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【ミステリーランチ】齊藤大乗×Beartooth 80 —— 歩荷のプロフェッショナルは僧侶だった。

2022.05.11 Wed

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宮川 哲 編集者

 レプン-シリ。アイヌの言葉で、レプンは「沖の」こと、シリは「島」のことをさす。その言葉の音節に「礼文」の文字をあて、「島」をあてた。この島の最果て、北の外れにほど近い地に船泊という集落がある。ここに、めざすべきひとりの男が住み暮らしていた。
稚内の西方60kmの日本海上に浮かぶ礼文島は、水平線の上に薄くこんもりとその陸地を立ち上げていた。すぐ近くの利尻山は天を突かんばかりの鋭鋒で、対照的な礼文の地形は逆に目を惹いてしまう。言わずと知れた花の島。短い夏にはさまざまな固有種が咲き乱れ、多くの観光客が訪れる。ただ、取材時は冬の一歩手前。晩秋の礼文は果たして、どんな表情を見せてくれるのだろう。
 彼の名を齊藤大乗という。大乗という名のとおり、日々、寺での修行に励む僧侶である。しかし、僧侶でありながらヒマラヤにも登る。モールス信号を理解し、アニメの監修も務め、有事の際には即応する予備自衛官でもある。

 もはや、頭の中にはクエスチョンマークだらけであるが、彼がいまもっともハマっているのは歩荷仕事だという。そして、日本でも有数のミステリーランチの使い手である。齊藤大乗、彼はいったい何者なのか……。謎を解くべく島へと渡り、その最高峰・礼文岳への細道をともにしながら、話を聞いてみた。

 冬も間近な晩秋の礼文の風景とともに、齊藤大乗の人となりに迫るべく敢行した、ロングインタビューをお送りしたい。



本業は僧侶です。
 僧侶です。名前は齊藤大乗といいます。大乗仏教の大乗からきています。実家が日蓮宗の寺なので、そこから。僧侶のほかにも、たくさんの仕事をしています。まずは、物書き。そして、即応予備自衛官という陸上自衛隊の予備役ですね。ほかには、歩荷もしています。歩荷で日本中のあちらこちらの現場に呼んでもらって、大きな荷物を運んでいます。あとはラフティングガイドやスノーボードインストラクター、ときどき登山のインストラクターなんかもやっています。あるいは、アニメの方で軍事監修という仕事も。

 生まれは、旭川です。育ちは礼文島。そこで18年を暮らし、進学で山梨の身延山へ。日蓮宗の大学なのですが、4年間通いました。卒業後は1年ほどインドを放浪して、帰国後に自衛隊に入りました。自衛隊では最初は横須賀で、そのあと木更津駐屯地でヘリコプター部隊に勤務。トータルで5年です。自衛隊での勤務後は、山梨に戻りました。そこで、ラフティングガイドやスノーボードインストラクターの資格を取って活動をしていました。
ミステリーランチのベアトゥース80を悠々と担ぐ齊藤大乗。礼文岳への緩やかな登りをともに歩き、さまざまな話を聞いた。彼にとっての礼文岳は、子どものころから慣れ親しんだ遊び場でもある。
 大学卒業後にインドに行ったのは、ちょっといろいろと見てみたいと思ってのこと。と、言えばかっこうよさそうですが、じつは、ただのプー太郎ですよね。父親がそれを見ていて、時間があるんだったらインドでも行ってこい、みたいな感じで送り出してくれました。宗教に絡んでの海外布教なんかではなく、スラム街とか貧困とか、そういうカーストの現実を見てみたかった。それが引き金になったのかどうか、インドにいるあいだに自衛隊に行ってみようと思いついたんです。いままではお坊さんの勉強をしてきたのですが、それ以外のことも知っておくべきだと考えたんでしょうね。真逆の思い付きみたいなものだったかもしれません。それなら、もう手っ取り早く自衛隊に行ってみようとね。
取材を実施したのは2021年の10月14日。隣の利尻山ではすでに初雪の便りもあったらしく、季節はまさしく冬の入り口。花の島が今年最後の彩りを添えるべく、朱に赤に黄色に色づいていた。
 日本に帰ってきて、自衛隊の試験を受けました。陸上自衛隊と航空自衛隊の試験をいっしょに受けて、両方とも受かったんです。それで、募集担当の人にどっちの自衛官になりたいのかと聞かれ、陸上自衛隊を選びました。航空自衛隊は専門職なんですよね。職人を育てていくのが航空自衛隊で、陸上自衛隊の場合は広く浅くなんでもできるということで。ぼくはむかしから、何かひとつのことばかりやっているとダメなんです。飽き性で。
 
 はじめは、訓練で横須賀に行きました。武山駐屯地で最初の3ヶ月間は基礎教育を受け、そのあと配属が決まります。木更津駐屯地だったのですが、そこには陸上自衛隊なのにヘリコプター部隊がありまして。意外とみなさん知らないのですが、ヘリコプターを飛ばすのは航空自衛隊だけじゃないの? みたいなことをよく言われるんですけどもね。陸上自衛隊にもあるんです。ヘリコプターを希望した理由は単純でした。好きだったから。たとえば、ヘリコプターよりも戦闘機のほうがうつくしい、きれいなんですが、でも、ヘリコプターはなんかどこか人間味のある、そんな格好のよさがあって。

