- 旅
ホーボージュン アジア放浪最終回! モンゴル後編「ノマドの海、旅人の夢」
2016.09.05 Mon
ホーボージュン 全天候型アウトドアライター
世界中を歩きめぐってきたサスライの旅人ホーボージュンが
アジアへバックパッキングの旅へ出た。
連載最後の国は大草原と遊牧民の国・モンゴル。
最終回となる今回は、フォトライブラリーや旅の映像も盛り込んだ
スペシャルエディションでお届けいたします!
(モンゴル前編はこちらから)
騎馬民族とマーモット
あたたたたたた……。
翌朝起きると身体中がひどい筋肉痛だった。下半身はガニ股のまま固まってしまい、うまく歩けない。膝が曲がらないからテントをたたむのに15分もかかり、荷物の積み込みにも難儀した。一晩にしておじーちゃんになってしまったような気分だった。
しかしいったん馬に乗るとこのガニ股は馬の背中にぴたりと吸い付き、その動きになめらかに追従した。上半身からも余計な力がすっかり抜けおち、トロット(速歩)の大きな上下動もうまくいなせる。地上ではヨレヨレだが、鞍上では絶好調。僕は自分の身体がノマドに近づいたようで、それがなんとも嬉しかった。
アルタン・ウルギー山(2,656m)が見えてきた。正面の大きなザレ山の左に尖って見えるのが山頂だ
キャラバンは順調に進んでいった。午後になると、地平線の向こうに灰色の山が見えてきた。それは中央アジアにそびえる山々のような尖った山容ではなく、大きく緩やかな姿をしていた。山肌は細かなザレ石で覆われ、草原の明るいグリーンと美しいコントラストを成している。これまで僕が思っていたモンゴルのイメージとはかなり違った風景だった。
「あれがアルタン・ウルギーだ」
オンドラホが巨大なリッジラインにツンと尖ったピークを指さしそういった。いよいよ山岳エリアに足を踏み入れたのだ。
キャラバンは午後3時過ぎにアルタン・ウルギーの山麓に到着した。ここにベースキャンプを設置し、荷物と荷馬を置いていく。僕はてっきりここから歩き始めるのだと思ったが、そうではなかった。
「森林限界のギリギリまで馬で行けるんだ」
オンドラホはそういって山の八合目あたりを指さした。なるほど。しかしここから見ると斜面はかなりの急勾配だし、山の中腹は深い森林に覆われていた。あんなところを馬が上がれるんだろうか?
するとオンドラホは「なんの問題もない」と首をすくめた。その隣ではチンゾリクが「馬で行けるところをわざわざ歩くなんてバカみたいだ」と笑っている。
彼ら騎馬民族には「歩く」という習慣はない。彼らにとっては馬は「クルマ」や「バイク」の代わりではなく「靴」の代わりなのだ。いや、もっといえば「足」の代わりといってもいい。「歩く」というのはつまり「馬で歩く」ということなのだ。
「そんじゃあアタシはここで夕飯の仕度をしてるから、アンタたちは山でもなんでも行ってらっしゃい」
オトゴかあさんはそういうと、薪ストーブを組み立てて調理の準備をし始めた。今日は大量の塩に漬け込けこんだ羊肉を煮詰めて、キャンプ後半に備えて保存食を作るという。このところうだるような暑さが続いて、生肉の痛みが激しいのだ。
「それからチンゾリク! あんた今日こそはちゃんとマーモットを撃ってくるんだよ! せっかく日本から来てくれてるんだから、ジュンにも新鮮な肉を食べさせてやりな!」
チンゾリクは「わかってるよ」というような顔をしてライフル銃を背中に背負った。1965年製のオンボロライフル。ソ連侵攻時代に手に入れたものらしいが、父親のビャンバはこれでムース(ヘラジカ)を仕留めたこともある。そのころはまだこのあたりにオオカミの群れがいて、野宿も狩猟も命がけだったそうだ。
