとなく親しみのある国、格調高くもあり、伝統、しきたりが面倒くさそうで不思議な国、実際の英国がどんな国なのか、知りたいという好奇心もありこの仕事に参加した。

 スタッフは編集企画の土屋多弘(*5)氏、作家の塩野米松(*6)氏、通訳兼案内で現地スタッフの木村征二郎(*7)氏と僕の四人。仲間とは言え、みな僕より年上、経験豊富な先輩たちである。
(*5)土屋多弘=編集プロダクション「ティーズパブりシング」経営者・編集者。求龍堂グラフィックスのシリーズは土屋氏の企画によるもの。取材移動中、車内であまりに暇なのでトラックに書かれた文字、交通標識など声を出して読む癖には閉口した。(*6)塩野米松=作家。1947年、秋田の生まれ。『昔の地図』『ペーパーノーチラス』などで芥川賞の候補に。『失われた手仕事の思想』『木の教え』(草思社)や『最後の職人伝(手業に学べ)』(平凡社)など、伝統文化の記録に取り組んだ著作も多い。英国への旅にはほとんど同行し、共に調査研究に参加した。地質・歴史調査(Fossils Hunting=化石拾い)、魚類生息調査(Fly Fishing=毛鉤釣り)、地域食材探索(Local Food Investigation=食べ歩き)など。ただし、現地人との交流、自動車の運転、その他の交渉ごとには一切拘らず中川に任せ、助手席でナビゲーション、また優れた記憶力で辞書の役目に専念した。(*7)木村征二郎=中国南京市生まれ帰国後、山形県米沢市で育つ。ホテル専門学校を経て渡欧。アフリカ、フランスを経由し英国に定住。テクニカル通訳として活躍。2012年逝去。

 とくにキムさんと呼ばれている木村征二郎氏とは今回が初対面。彼はロンドンに数十年暮らし、完璧なイングリッシュを話すベテランのテクニカル通訳である。彼のことは追って項を改めお話しすることにしよう。
これはある釣り宿の離れの建物。ここは茅葺き屋根が多く残る地域で、このタイプの建物の壁は厚さ30センチほどの土壁のことが多い。断熱効果があり、夏でも涼しく冬暖かい。
 まあ、いい歳をしたおっさんたちが人気者のウサギの足跡を追いかける旅だ。まず湖水地方のニア・ソーリー村にある作者、ビアトリクス・ポターが晩年住んでいた家、ヒルトップを訪ねた。

 当時はまだ日本人観光客はほとんどいず、撮影も簡単にすることができた。

 その後、何度かこの辺りを訪ねるチャンスがあったが、狭い国道にヒルトップ見学の列ができ、最後尾にプラカードを持った人が立ち、最近のラーメン屋のような状態になっていた。

 さらに、近くのティールームの前には、いかにも不慣れな人が書いたと思われる急ごしらえの手書き看板に「茶」と日本語で書かれていたのにはびっくりさせられた。

 こんな現象を起こしたのは僕たちのせいもあり、地元の方々には迷惑をかけているのかなと肩身が狭くなる思いもあった。

 ポターが結婚して住んでいた家や、図書館に保存してあったポター自筆のキノコの細密画などを撮影した。この細密画は僕たちの本が最初の掲載となった。
スケッチをすることが得意で、キノコの学会に論文を提出するほどの研究心があった。
 ポターが初めて作った本、代表作でもある『ピーターラビットのおはなし(*8)』は家庭教師をしていた子供に書いた絵手紙をもとにしたもの。その後書かれた23冊の動物の話は35カ国で出版され児童文学の代表作となった。
(*8)『ピーターラビットのおはなし』=1902年10月、イギリスのフレデリック・ウォーン社で刊行された絵本。ビアトリクス・ポター著。文章と挿画も彼女が手掛けている。原初となるのは、1893年にポターの元家庭教師だった女性の5歳の息子のために描かれたもの。その後、ポター自身による改定および自費出版を経て、1902年に商業出版された。物語は、擬人化されたうさぎの家族の話。いたずら好きのピーターラビットが、マクレガーさんの庭で見つかってしまい、追われるものの……。以降の内容は、ぜひとも久しぶりに読み直して欲しい!