 その後、ヘリコプターの勉強を続けていい成績で卒業したのですが、今度は上官から「お前、通信を習ってこい」と言われてしまいました。自分では適職ではないと思っていたのですが、適性診断みたいなのも受けたときに、ヘリコプター整備の適性といっしょに通信の適性もあったみたいなんです。そのとき、ぼくは希望をしているへリコプターの機種の整備ができないのなら、どこに行ってもいいと書いたようなんです。志望理由書に。上官にしてみれば、書いてあるじゃないかってことですよね。

 それで木更津の次は、習志野駐屯地です。ヘリコプターでいえば日本でいちばん強い部隊に、モールスの修行に行ってきました。そこでまた3ヶ月間、モールスの勉強をして、最終的にはまた木更津に戻ります。でも、これは役に立ちました。有名なアニメのシーンのひとつに、モールス信号を打つ場面が出てくるんです。「ある日、少女が空から降ってきた……」というあれです。たぶんどの映画か想像が付くかと思いますが、じつは子どものころから気になっていたんです。あのモールスはどんな意味があるのだろうと。それがわかったときは、少し興奮しました。種明かしをしちゃうと、テレビで放送されたのは、たぶん放送法の関係なんかでSOSが打てないんですよね。だから、無意味文になっていました。でも、劇場版ではちゃんとSOSを打っていました。
ヘリコプター好き、アニメ好き、用具好き……さまざまな好きが生まれる齊藤大乗の秘密基地。マニアならではの資料に埋もれた彼らしい部屋の佇まいである。
 このモールスの能力は、ぼくのその後にも役立ちました。自衛隊を辞めたあともアニメの監修の仕事なんかで、モールスが合っているのかなどをチェックさせてもらいました。なんで自衛隊とアニメがと思うかもしれませんが、じつはつながりがあるんです。作品のクオリティを上げるためにアニメーターや漫画家が、自衛隊に見学にやって来ます。そんな機会がたびたびありました。ちょうどぼくの所属していた部隊で応対していたこともあり、そこでアニメの監督とかアニメーターと知り合って、除隊後に声が掛かったんです。この監修、少し手伝ってくれないかと。

 これがアニメの世界とのつながったきっかけですよね。正しい情報をしっかりと載せるられるように、監修としての仕事ももらっています。いままでやってきたのは、キャラクター化された女の子たちが戦うアニメとか。ちょっとマニアックなものですが、自衛隊にいたことが、いまの糧になっているのはうれしいことですよね。金銭的にというよりも、人と人のつながりがおもしろいように展開して行って。
自衛隊で培って来た特殊な技能は、軍事アニメーションの世界へとつながっていく。本棚には、アニメーターや監督からの直筆のイラスト入り色紙も。右は、大乗がモールスの監修を手がけた一冊。
3.11での歯痒い想い
 話は変わりますが、自衛隊に所属していたときに、3.11がありました。入隊した翌年でしたね。ぼくのいた木更津駐屯地も津波で被災したのですが、翌日には派遣命令を受けて東北に行きました。ただ、ぼくがいたのは作戦本部みたいなところでした。いろいろなモニターで現場の状況を見てはいたのですが、自分の階級が低いのと、作戦本部ということで実働部隊ではなかったんです。本部自体が指令を出すところだったので、ぼくの仕事はほぼ何もなく、ただ見ているだけという具合でした。

 自衛官としての仕事もできないし、ボランティアなんかもできません。ちょっと悔しさもありましたが、いまになって思うのは、そういう歯痒い気持ちを抱えながらも、あの震災の一旦を自分の目に刻み込めたのは大変貴重な時間だったのだろうと。この経験も、いまの自分をつくっていると思います。

 震災からあとは、ヘリコプターの無線の傍受の仕事をずっとやっていました。自衛隊を辞める1年前でしたが、今度は木更津のいちばん偉い人の世話係、伝令という仕事に就きました。ぼくが辞めるつもりだと知った上官が、どうせ辞めるんだったら自衛隊のなかでいちばんきびしい業務を経験して、たくさんがんばってから気持ちよく辞めてこいと。半ば強制的でもありましたけど(笑)。それまでも、傍受の仕事は気をつかったりするし、朝早く夜遅いということで、木更津では意外と忙しい業務だったのですが、もっときびしいだなんて……。それで、庶務室というところに行きました。当時、木更津でいちばん偉かった人なのですが、除隊後もつながりがありまして、よく手紙をもらったりしています。

 いまは、予備役を続けています。自衛隊を退職してほかの仕事に就いていたとしても、年間30日間の訓練をすることで予備自衛官になれるという制度があります。ぼくの場合は、就職というよりは自営業なので比較的に自由にできる時間があります。なので、有事のときには動けるようにと、志願しています。一応、予備自衛官なんですけれど、有事とか震災が起こったときはふつうの自衛官として扱われますね。