「マーモットの肉は軟らかいし、脂身に甘味があって最高に旨いんだよ」とオンドラホが教えてくれた。
あんなかわいい生き物を食べるのは気が引けるのだが、モンゴル人は古くからシベリアマーモットを食用にしていた。またマーモットの油はやけどや凍傷の薬として珍重されたし、柔らかくて暖かい毛皮は国際市場で高値がついた。そのため20世紀になると乱獲が進み、90年代に入るとその生息数が激減してしまった。現在マーモットは国の保護対象になっているが、ビャンバ一家には先住民の既得権として今も狩りが許可されているそうだ。
オンボロライフルを構えるオンドラホ。銃身調整のために試射をしているところ
ちなみにマーモットはルバーブの草の根本に巣穴を掘ることが多い。巣穴の入り口は直径が20~30cmあり、疾走中の馬がこれに前足を取られ転倒する事故が後を絶たない。
「ルバーブの花を見たら、マーモットの巣穴に注意しろ」
これは馬上で何度も注意されたモンゴル乗馬の鉄則だった。
馬でのアプローチ
登山準備を整えると、オトゴに見送られてキャンプサイトを後にした。ここから先は自分の荷物は自分で背負う。バックパックを背負って馬に乗るのはなんだか不思議な感じだった。
今度の旅は僕にとっても相棒のホンゴルにとっても初めてのことだらけだ。僕は馬で山にアプローチしたことなどないし、ホンゴルは2,500mもある山を登ったことがない。お互い不安な気持ちを抱えたまま、それでも一緒に歩き始めた。
草原はやがて腰の丈ほどもあるブッシュとなり、明るい松林は深い森へと姿を変えた。頭上に覆い繁る枝をかき分けながら、僕らは森の中を進んだ。急峻な登り斜面をジグザグにスイッチバックしながら慎重に高度を上げていく。
足元の悪い斜面でのトラバースはとても難しい。若くて山岳経験のないホンゴルは斜面で立ち往生してしまうことが多くなった。
「チョウ! チョウ!」
必死になだめながら、そして時には叱りながら、僕はホンゴルを前へと進めた。こういう難所では乗り手も積極的に動いて馬を助けなければならない。登りの時には鐙(あぶみ)の上に立って体重を前にかけ、馬の後脚の動きを妨げないようにする。反対に下りの時には足をハの字に開き、後傾して前脚の自由度を上げてやるのだ。
「いいぞ。その調子だ」積極的に声もかける。
やがてトレイルは急な崖下りにさしかかった。ブッシュが深くて足元はまったく見えない。崖の途中には何本もの倒木が折り重なっていて、めちゃくちゃテクニカルだった。チンゾリクたちはそこを細かくターンしながらひらり、ひらりと下っていく。しかし僕にはとてもそんな真似はできない。崖の途中まで下ったところで進退窮まってしまった。
(ヤバイな……)
障害物だらけの狭い林間でスイッチバックしながら馬を進める。高度なテクニックが必要な難しいアプローチだった
いったん下馬して歩こうかと思ったその瞬間だ。ホンゴルの前脚がガクッと躓き、首から大きく地面に倒れ込んだのだ!
(あっ!)
声を上げる間もなく、身体が宙に浮いた。背中のバックパックの重みで身体がクルッと反転し、そのまま僕は地面に叩きつけられた。その上に巨大な馬体が倒れ込んでくる。一瞬、ホンゴルの怯えた目と僕の目が合った。まるで超スローモーション映像を見ているようだった。
ドーン!という派手な音を立て、ホンゴルの巨体が横倒しになった。さいわい僕はその下敷きにならずにすんだが、まわりのブッシュがグシャグシャになぎ倒された。
「ヒヒーーーン!」
大きくいなないて、ホンゴルがもがく。このときにまずいことが起こった。僕の左足が鐙から外れず、僕はそのままホンゴルの腹の下に宙づりになってしまったのだ。
(やばい!)