 ポターは湖水地方のニア・ソーリー村、ヒルトップ農場を購入し、動物のお話を書き続けた。これらの印税を自然保護のため土地や建物を購入し、ナショナル・トラスト(*9)を援助した。
(*9)ナショナル・トラスト=“National Trust”。1895年に設立されたイギリスの民間団体で、自然保護や歴史的建造物の保存を目的に活動をする。保全や管理のもととなる手段は、寄贈や買取など。ピーターラビットの生みの親、ビアトリクス・ポターも、遺言によりナショナル・トラストに自身の土地を寄贈している。広義では、同じような活動をする組織や運動を指すこともある。

 ポターの死後、遺灰はヒルトップ農場に散骨されたがポターがそれを秘密にさせたため、それがどこなのか誰にもわからない。

 ともすれば絵本作家として脚光を浴びてはいるが、湖水地方特有の羊の保護、育成、自然保護への尽力など、現在の英国の緑は彼女のおかげであり、僕たち旅行者が必ずお世話になっていると言っても過言ではない活動家だったのである。

『ピーター・ラビット』が終わり上梓した。すぐ次に始まったのが『ピーター・パン(*10)』だった。またしても英国だ。その次は『クマのプーさん(*11)』、『マザー・グース(*12)』もちろんこれらも英国の話。ほとんど同じメンバーで英国中を走り回った。
(*10)『ピーター・パン』=イギリスの作家、ジェームス・マシュー・バリーによる『ピーター・パン;大人にならない少年(Peter Pan;or,the Boy Who Wouldn’t Grow Up)/1904年刊』および『ピーターとウェンディ(Peter and Wendy)/1911年刊』で描かれた空想上のキャラクター。空を飛ぶことのできるピーター・パンがネバーランドで冒険をするストーリーは、ご存じのとおり。(*11)『クマのプーさん』=イギリスの作家、A・A・ミルンによって書かれた児童小説。原題は『Winnie-the-Pooh/1926年刊』。ハチミツが大好きなクマのプーさん、ロバのイーヨー、ピグレットにティガーなどたくさんの仲間たちがクリストファー・ロビンと過ごす森の日常を描く。(*12)『マザー・グース』=“Mother Goose”。本来は、イギリスで古来から伝わってきた童謡の総称とされる。「マザーグースの歌」とも。長い歴史のなかでさまざまな童謡、歌謡が歌い継がれ、イギリスのみならず、アメリカなどから世界中へと広がった。童謡だけでなく、実在の人物や物語としても伝承されていることが多い。
(上)英国の田舎にはまだこのような藁葺き屋根の建物がたくさん残っている。藁で葺いた屋根に刈り込みハサミで模様をつけ、さらに鳥が藁を持って行かないようにネットを被せている家も多い。(下)プーさんの棒投げ橋。橋の川上側から木の枝を流し、川下側で誰の枝が先に流れてくるかと遊んだ橋。
 毎回取材旅行を終え、溜まり場であるロンドンの木村氏宅へ戻り、取材班はそのまま帰国するのだが、一人僕だけ残り、新たにレンタカー(*13)を借り直しさらに1~2週間の旅に出た。
(*13)レンタカー=レンタカーは日本語。英語では“rental car”または、“rent-a-car”。イギリスでは、“hire car”または“car hire”ともいう。
 それは取材旅行の途中で見た不思議な光景を確かめたくて、プライベート旅行を追加したのだ。そのひとつは運河を航行するナロウボート(*14)である。
(*14)ナロウボート=イギリス国内に網の目のように張り巡らされた運河の水路を効率よく移動するための交通手段のひとつ。ナロウは“narrow”。つまり、細いを意味する言葉。その文字通りに、幅が狭く細長いかたちをしたボートのこと。
 僕は船が好きだ。カヌーを作り、カヤックを所有し、ディンギーさえ持っている。スカルだって漕いだこともある。まあこれはあまり関係ないが、船というものをずいぶん見ているつもりだった。だが、このナロウボートは見たことのないデザインなのである。そしてこのナロウボートが山を登るということを知りびっくり。
日本の軽自動車は農道の幅から作られたと僕は思っているが、このナロウボート、ロック(閘門)や橋梁、トンネルの幅から設計されたもの。どんな大きさの船も幅は7フィート(2.1メートル)。大きくするにはこの幅はそのまま、長さを長くするため初めてこの船を見た僕の目には変わったデザインの“変な船”に写った。もともとは荷役船として作られたものだが、現代はレジャー用。“運河を走るキャンピングカー”として楽しまれている。
 さらにその運河で恐ろしく長い竿でほんの10センチほどの魚を釣るポールフィッシング(*15)。川で楽しむセーリング。英国が発祥とされるフライフィッシング。