 自衛隊を辞めたあとは自営業ということになるのですが、2年と少しのあいだは、富士川でラフティングのガイドの仕事に就きました。ラフティングガイドは夏だけで、冬はスキー場に所属してスノーボードのインストラクターをやっていましたね。このあと、山にもずいぶん通うことになるのですが、山とのつながりも話しておきますね。
礼文岳への最後の登りは、笹原の中の一本道。山頂直下はそこそこの急登となる。花の島ではあるが、さすがにこの時期は花はほぼなく、その代わりにとびきりの紅葉が足元を彩ってくれる。
 山自体は子どものころから通っています。父親も日蓮宗の僧侶ですので、日蓮宗といえば、山梨の身延に七面山という霊山があります。そこで、父親の背中におんぶされながら毎年登っていたみたいなんです。だから、もともと山に対しての抵抗感はなかった。そんなベースができていたからかもしれませんが、自衛隊に入隊して木更津駐屯地にいたときに、隣の部屋の先輩が顔を合わせる度に山に行くぞって、お経のように言い続けてくれたんです。半年ほど聞かされ続けて、そこまで言うんだった山に行きましょうかと、それで最初に登ったのが八ヶ岳でした。夏ですが、阿弥陀から赤岳、横岳を縦走して。日帰りでしたけどね。かなりハードな行程でしたが、汗をダラダラ垂らしながら、こんなにきれいなところがあるんだと感動しながら登ったのを覚えています。それからハマってしまって、翌週にはひとりで甲斐駒の黒戸尾根に行きました。 

 しばらくしてその先輩から、今度はアイゼンを買ってこいなんて言われまして、そのまま11月の谷川岳に行きました。天神尾根のノーマルルートでしたが、トマの耳とオキの耳に登ってきましたね。でも、そのときはもう装備が貧弱で、手袋も何にもなくって。アイゼンの付け方もわからない。歩き方もわからないっていう、散々な目にあったんですけども。いま考えれば、かなりヤバいですよね。そんなこんなで、はじめての雪山は最高にきれいでした。そのときは25歳。最高に体力もあるし、どこにでも行けるという無敵感はありました。
標高489.8mの礼文岳山頂。登山の起点となる内路集落からは、片道およそ4.5km。現在はほかにルートはなく、復路も同じ道をたどる。往復で4時間半ほど。ただ、内路の登山口はほぼ海抜0mなので標高差は500mに近く、歩き甲斐も十分。
 ラフティングやスノーボードのインストラクターをやりつつも、その次には、物書きの仕事が始まります。自衛隊を辞めたあとに、そこで得た知識や経験をうまく使いたいなと思い立ちまして。友だちにイラストレーターがいるのですが、彼が言うには、米軍は教範を公開しているので、それを翻訳してみたらどうだろうかと。ただの翻訳ではなく、自衛隊用語に変換して本にすれば、役に立つんじゃないかとね。米軍の教範の翻訳自体はほかの人もやっていたようなのですが、ぼくの関係していたヘリコプターの運用方法とか、パラシュート部隊の運用方法とか、自分が自衛隊で経験したしてきたような、自分の知っているところはまだ本にはなっていませんでした。だから、その仕事もはじめました。翻訳は友だちの手を借りながらですが。じつはその屋号は「本管中隊」です。ぼくが所属していた部隊が本部管理中隊だったので、それを略しただけですが。

歩荷仕事ことはじめ
 そんなことをいろいろとやっているうちに、今度は歩荷の仕事が始まります。あの当時、ぼくはラフティングのガイドをやりながら、山梨県の岳心会という山岳会に入っていたんです。そんなつながりから、いま歩荷の人手が足りていない仕事があるから、やってみないかというお誘いを受けました。それが歩荷仕事のはじまりです。

 最初にやった歩荷が、TVシリーズものの山番組のロケでした。登ったのは乾徳山。そのときは、毎日が日帰りで計5日間。宿は最寄りのビジネスホテルでした。歩荷の荷物には、ムービーの三脚とか4Kの大きなカメラがあったりして。荷物を持って山に登るだけなので、そんなにむずかしいことではないのですが、これは重い。さらに、スペシャルな機材ばかりなのでなおさら、コケたらまずいじゃないですか。だから、いちばん最初はもうコケないように必死でした。でも、バックパックが身体に合っていなかった。そのときは自分のものではなく、人に借りたものだったので、ちょっと使いづらかったんです。とても大きくて、シンプルなつくりのいいモデルなんですけどね。
左は歩荷仕事を始めたころの写真。苦楽をともにする歩荷仲間と。右は、3Dスキャン用の特殊な道具。
 乾徳山のあとは5ヶ月くらいは声が掛からなかったのですが、そのときにいっしょに歩荷をやっていた人が、次はどこそこの山があるから行かないかと。それからは、けっこうな頻度で歩荷仕事が入るようになりました。いまではその人は歩荷の先輩ですよね。それも全部、TVの仕事でした。

 そんなことでちゃんと背負わないといけないので、ぼくもインターネットを使って大きくて強いバックパックを探すようになって。手に入れたのが某ブランドの105ℓモデル。使っているときは収納性がとてもよくて、軽量でフレームがあってちゃんと支えてくれていたので、これはいい買い物をしたと思っていました。パックの前面にアイゼンのケースがあったりして、小さな三脚なんかはスパッと入れて運ぶこともできました。

