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【歴史を歩いてみよう】第1回 石田三成と豊臣秀吉、運命の出会いに思いを馳せて
2016.03.21 Mon
山を歩けば、そこはいにしえへの入口…。遠いむかしに思いを馳せながら、さまざまな山をめぐる新シリーズ「歴史を歩いてみよう」です。記念すべき第一弾は、石田三成。秀吉との運命の出会いを果たす、あの場所です。
石田三成は、1560年に近江国坂田郡石田村(現在の滋賀県長浜市石田町)に生まれました。のちに関ヶ原の戦いで、敗北してしまう西軍の主導者です。最期の最期まで豊臣家に尽くした、そんな印象の武将ですが、きっと秀吉への強い忠誠心があったのでしょう。
最近、三成CMなるものが公開され、少し話題になっています。さらに今週末の3月26日(土)には、「三成フェス」(※申し込みは終了しています!)が開催されるようで、三成熱はますます高まる予感がします。
三成が秀吉に仕えるきっかけとなった逸話に、三献茶のお話があります。
ある日、長浜城主となった秀吉は、領内に鷹狩りに出かけました。その帰途で喉が渇き、ある寺に立ち寄って茶を所望します。寺にいた小姓は、最初に大ぶりの茶碗いっぱいにぬるめのお茶を出しました。秀吉は一気に飲み干し、もう一杯欲しいと頼みます。次にやや小さめの茶碗に、一杯目よりも少し熱めのお茶を煎れて出しました。
さらに秀吉は、もう一杯頼みます。すると小姓は、小ぶりの茶碗に熱く点てたお茶を出しました。相手の様子を見て、相手が欲しいと思われるものを出す。小姓の気の働きように秀吉はいたく感心して、召し抱えることにした、というお話です。その小姓こそが石田三成でした。
JR長浜駅前にある三献茶の銅像。三成が秀吉に召し抱えられた年齢は諸説あるようです。どんな出会い方だったんでしょう…。
このエピソードは、三成がとても気の利く人物だったということをうかがわせるものですが、江戸中期の説話集『砕玉話』(『武将感状記』)に出てくるので、真実の検証は難しいといえます。でも、大原観音寺は、横山城の麓にあります。秀吉が近江に入った最初に横山城を拠点にしていたこと、三成の父・正継が大原観音寺の有力な檀家であったことを考えると、ふたりの出会いの舞台はこの寺であった可能性は高いかもしれません。
観音寺にある「石田三成 水汲みの井戸」。三成が水を汲んだとされる井戸の跡があります。
観音寺の本堂。惣門をくぐり、参道を進んだ先に立派な本堂がひっそりと構えています。本堂は国の重要文化財に指定されています。
横山城は、長浜市と米原市の境の稜線上に築かれた山城でした。大原観音寺は山の麓に位置。お寺から城跡までは、ハイキングコースになっています。今回は、観音寺から横山城跡(南城)までのショートコース。のんびりペースでも往復1時間から1時間半ほどなので、観光の延長で手軽に楽しめます。
本堂と、その脇にある薬師堂を通り過ぎると、ハイキングコースの入口。石段が出迎えます。
横山城跡がある横山丘陵は最高地点でも312メートルと低山ですが、里山だけに勾配はところどころきついところもあります。鐘楼のある山頂付近まで、道の脇には観音様がいらっしゃいます。
静かで歩きやすい道です。観音様がほほえんでくれています。
ぜんぶで30体ほどはあるでしょうか。つぎつぎと観音様があらわれて励ましてくれているようです。もしかしたら、三成もここを歩いたかも…この景色も見たかも…。ついそんなことを思ってしまうのが、歴史道です。
観音様を通り過ぎても、すぐ、NEXT観音様があらわれます!とても気持の良いコースです。
観音様に見守られながら、すんずんと登っていきます。周囲は木に覆われているので、登山道上ではあまり視界はききません。
南城跡の山頂。南城は秀吉時代に増築したといわれています。土塁の痕跡が少し見られました。現在は鐘楼があり、地元の有志の方々によって守られています。
横山城跡一帯は、ハイキングコースとして整備されているので、次回は北側のほうも足をのばしてみたいです。現在放送中のNHK大河ドラマ『真田丸』では、もうじき三成が登場するそうで、山本耕史さんが演じる石田三成も楽しみです。
アクセスとヒント
JR長浜駅からバス「観音寺前」下車。バス停から徒歩5分で観音寺(所在地:滋賀県米原市朝日1342)。お寺の境内観覧は自由。本堂脇からハイキング道があり、登り口から鐘楼のある南城跡までは、約30分。低山といえども、ハイキングシューズを着用のうえ、飲み水なども忘れずに。バスは本数が少ないので、要チェック!
(文・写真=須藤ナオミ)