- 料理
「草でも食ってろ」だって?望むところさ!「裏側の春」の野草を食べる
2017.12.20 Wed
藤原祥弘 アウトドアライター、編集者
びっくりするほど野菜が高い。棚に伸ばしかけた手を思わず引っ込めちゃうくらいに高い。
その日、私はスーパーでひき肉の特売に遭遇した。「今夜のおかずは餃子だな!」とひき肉をカゴに入れて野菜売り場に向かうと、キャベツも白菜もニラも雲上人向け価格であった。
なんということか。近所で一番安いスーパーの野菜売り場はワームホールで成城石井につながっていたのである。……なんてことはもちろんなくて、安いスーパーでも葉物の野菜は気合を入れないと手が出せない値段になっている。
季節的な問題や秋の台風で産地リレーが壊れたこともあるのだろう。しかし考えてみれば、この数年のあいだ野菜はずっと高いままだ。
10年ほど前まで、ニラは1束70円程度だったと思う。ここ最近は安くても100円より安く売られているのを見たことがない。野菜ばかりじゃない。米も小麦粉も値上がりする一方だ。
「草でも食ってろ」というネット上の捨てぜりふが、毒を持った笑いとして受け取られるのは「そのへんの草を食べる」という状況が現実味を帯びてきたからなのかもしれない……。
野菜売り場で途方に暮れかけたそのとき、私の心のなかのマリー(※アントワネット)がささやいた。
「野菜を食べられないなら、野草を食べればいいじゃない!」
おお、マリーにしてはいいことをいう! とやってきたのは近所の河原。ええ、前置きが長くなりましたが、今回は冬の摘み草の話なんです。
背丈ほどまで茂っていた草が霜げる晩秋から初冬にかけて、河原にやってくるのが「裏側の春」。日の長さや気候が早春に似ているこの時期には、秋までほかの草に覆い隠されていた食べられる野草が再び若芽を伸ばす。これが「裏側の春」だ。
この言葉を教えてくれたのは野生食材の採集と調理をライフワークにしている蜂須賀公之さん。ちょっと検索したものの「裏側の春」では1件もヒットしなかったので、この言葉は蜂須賀さんのオリジナルなのかもしれない。しかし、透明感のある斜光に若草が透ける光景はまさに春。厳冬期をはさんで春の反対側のタイミングで訪れる、束の間の穏やかな季節を表すのにぴったりの言葉だと思う。
蜂須賀さんの『ハチスカ野生食材料理店』。出かけた先で出会った野生の食材で料理を作るさまを軽妙なエッセイにまとめている。「裏側の春」を食べる話も収録。
水が伏流するときに地熱を蓄えるのか、裏側の春は河原のなかでも水際で強く感じられる。青い草地を歩いて行くと、いかにも食べられられそうな株を発見。ピリリと辛い風味のセイヨウカラシナだ。春は上に向かってぐいぐい茎を伸ばすが、今の時期は地面に這いつくばるように葉を広げる。
並んで生えているのはセイヨウアブラナ。こちらも食べられる。セイヨウアブラナとセイヨウカラシナは近縁で交雑するらしい。この2種の間だけでなく、栽培されているアブラナ科の野菜とも混じるようで、河原には葉の丸いアブラナ風からギザギザしたカラシナ風まで、無段階に「アブラナ科の何か」が生えている。
少しかじってみるとカラシナはその名の通り辛く、アブラナは白菜の外側の葉っぱをよりエグくしたような味が広がる。採集はどちらもまだ柔らかい新芽を摘み取る。
ぶらぶら歩けば、そこここにアブラナ科以外の食べられる草も生えている。こちらも量が集まりそうなものを適当に採集する。
左上から時計回りにクコ、ノビル、ミント、ニラ。都市近郊の河原でよく目にする面々だ。
勝手知ったるポイントであれば、裏側の春に食べられる野草を探すのは難しくない。ほかの草が枯れ落ちているぶん、春よりも探しやすい場合もある。しかし、「アブラナ科の何か」は、春と冬では草の雰囲気がちょっと変わる。また、生育の状況によっては毒のあるスイセンなどがニラそっくりになることもある。裏側の春を楽しむなら、春に採集したことのある場所がおすすめだ。同定に自信がない場合は、野草は採集しないほうがいい。
収穫物。左下のギザギザした葉がセイヨウカラシナで右隣がセイヨウアブラナ。上はノビルとクコ。
家に帰ってささっと作ったのはアブラナとひき肉の炒め物とカラシナのおひたし。ノビルは少量をさっとゆがいた(ノビルは食べ過ぎると頭痛や胸焼けを起こすことがある)。
野菜としても売られているカラシナは、さすがに野草離れした実力を発揮。アブラナはちょっと硬かったがおいしく食べられた(時期が少し遅かったかも)。ノビルは粒こそ小さいが、春よりアクが薄く食べやすい。
「裏側の春」が楽しめるのはあとわずか。最初の降雪や強い冷え込みに当たるとこれらの野草も勢いをなくしてしまう。
「そういえば、いつも春に草を摘んでる土手が緑色になってたな」なんて思い当たる人は、お早めに採集を!