 このパックはけっこう付き合いが長くて、2年くらいは使っていましたね。でも、悲しいことに、突然の別れが来てしまって……。45kgくらいでしたかね、それくらいの荷物を背負っていたら、突然、身体の姿勢がおかしくなってしまったんです。なんか急に体勢が傾いてしまったような具合でした。そのときはなんだろう、なんだろうと思いつつも撮影中はなんとか切り抜けたのですが。家に帰ってよく確認してみると、なんとフレームがボッキリと折れていたんです。これにはまいりました。仕事中にフレームが折れるのはさすがにたまらんということで、また新たなモデルを探すことになったのですが。

ミステリーランチとの出会い
 ちょどコロナが重なったこともあり、歩荷の仕事はバンバンなくなっていたんです。そんなことで時間的な余裕があったものですから、じっくりと探すことができました。そこで出会ったのがミステリーランチでした。このときは、マーシャルです。ハンティングラインのなかでいちばん大きなモデルで、しかもオーバーロードで挟み込みができる。これを購入したのは2019年の4月になります。このマーシャルで3回、歩荷仕事に行きました。
ミステリーランチのマーシャルに出会ってからは、こんな大きくて重い三脚もなんの心配もなく担げるようになった。安定感と安心感が半端なく、思わず余裕の笑顔にもなる。
 でも、ミステリーランチの強さを知ってしまったからか、また次のが欲しくなってしまったりしてね。はい、マーシャルが壊れてるわけじゃないですよ。壊れているわけではないのですが、マーシャルはいちばんサイズが大きいのですが、微妙にマチというか、この横幅が狭いんですよね。狭いとどうなるかというと、たとえば、ドローンが入らない。DJIのドローンでファントムという大きなモデルがあるのですが、それが入らない。そこで、東京に出たときにミステリーランチの直営店に相談に行ったんです。そのときに紹介されたのが、マーシャルよりもマチが広いからいいんじゃないかということで、いま使っているベアトゥース80でした。

 このパックで、あっちこっちの歩荷仕事をさせてもらっています。でも、不都合というほどのことでもないのですが、ジッパーの一部分のアクセスが、もう少し使いやすいといいのになとは思います。ストラップが横にぐるっと回ってテンションを掛けられるようになっているのですが、このストラップを全部外さないとジッパーを下まで持っていけないんですよね。ですので、外さなくてもうまいこと中身を取り出せるようになれば。もちろん、こうしている理由は想像できますよ。現場でジッパーを壊してしまったりという不測の事態でも、ストラップで押さえつけられるようになっているのだろうなとか。

 いままで使ってきたバックパックと比べると、ミステリーランチのパックは背面のクッション性にも無理がなく、フレームが折れてしまうのではというマイナスの感じがまったくないんです。安心感しかないという感じなんですね。だから、歩荷仕事にはもってこいです。

 ただ、このミステリーランチ自体はほかのブランドと比べると値段が高いんですよ。たしかに高い。でも、自分自身が山番組の撮影をやっていて思ったのは、それぞれの現場のプロの人たちは、やはりプロフェッショナルな道具を自分たちで探して選んで購入しているんですよね。中途半端なものを買わないで、本物だけを持って撮影に挑んでいるという姿勢。ぼくはすぐ近くで、彼らのそんな本気の姿勢を見て来たんです。だから、高いからなんだ、という思いも生まれて来て。ぼくも歩荷のプロなんだったら、中途半端な道具じゃダメだなということなんです。高くてもいい、プロが使う道具を探そう、使おうという思いを強く持つようになりました。実際に、ミステリーランチは高くても十分に元が取れるくらいに働いてくれますしね。
礼文岳を登るときに、べアトゥース80でオーバーロード機能を実践してもらった。もちろんTVのロケでもないので、そんなに大荷物ではないものの、プラスアルファで挟み込みができるのはなんとも便利。ふだんから使っているだけに、さすがに手慣れたもの。
 ミステリーランチのオーバーロードはすごくいい機能です。丸太なんかを挟むにはとてもいい。でも、ここだけの話、歩荷のように大きな箱を何個も積み込んで運んだするような場合は、オーバーロード機能だけでは少し運びづらいときもあるんです。そこで、自分だけの工夫が必要な場合もある。まったく別の背負子を使って、ミステリーランチに合体させたりして使うこともあります。ミステリーランチは背負い心地は抜群ですから、そういう状態で使うと、だいたい80kgくらいまではまったく問題なく持てちゃうんですよね。65kgくらいなら余裕もあるくらいです。このシステムなら、不整地でも何時間でも歩けちゃいそうですよ。ゆっくりゆっくりと歩けばね。