逆さまになったまま鐙に手を延ばすが、背中のパックが重くて上半身を起こせない。
「ホンゴル! 動かないで!」
怯えきったホンゴルはいまにも暴れ出しそうだった。僕の顔のすぐ前に泥だらけのヒヅメが光っている。こんな状態で暴れたら大事故になる。
「ホンゴル動かないで……。大丈夫だから……」
僕はホンゴルを動揺させないようにゆっくりした口調で声をかけた。そしてバックパックのハーネスをそっと外し、腹筋をつかって鐙にぶら下がる。そして両手でよじれた足首を掴むと、グリグリとこじって左足を鐙から引っこ抜いた。
「ヒヒーーーン!」
障害物が取り除かれて自由になったホンゴルは猛然と立ち上がり、そのままブッシュをなぎ倒して一目散に走り去ってしまった。
僕はヤブの中にひっくり返ったまま、呆然とそれを見送っていた。
登山靴とウェスタンブーツ
ホンゴルはチンゾリクが捕まえてくれた。ブッシュを抜け、崖を下りきった先でポツンと僕のことを待っていたそうだ。
「コイツはまだ山の経験が少ないからね。倒木につまづいて慌てたんだろう」
そう言っていたが、僕はかなり落ち込んでいた。今回は僕が100%悪い。あそこで下馬しなかったのも、宙吊りになったのもすべて僕のせいだ。
本来、登山靴やワークブーツで馬に乗るのは御法度とされている。大きなつま先やゴツゴツしたブロックソールが鐙に引っかかり、足が外れないことがあるからだ。アメリカのカウボーイが履くウェスタンブーツのつま先が尖っていてソールが真っ平らなのは、万一の落馬の際にもすぐ足が鐙から抜けるように作られているからである。
にも関わらず僕は「まあ、大丈夫だろう」とたかをくくり、登山靴で騎乗してしまった。たいして上手くもないくせにテメエのことを過信したのだ。そしてぶざまに宙づりになった。
「ホンゴルごめん。怖かっただろ」
大きな黒い瞳を見ながら僕は何度も謝った。
アルタン・ウルギーと旅の玉
森林限界に到着すると僕らはそこで馬たちがどこかへ行ってしまわないように前足をロープで縛って、そこから先は徒歩で登った。ザレた山肌は歩きづらかったが、吹き抜ける風が心地良く、見渡す景色も広大で、気持ちのいい登山となった。
一時間ほどで山頂に着いた。標高2,656m。アルタン・ウルギーの山頂には小さなケルンと背丈ほどのオボーがあった。オボーには青い絹布がかけられ、天空の精霊を導くかのようにヒラヒラと空に向かってひるがえっていた。
山頂からは遙か遠くの大地が見渡せた。南側には広大な草の海、そして北側にはたおやかな山の波が続いている。地平線は丸く、そのすべてを眼下に納めるとまるで自分が中世のハーン(騎馬民族の王)にでもなったような気分だ。
時刻は午後6時を回っていたが、明るい夏の陽射しは勢いを弱めることなく、白い雲を低い角度から照射していた。それはまるで海に光る白波のようだった。草の海を泳ぎ渡った僕は、今度は空の海に浸っていた。
「これだよ、これ……」
広大な空と丸い地平線を眺めながら僕は独りごちた。その瞬間まで僕は奥モンゴルの山の上にこんな光景が広がっているとは想像だにしていなかったが、実際にその光景を目にしたとたん、これこそが自分がここに来た意味なのだと強く感じた。まるで自分はすべてを予知していて、この邂逅は約束されていたものであるかのように。
旅をしているとこういう不思議な“既視感”に捕らわれることが時々ある。いったいその正体がなんなのか、それは何を意味しているのか僕にはよくわからないけど、その瞬間僕の中で何かが腑に落ちる。「旅の玉」みたいなものがストンと心に落ちるのだ。
空を見上げ、いったいそれがどこから降ってきたのか目を凝らしてみる。
でもモンゴルの空はあまりに高く、いくら目を凝らしてみても僕にはなにも見えなかった。
ちょっと箸休め
Photo Library of Mongol
人馬一体で駆ける喜び
キャラバンも3日目になるとホンゴルとの息がずいぶん合ってきた。速度や方向の指示も短いかけ声だけで伝わる。意のままに、とまでは言わないが、僕にも少しは馬が動かせるようになっていた。
一晩たっぷりと草を食んだおかげで、ホンゴルの馬体にはエネルギーが満ちていた。肩の筋肉が歩くたびにモリモリと盛り上がる。栗色の毛は陽光を浴びてきらびやかにひかり、うっすらと浮かんだ汗が産毛を黒く濡らしていた。
ああ、なんて神々しいんだろう。
こんなにも大きく、力強く、優雅で、美しい動物は地上にいない。頸の深く切れ込んだ筋肉の動きを眺めながら、僕は馬上でため息をついた。
「ちょっと走ろうか」
平坦な草原を淡々と歩くのに退屈すると、チンゾリクはそういって馬を走らせた。覇気に溢れた騎馬民族の末裔は、のんびりしたトレッキングが苦手なのだ。