(*15)ポールフィッシング=竿を振って釣りをする「ロッド」ではなく、竿を前後にスライドさせて操作する長い「ポール」を使った釣りの手法。遠くのポイントにピンポイントに針を落とすことができる。

 また、僕が30歳の時に知ってしまった少年冒険小説の作家、アーサー・ランサム(*16)の足跡を追いかける旅の話など、この後しばらくは英国の不思議を解明していくこととしよう。
(*16)アーサー・ランサム=“Arthur Ransome” 1884-1967 イギリスのジャーナリスト、作家。『ツバメ号とアマゾン号(Swallows and Amazons)』をはじめとする冒険小説シリーズで知られる児童文学作家である。英対外情報部MI6に所属していたことが伝えられている。
英国関係のグラフィックスシリーズを手がけたお陰で見事『英国病」におかされ、いまだに回復をしていない。特効薬が見つけられず現在に至っている。


木村征二郎氏のこと

 30年程前、ピーターラビットの本を作るにあたり同行してくれたのが木村征二郎さんだった。おかっぱ頭で彫りが深い顔に小さな丸いレンズが貼り付けてある大きなメガネをかけていた。つまり老眼用の刷り込みレンズがまだできない頃のものだ。だから手元を見るときはメガネを動かしたり、顔を動かしたり、大変な作業をして文字を読んでいた。
 その仕草がおもしろく、また、外国に長く住んでいた人にありがちな女言葉を使ったり、昭和初期の言葉が会話の中にたくさん出てくるのもおもしろかった。
 まあ、木村征二郎さんのことは改めて別項でお話ししようと思っているが、何度か訪英した後、魅力的な木村さんに僕の叔父になってもらえないかとお願いした。
 快く引き受けてくれ、それ以来、木村征二郎と中川祐二は叔父・甥の関係となり、キムさん、ユーさんと呼び合うことになった。まあ、仲のいい叔父ができ、訪英のときはいつも気楽に”B&B”が使えるようになったことで、僕の訪英回数も増えた。

中川祐二 物書き・フォトグラファー

“ユーさん”または“O’ Kashira”の 愛称で知られるアウトドアズマン。長らくアウトドアに慣れ親しみ、古きよき時代を知る。物書きであり、フォトグラファーであり、フィッシャーマンであり、英国通であり、日本のアウトドア黎明期を牽引してきた、元祖アウトドア好き。『英国式自然の楽しみ方』、『英国式暮らしの楽しみ方』、『英国 釣りの楽 しみ』(以上求龍堂)ほか著作多数。 茨城県大洗町実施文部省「父親の家庭教育参加支援事業」講師。 NPO法人「大洗海の大学」初代代表理事。 大洗サーフ・ライフセービングクラブ 2019年から料理番ほか。似顔絵は僕の伯父、田村達馬が描いたもの。

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