 ぼくが自衛隊出なので、やはりそんな訓練があったのかと聞かれることがあります。習志野の空挺部隊でモールスを習っていたときに、空挺用のパックを渡されて、その中に車両に積載する無線機なんかをたくさん詰め込まれて、さらにアンテナも背負わされて、だいたい40kgくらいですかね。その40kgくらいの荷物で、演習場を何時間も歩いた記憶があります。その訓練が自衛隊では、いちばん過酷な訓練ですよ。でも、そのときぼくは歩荷でもなんでもなかったので、もう1時間くらい歩くだけでフゥフゥ、フィーフィーで、もうまともに歩くことなんてできませんでした。結局、先輩に全部背負ってもらいました。いまでもあのときは、いろんな意味で若かったなと思いますね。いまだったら、ミステリーランチがあれば余裕だな、みたいな。自衛隊では、バックパックは選べないのでね。入れてくれればいいのに、とは思いますよね。本当に。

ヒマラヤの未踏峰へ
 2018年に、花谷泰広さん主催のヒマラヤキャンプに参加してきました。ご存じのかたも多いと思いますが、ヒマラヤキャンプの趣旨というのは、かつての海外遠征のノウハウの次の世代への継承です。むかしのマナスル登山をはじめとして、日本には海外登山が文化としてありました。でも最近は組織的登山自体が、だんだんと下火になってきた。海外に行って登山をする場合、やはり現地との調整や荷物の問題など、さまざまなノウハウが必要なんです。いまは、そのノウハウが失われてしまっていることに、花谷さんは危惧を抱いていました。そこで、若い人たちを含め、海外登山をやったことのない人たちを集めて、ネパールの未踏峰の山を登るというプロジェクトを立ち上げたのです。それがヒマラヤキャンプ。ぼくは、それに参加させてもらいました。

 ネパールの東側、ヒマラヤのマナスルの向かいにある山で、パンカールヒマール(6,265m)という未踏峰を目標として計画を立て、準備をして現地に赴きました。そのときは、花谷さんを含めて6人のパーティーで男が5人に、女性1名という編成です。そこに、ネパール人のコックさんでポーター頭といいますか、ネパールのメンバーの総まとめみたいな人と、あとはいろいろと動いてくれるネパールの人たちが全部で9人。ロバが12、3頭と、さらにキャラバンのあいだだけついてくるロバが3頭。あとは、そうですね。キャラバンだけの参加で5、6人のポーターさんもいましたね。そのポーターさんたちもめちゃくちゃ重い荷物を背負っていて、かっこいいなあと憧れの目で見ていました。
2018年の5月、花谷泰広さん率いるヒマラヤキャンプに参加したときの写真。めざすは未踏峰、パンカールヒマール!
 その、パンカールヒマールの登頂には成功しました。準備期間も含めて3週間くらいで、アタック期間は1週間。キャンプは、C1、C2、C3が最終キャンプです。最初は稜線を真ん中に置いて左ルートと右ルートに分けるとすれば、当初計画していたのが左ルートなんです。ちょっと難易度高めではあるものの、すばらしい景色が見られるだろうということで、左ルートに行ったのですが、途中でセラック帯に阻まれてしまいまして。左ルートは断念しました。でも、そのときにはもうアタック期間を1週間使い切ってしまっていた。このままだったら、6人中のうち、強いメンバーだけを選んで登るしかないとなりました。つまり、全員での登頂ができない。でも、みんなで話し合いをして、その選択肢は取りませんでした。一度、全員で下まで降りて、右側の簡単ルートを、速攻で登ろうというような話になりました。

 右側のルートだったら、1日1,000mの標高を上げていけば、たぶん登頂できるだろうと。停滞なしの一発勝負です。本当のところ、けっこうな賭けでもあったのですが、ぼくらは全員が登頂できるのであればという思いと、不思議といけるんじゃないかという、やる気が漲っていましたね。全員で行けるんだったら、もう一回がんばろうみたいなことで。ふつうはベースキャンプは移動をさせないのですが、全部撤収して、麓の村まで3,000mのところまで一気にベースを落として、1日、2日少しだけ準備期間というか、身体を休めてからの再トライです。

 登頂をめざして右側のルートで、もう一回登り始めました。初日は1,000mをうまく上げることができて4,000いくつまで上がって、2日目がちょっとガスってしまって天気が悪くて500mくらいしか上げられなかったのですが、3日目には天気が回復しました。それで目標としていたC3まで一気に標高を稼ぐことができました。また、同時にルートの偵察ということで、山頂まで500mくらいのところまで攻め上がりましたね。
標高6,265mのパンカールヒマールの山頂にて。右から2番目が花谷泰広さん。全員で登頂!!
 これなら明日、うまく全員で登頂できるだろうと。そして、4日目にはみんなで無事に登頂することができました。じつは花谷さんには、いちばん後ろをお願いしたんです。花谷さんが前に立ってしまうと、もう絶対に登頂しちゃうだろうし、それではつまらないから。そんな話になって、花谷さんには、後ろついて来てもらえますかとお願いしていました。で、ぼくも含めた偵察組が先行してルートをつくって、登頂となったわけです。