「チョウ!」
かけ声をかけるとホンゴルはこの時を待っていたとばかりに駆け出した。馬にとっては走ることは至上の喜びだ。風を切り、草の海を駆けることこそが生きている証なのだ。馬たちが大地を蹴る蹄の音が、太鼓のように鳴り渡る。
「チョウ!」
さらにスピードを上げると、トロットからギャロップへとギアが切り変わる。ギャロップで駆ける時、馬の四本の足のうちの三本が地面を離れ、馬体は空中に浮く状態になる。バカラッ!バカラッ!バカラッ!と大地を蹴る音が3音節になり、激しい上下動がピタリと止んで、今度はブランコに乗るような緩やかな前後動に代わるのだ。それは水中翼船が海面に浮かび上がるときの感じに近い。
「いけいけいけいけ!」
僕はホンゴルの尻に鞭を入れ、チンゾリクたちの後を追う。スピードはさらに上がり、ホンゴルの四脚すべてが宙に浮かんだ。まるで空を飛んでいるみたいだ。もはや地上の生き物とは思えない。天空の馬、ペガサスだ。これこそが乗馬の醍醐味。人馬一体になって空を飛ぶこの高揚をなんと形容したらいいだろう。
僕は若い頃ずっとバイクに乗っていた。このころよく口にしたのが「人車一体」という言葉だった。あるレベルを超えると機械であるはずのバイクがまるで血の通った生き物のように感じられ、さらにはまるで自分の身体の一部になってしまったような感覚が沸く。それはとてつもない快楽で、僕はその快楽に酔いしれ、サーキットレースやラリーにのめり込んだ。しかしそれとて馬との一体感とは比較にならない。精神的な繋がりと肉体的な繋がり、そしてお互いの生命が発する昂ぶりは馬のほうがずっと強い。
馬という生き物はほんとうに特別だ。だからこそ人間は何千年、何万年ものあいだ馬を伴侶として暮らしてきたのだろう。ほんの数日間一緒にいるだけでこうなのだから、一生をともに過ごしたらどんな気持ちになるのだろう。
(いつかは自分の馬が欲しいな)
空を飛びながら、僕はそんなことを妄想していた。
モンゴルの大草原は盛夏を迎え、あらゆる丘に高山植物が咲き乱れていた。大地が生命の喜びに満ち満ちている
引き馬と自称ノマド
旅が4日目を過ぎた頃から僕は「引き馬」をさせてもらえるようになった。
引き馬というのは荷物を積んだ荷馬の手綱を引いて歩くこと。2頭以上の馬を同時にコントロールをしなければならないので難度が高い。
しかしテントや食糧を自分で運ぶ自己完結の旅(つまりバックパッキング)を馬でしようと思ったら、これは必須の乗馬技術だ。以前アメリカのワイオミングをカウボーイたちと旅した時は、僕は自分の野宿道具を荷馬車で運んでもらっていた。でもこれはポーターに荷物を持ってもらって登る大名登山と同じで、どこかに引け目があった。「自己完結をもって尊しとする」バックパッカーとしては「いつかは自分で引き馬したい」と思っていたから、これはめちゃくちゃ嬉しい出来事だった。
僕の荷物を積んだ荷馬は、若い牡馬だった。最初はおっかなびっくりだったが、ホンゴルとの相性もよく、そのうち自在にコントロールできるようになった。引き馬したまま徒渉やトロットができるようになったときには、僕は自分がいっぱしのノマドになった気がして、ずっとにやけていた。
いま日本のネット界には“自称ノマド”が溢れかえっているが、そういうヤツに見せてやりたい気分だった。いーか、ノマドってのはスタバでMacを広げることじゃない。オマエらまず引き馬してからノマドを語れ、なんてね。
時に歩き、時に駆け、僕らはいくつもの丘を越えた。何百という雲と、何千という花を越え、キャラバンは進み続けた。それでも草の海はどこまでも続き、緑の水平線が果てることはなかった。
羊のくるぶしと僕のシアワセ
ビャンバ家のゲル。家族全員がここで寝食をともにする。ノマドは家族愛が強い。広大な大地が人と人と結びつきを強めるのだろうか
キャラバンの最終日、テレルジにあるビャンバのゲルに戻った僕は、家族みんなと子羊の骨にかぶりついていた。ナイフを使って骨から肉をこそぎ落とし、ナタで骨を叩き折って髄液をすする。この頃にはもうすっかりノマド流の肉の食べ方も身に付けていた。
「ジュン、これが何かわかるか?」
家長のビャンバが羊のくるぶしの骨を指さしてそういった。
「なに?そこが美味いの?」
「違うよ」ビャンバは笑いながら教えてくれた。
「モンゴルのシャーマンはこの骨を使って運命を占うのさ」
羊のくるぶしの骨は「シャガイ」と呼ばれ、サイコロのような立方体をしている。その4面は少しずつ形が違っていて、それぞれ「馬」「羊」「ラクダ」「ヤギ」の4種の動物を表す。これを4つ同時に転がし、出た動物の組み合わせでいろいろなことを占うのだ。