ベアトゥース80の使い心地
 ぼくがこのベアトゥース80を使っていて、気に入ってるところ何点か紹介します。まず最初に、歩荷の仕事で重い荷物が詰め込まれているときには、ショルダーを持ってよっこいしょと持ち上げることがよくあります。でも、ふつうのバックパックだと長く使っているうちにショルダーがヘタってしまったり、ちぎれやすくなっていたりね。でも、このベアトゥースはちがいます。このメインフレームそのもので持ち上げることができる。てっぺんを持ったり、下のほうを持ったりして、力を最大限使って引き上げることができるんです。とても持ちやすいですね。
このメインフレームが、ミステリーランチの強靭さの秘密。構造上、この部分を持ち上げて背負い込むことができるので、とても安定感がある。
 次に、オーバーロード機能です。もちろんオーバーロード機能がいちばんいいんですけども、ここにTVカメラの三脚を挟むことによって、重心を真ん中に持ってくることができます。ふつうのモデルだと、横のほうに三脚を縦に留めることしかできなかったのですが、このミステリーランチなら真ん中に持ってくることができるので、体がブレることなくまっすぐ歩けるようになりました。重心位置が安定している。それが歩荷のシーンでは、いちばん助かるといったところです。

 あとは雨蓋を固定するために使われているストラップがあるのですが、雨蓋を外したときにこれをきれいに隠すことができます。両方とも隠せます。細かなことですが、よくできていますよね。ただ、ちょっとこれだけは欠点でもあるんですけども、本体のストラップが少し多すぎてしまって。ここがもう少し整理できているとうれしいのですが。このストラップをすべて取ってしまえば、ベアトゥースはガバッと全面を開くことができるんです。バックパックの奥底に衣類やバッテリーを入れてたとしても、簡単に底までアクセスできるようになりますからね。
分厚いヒップベルトには、なんでも引っ掛けられるようにウェビングが縫い付けられている。ここに写真のようにボトルホルダーを付けることもできるし、ポーチを取り付けたりもできる。ミステリーランチにも専用のアクセサリーがたくさんあるので、いろいろと試してみるといい。もちろん、自分自身で工夫してみることもオススメしたい。
 あと、ミステリーランチの大型パックといえば、ウェビングがついています。米軍とかミリタリー系ではよく常識的に使われているのですが、このウェビングにいろいろなものを取り付けることができます。たとえば、軍隊で使っているようなダンプポーチという袋なんですが、こういう大きめのポーチなんかも簡単につけることができます。ですので、ウェビングを使うことで、自分好みにカスタムができるということですね。自分の使いやすいパックのシステムを自由につくることができます。
自分がプロフェッショナルであるなら、やはり使う用具もプロフェッショナルでありたい。ミステリーランチなら、その期待を裏切ることはない。
 これぞミステリーランチだなと思ったのは、やっぱり背面のシステムです。いわゆる一般的な背負子に関してなのですが、やはり自分専用のオーダーメイドの背負子をつくる人というのは、歩荷の世界ではめずらしいことではないんです。でも、このミステリーランチのバックパックであれば、ある程度はバックパックを自分に合わせることができます。強い人はバックパックに自分を合わせていくっていうスタイルなんですけども、ぼくはそんなに強い歩荷ではないので、もうバックパックのほうを自分の体に合わせていく。自分にベストマッチさせるように調整をしています。で、ミステリーランチはもう完全に、自分の身体ぴったりと合わせられる。調整することができるので、たとえ50kg、60kgを背負ったとしても、たぶん30kgくらいの重さにしか感じないようにすることができますね。やっぱりそれを可能にしているのが、腰ベルトの構造だとぼくは思っています。ですので、歩荷をやっている人でいいパックがないものかと悩んでいる人がいたら、ぼくはまちがいなく、ベアトゥースかマーシャルをお勧めします。

 このベアトゥース80はミステリーランチのハンティングモデルで、本来ならおもに狩猟をやっている人が使うためのモデルです。ですので、オーバーロードにはペリカンケースとかを挟んだりもできるのですが、本当は鹿の肉とか熊とかそういうのを挟む、獲物を挟むところとしてつくられてます。で、パックの脇にでっかい伸縮性のあるポケットがついているのですが、ペットボトルとかが入れやすそうなポケットですが、ここには本当は猟銃、ライフルのストックが入ります。でも、じつは三脚も入れやすいんですよね。状況次第ではありますが、すぐに使ったりしまったりが多いときには、ここに三脚を挟んで仲間に取ってもらったりすることもありますね。

その先の礼文島へ
妙慶寺の庭先で繁茂するホップ。気候や条件がピタリとあったのか、大乗の期待どおりに、1年目にして大収穫となった。礼文島での苦味の効いた地ビールが飲める日も必ずややって来る!
 ぼくはあの、ビールが好きなんです。それで自宅の庭でホップを育てたりしています。じつは礼文島の観光をもう少しおもしろいものにしたい、つくっていきたいという思いがありまして。ホップはビールの原料で匂い付けなんかに使うじゃないですか。ビールのおいしい国といえば、ドイツやベルギーですよね。どちらも共通しているのは、日本よりも緯度が高いんですよね。で、礼文島もやはり日本最北なので、緯度はかなり高い。だから、ひょっとしたらホップが育ちやすいんじゃないかと思って、去年からホップを育て始めました。そうしたら1年目から狙った通りで、ホップがたくさん育ちました。今年も、大量にホップが育っています。いまは、まだ実験段階ではありますが、たくさんのホップが育てられれば礼文島でマイクロブリューワリーですか、小さなビールの醸造所とかをつくって礼文島オリジナルのビールができたらいいのになと思っています。島のいろいろな人たちにホップの苗を配って、育ててくださいとお願いして。育ててもらって、できたホップをキロいくらで買って、ビールをつくって販売すれば、みんなが幸せになるんじゃないか、なんてことも想像したりして。観光の目玉のひとつができるんじゃないかなと勝手に思っています。

 こういったことを考えている理由として、礼文島はやっぱり最北ですからね。最北端は稚内なのですが、最北の離島ということで観光客が来たり、花がきれいだからたくさんの人が訪れます。でも、礼文島の魅力はそれだけじゃない、はずなんです。いまのぼくはそう思っています。
冬、大乗は時間ができると海岸沿いの断崖でアイスクライミングができそうな氷瀑を探す。まさに、開拓中である。目線を変えれば、冬の礼文は絶好のアウトドアフィールドにもなる。
 たとえば、ぼくはアイスクライミングが好きで、八ヶ岳周辺でよくやったりもしているのですが、じつは最近1年ぐらい前から島に戻って来ては、礼文島でアイスクライミングができないかなとエリアの開拓をしている最中なんです。そして、まだ誰も登ったことのないアイスクライミングのできるエリアがあるのを見つけまして、これは冬の礼文島の目玉になるんじゃないかなと思い、いまは一生懸命に方々にアピールをしているところです。冬の礼文島はまったく見るところがないと思われがちなのですが、視点を変えられれば、こういうふうにおもしろいところがあると日本中の人に知ってもらいたいんです。いままで0人だったのが、まずは10人くらいでもいい、お客さんが来るようになったらいいじゃないかって。

 島の先輩がペンションをやっているのですが、そこに泊まってもらって、翌日はアイスクライミングをやりに行きましょうというふうに、島の人たちも巻き込んでいけないかなと考えています。そんなことができれば島の観光をやっている人たちも、冬の間も潤うことができるようになるかもしれない。ぼく自身は本業が僧侶なので、いまは観光とかはまったくノータッチなのですが、やっぱりその自分がヒマラヤや関東なんかで、見たり聞いたり体験して来たことを島に伝えて、みんなで幸せになりたいというのが、ぼくの願いというか夢なんです。やっぱり、将来10年後、20年後と時間が経ては、どんなことも少しはかたちになってくるだろうし、いまのうちに何かできることをやっておきたい。そのひとつがホップを育ててビールで観光の目玉をつくったり、アイスクライミングエリアを開拓して、アウトドア好きなコアな人たちを呼び込んだりして。あと、うちのすぐ近くに久種湖という名の日本最北の湖があるのですが、そこでワカサギ釣りやブリザード体験なんかをやったらおもしろいんじゃないかとも思っています。

 バックカントリーに関してもですが、たとえば、利尻島は天気次第ではありますが、基本的には冬はいつも頂上付近は雲の中に隠れていています。なので、その上から一発で滑るというのはなかなかできない。もちろん、技術的にもむずかしい山ではありますが、これが礼文島の場合だと、全体がなだらかな丘陵地帯だけに雲が上がりにくいんです。なので、あまり天気に左右されずにバックカントリーを楽しむことができる、というふうには見立ててあります。

 あとやってみたいのは、スノーモービルを用意して、極寒の雪上体験とかね。真冬の北海道というか、島の僻地だからこそできる遊びをいろいろと考えていきたいなと思っています。そうやって、冬の礼文にもとびきりのアクティビティがたくさんあるというのを伝えていく、それが礼文島に育ったぼくのミッションなのかもしれません。

 次から次へと、こうやってアイディアがでてきて、あとは現実化させる方法を考える段階なんです。いま、具体的には仲間探しをしています。礼文島でそういう将来に危機感を覚えている若者たちを集めて、自分たちでまずは何ができるかということを考えて集まって話し合って。まあ飲んだりが多いのですけど。先ほどの先輩がやっているペンションでは、いま電動自転車を用意して貸し出したりとかもしていますね。礼文島って意外と自転車でまわれば楽しいところなので、そんな視点でも見てもらいたいと。いろいろと体験させてリピーターになってもらおうと考えているようです。また、もうひとりの先輩が考えているのは、大きなボートを譲り受けて、それで遊覧船なんかができないだろうかと、そんなことを検討している人もいます。

 いろいろなことが実現可能かどうかは、まだやってみないとわからないのですが、少しずでもいいから、いままでやってこなかったことを自分たちのできる範囲でやっていく。そうして、物事を大きく育て、賛同してくれる仲間を、若者を増やしていきたい。やれることを増やして行きたいなと思ってます。