たとえば馬が2つで残りが羊とヤギだと「障害はない。物事は上手くいく」
ラクダひとつとヤギ3つだと「いま思っていることは間違いかもしれない」というように。
「せっかくなので私が占ってやろう」
興が乗ったのかビャンバはシャガイを4個テーブルに並べた。
「ジュンは何を知りたいんだ?」
そういわれて少し困った。
「うーん、そうだなあ……」
ちょっと考えて、こう訊ねてみる。
「俺はシアワセになれるでしょうか?」
ビャンバはそれを聞いて愉快そうに笑ったが、なぜかシャガイは振らなかった。そして僕を正面から見据えるとゆっくりとこう言ったのだ。
「ジュンはもうシアワセだよ」
「えっ?」
「だって日本からこんなへき地まで旅行に来ている。そして好きなことを仕事にし、日々の糧を得ている。この村の遊牧民のほとんどは国から出たことも、海を見たこともない。私の目にはジュンはとてもシアワセに見えるよ」と。
まったくその通りだった。僕は返す言葉を失い、自分の無明を恥じた。
その夜はなかなか寝付けなかった。真夜中にゲルを抜け出して、しばらくひとりで草原を歩いた。青い月が草原を照らしていた。風が吹き抜けると草原は豊かに波打ち、まるで夜の海面を見ているようだった。
「海かあ……」
ノマドが夢見る海について僕は思いを巡らせた。僕は今回の旅のあいだ、草原を海原のように感じていた。
もしノマドが大海原を旅したら、彼らはそこに大草原を見るのだろうか? 波に揺られて眠りながら、羊の夢を見るのだろうか……?
旅というのは知らない土地に出かけたり、珍しい景色を眺めたりすることじゃない。その景色になにを重ねるか、その景色の中になにを見つけるか、そんなことじゃないかと僕は思った。
サワサワと草が歌っていた。
僕の旅も、もうすぐ終わりだ。
アジアと放浪とバックパッキング
ミアットモンゴル航空501便は、チンギスハーン国際空港を飛び立つと機首を大きく東へと向けた。
眼下に広がる緑、緑、緑。果てることのない大草原が陽光を受けて光る。
「今度は冬においでよ。モンゴルの冬はとても静かでいいよ」とオンドラホは言ってたが、この緑輝く草原が冬には一面雪に覆われるなんて、今の僕にはちょっと想像ができない。アジアはほんとに多様だ。そしてアジアはとてつもなく広い。
この春から4カ月連続でアジアの国々を旅してきた。最初のキッカケは単純だった。近くてすぐ行ける場所に行ってみよう、だったらアジアはどうだろうか、というノリだ。バックパックを背負い、野宿をしながら旅すれば、観光旅行やパックツアーでは見えないアジアが見えてくるんじゃないか。そんなふうにも考えた。
バックパッキングで歩くアジアは驚きに満ちていた。
香港の摩天楼のすぐそばに息を呑むようなトレイルがあること、ジャングルのイメージが強いベトナムに3,000mを超える高山があること、九州ほどの小さな島国である台湾に3,000m峰が200以上もあること、そして草原の国モンゴルではいまも遊牧民がサスライ暮らしをしていること……。それは僕のアジア観をガラリと塗り替えた。そして自分のジンセーをもかなり塗り替えた。僕のようなおじさんですらそうなのだから、若者が旅したらとてつもないことが起きると僕は思っている。
旅というのはポストカードの写真を確認することでも、誰かのタイムラインに上がっていた動画をトレースすることでもない。自分の目で見て、肌で感じて、頭で考えて、自分の肉体で世界を知ることだ。
もっというと、自分は世界を構成する一部で、境界なくつながっている大自然のなかのほんの小さなパーツ、砂粒ほどの存在だってことを、知るのではなく感じることだ。叩きつける雨や吹きつける風、照りつける陽射しや凍える寒さで、この地球の大きさを知ることだ。
いまの日本では、どうしてもインターネットを見て、YouTubeを眺め、ウィキペディアを調べて、それで世界をわかったつもりになってしまう。でもそれはとても浅はかでもったいないことだと思うのだ。世界はモニターの向こうにあるものではなく、モニターのこちら側、自分が延ばした指の先に、自分の手で触れる場所にあるのだということを、どうか忘れないでほしい。
バックパッキングはとてもフィジカルな旅だ。衣食住のすべてを背負い、汗をかき、筋肉を使い、身体感覚を研ぎ澄ませなから旅をする。それはちょっとたいへんだけど、そのかわりこの世界の成り立ちと美しさを、くっきりと浮かび上がらせてくれる。だから君たちもぜひバックパッキングに挑戦してみて欲しい。
世界は広く、今日も地球は回っている。
みんなもどうかよい旅を。
では、今回の旅の映像やモンゴルの地図、立ち寄った蚤の市など、など旅の役立ち情報を公開!
モンゴルBackpacking map
ウランバートルで立ち寄ったアウトドアショップ、飲食店、スーパーなどの旅の情報を落とし込んだオリジナルの地図を作成した。スマホやタブレットにGoogleマップが入っていれば、自分がいまいる現地情報と合わせて地図を使うことも可能だ。右上の□マークからは拡大地図へ移ることもできる(これはPCの方が見やすいかも)
モンゴルの母の味
「遊牧民の食事は塩辛くてツライ」「羊肉の匂いにやられる」モンゴル経験者からはそんなネガティブな話ばかり聞いていたが、今回すべての食事を世話してくれたオトゴかあさんのゴハンは抜群に美味しかった。塩分も控えめで、羊肉をベースにしながらいろいろなバリエーションで提供してくれる。こんな美味しい食事が草原のど真ん中で食べられるのだから、最高だった。
基本は羊肉だが、いろいろなアレンジで食べさせてくれた。真ん中下はお手製のルバーブのジャム。甘酸っぱくておいしい。左はワレモコウの実を煎じた腹薬。お腹をこわしたマハさんのためにオトゴかあさんが作ってくれた
モンゴル最大の蚤の市「ナラントール市場」
ホームセンターとドンキホーテとアメ横が一緒くたになった感じ。そういえば雰囲気がわかってもらえるだろう。食糧品から建築資材までなんでも売っているが、面白かったのは、シャーマンが使う小道具や馬具が充実していることだ。そしてびっくりしたのはゲルまで売っていること! さすがはノマドの国なのだ。
上)馬具や民族衣装の店はいくら見ていても飽きない。下)ゲルのミニチュア。内部の造りが超精巧で家具や暖炉にいたるまで素晴らしい細工がされている。モンゴル版のドールハウスなのだ
「天馬トレックキャンプ」
今回の僕の旅を強力にサポートしてくれたのが、モンゴルのツアー会社『天馬トレックキャンプ』だ。奥テレルジ村の村長であるビャンバ(詳しくは前編にて)が牧畜のかたわらで経営している。天馬トレックを利用する日本からのツアーで日本語のサポートを行なう“マハ”さんこと田村幸雄さん(写真右端)は、遊牧民の暮らしに憧れて16年前からモンゴルに通い詰め、ついには10年前に移住したという筋金入りのノマド好き。マハさんと奥さんのユカさんはビャンバ一家とは公私にわたる親戚付き合いをしていて、ホームステイから上級者向けのハードな馬旅まであらゆる相談に乗ってくれる。ノマドな旅を体験してみたい人は是非コンタクトしてみて欲しい。
■WEBサイト:天馬トレックキャンプ
■TEL.+976-99830861(日本語対応)
旅の相棒 Gregory バルトロ65
香港から始まり、ベトナム、台湾、そしてモンゴルとともに歩いた相棒の「バルトロ65」。今回は動画で細部まで解説しよう。
サイズ: S、M、L
容量: 61L(Sサイズ)、65L(Mサイズ)、69L(Lサイズ)
重量: 2,200g(Sサイズ)、2,300g(Mサイズ)、2,369g(Lサイズ)
カラー: ネイビーブルー、スパークレッド、シャドーブラック
価格:42,120円(税込み)
(文=ホーボージュン、写真=中尾由里子)