 やっぱり、島のいままでの生活をぶっ壊すというのはちょっとナンセンスなんで、そのほかにぼくらでやりたいこと、できることを勝手にやっていますみたいな感じで。いままで行なって来たことを侵さないように、かつ自分たちのやりたいことをやって、うまく調和がとれるように、島のみんなでうまくやっていけたらなと考えています。
取材班が礼文島にいる間、大乗は島のあちらこちらに連れ出してくれた。本当に「礼文島が好き」なのが、ヒシヒシと伝わってくる。右上は、海岸段丘の断崖が間近に見られる澄海岬の絶景。右下は礼文岳の山頂から。眼下に人工物はほとんどなく、まさにウイルダネスのごとき壮大な景色が楽しめる。
 礼文島のどこが好き? と聞かれたらどう答えようかな。まあ、最初に嫌なところから言ってしまうと、たとえばAmazonを頼むと4日も掛かるんですよね。夜中に突然、どこかに出かけたくなっても、船が出る時間じゃないと出られない。若い人、友だちもみんな島を出てしまっていていなくなっているし、娯楽施設もまったくないっていうところなんです。いまでも本当につまんない島だなと思いつつも、でも、礼文島が好きなんですよねで。何でかなと思いつつも、自分が育って来た島だし、よくよく見れば、アイスクライミングをやれるところもたくさんあるし、楽しめる場所をしっかりとていねいに探していければ、あれ、やっぱり好きなんだと。島全体が好きなのかなって、自分のなかでは思っています。

 そんなふうに思えるようになったのも、都会でアウトドアをいろいろとやってきたから、その島のよさが見えてきたっていうのはあると思います。ぼくの友だちで、長野に会社があるのですが、歩荷の仲間を集めて歩荷の派遣業みたいなことをする会社を起こしているんですよね。「やまや」という会社です。その会社ではいろいろな企業案件を受けていて、たとえば、登山道の3Dスキャンをする仕事があります。レーザーを照射して、登山道を精密に測定し、データを取り込むという。Googleマップを、もっと凄い精度にした感じのやつなのですが、そういう仕事をしたりね。あとは、地質調査の仕事をしたり、森林調査の仕事とか、その歩荷のプロフェッショナル、山のプロフェッショナルじゃないとできないような仕事を受けて、礼文島に住んでいるぼくにも紹介をしてくれるんですよ。で、その仕事を紹介してくれているおかげで、毎月10日くらいは関東の方に行って、山の仕事をすることができています。

 山の仕事にこういった具合で携われていることで、仕事が終わって礼文島に帰ってくると、次はこの島でこういうことがしたいとか、こんなことができるんじゃないかなと新しい見聞を持って考えることができます。ですので、ぼくが礼文を好きでいられるのは、やっぱり島の外に出て、いろいろな仕事をやったうえで、また島のよさを島の外で再確認をして帰ってくることができるから。この島にはまだまだおもしろいところがたくさんある。今度は、この前、気になったあそこで遊んでみようとか、いつも思っています。
礼文島の特別バージョンとして、魚箱と酢蛸の桶を取り付けてみた。別売りのバックストラップ(7,150円/税込)をベアトゥースのフレームに取り付けると、こんなこともできてしまう。使い方は使う人次第。この発想の幅を持たせてくれるところがミステリーランチの魅力でもある。



 北の大地の浮島に、齊藤大乗、この男あり。

 歩荷のプロフェショナルとして、方々の山を歩き、その見聞をまた故郷の礼文に持ち帰っていく。10年後、20年後の礼文島は、ともすれば本当にビールの名産地になり、アウトドアの聖地になっているかもしれない。大乗をはじめ、彼ら現地の若者たちの行動力と好奇心があれば、また次の一手もしぜんと生まれてくるはずだ。

 好奇心旺盛で留まることを知らず、次々と新たな一歩を踏み出していく彼は、このコロナ禍でもグイグイと前へ進んでいる。この次は何をするのだろうと思っていたら、先日、本人からこんな連絡をもらった。

「もう一度、未踏峰に行ってきます!」

 以前参加したヒマラヤキャンプの意志を継ぎ、今度は若手メンバーだけの遠征を計画しているという。めざすは未踏峰、サウラヒマール(6,026m)だ。そこに、登山家・花谷泰広の名はない。

 順調にいけば、登頂は5月の初旬となる。



齊藤大乗の使用モデルベアトゥース80

価格:70,400円(税込) 
サイズ:S、M、L 
容量:85ℓ 
重量:3.0kg素材:330D Lite Plus CORDURA® 
カラー:Foliage, Subalpine, Coyote


Daijyo Saito
 1987年旭川生まれ。礼文島の船泊にある日本最北端の日蓮宗の寺院、妙慶寺の副住職。元自衛官であり、現在はライター仕事のほか、アニメの軍事監修をする傍ら、プロフェッショナルの歩荷として大荷物を担ぎながら方々の山へ。おもにTV関係のロケ、環境調査などの現場に立ち会っている。また、登山家の花谷泰広さんが公募した「ヒマラヤキャンプ」に参加し、ネパールの未踏峰パンカールヒマール(6,265m)の登頂にも成功。2022年には、さらなる未踏峰サウラヒマール(6,026m)への登頂をみずから計画。現在、その準備に追われている。



■齊藤大乗 ミステリーランチの魅力を語る



*追記——つい先日、1通のメールがネパールから届いた。そこには1枚の写真とともに、こう綴ってあった。

3日、登頂成功しました!

(構成・文=宮川 哲、写真=岡野朋之、齊藤大乗)


ミステリーランチの特設サイトで詳しく見る


【MYSTERY RANCH — OVERLOAD®︎ feature】

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