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アウトドアで働く人々インタビュー アウトドアガイド・佐藤晋さん 『とりあえずやってみよう!川とともに20年』

2017.02.17 Fri


 人生の半分くらいは、アウトドアでメシを食ってきた。
 アウトドアで働く人たちは、なんだか一本筋が通っていて、気持ちいい。ときにはクセモノも…? そんな、アウトドアズマンたちの仕事を聞いてみるのが本企画。
いい人材がたくさんアウトドア業界にきますように…ナム―。そんな願いも込めてスタートします。

 第三回目は、佐藤晋(さとう・すすむ)さん。佐藤さんは群馬県みなかみ町に住み、アウトドアガイドとして働いている。現在41歳にしてガイド歴は20年あまり!すでにベテランの域だ。

佐藤晋(さとう・すすむ)さん。愛称はスッスー。群馬県みなかみ町に拠点を置くアウトドアツアーカンパニー・カッパクラブのオペレーションマネージャー。

 みなかみ町といえば、名峰・谷川岳があり、昔から多くの登山愛好家を集めてきたクライミングの聖地。町内から北の方角に目をやると、ネコの耳のようにつんつんとふたつ並んだ山頂が見える。谷川岳よりさらに北西にある大水上山に端を発する利根川は、みなかみ町を勢いよく流れ下り遙かとおく千葉県の海まで注ぐ。山あり川あり。アウトドア好きには垂涎の環境が揃っている。そんな多様性に満ちた自然の世界へ人々を案内するのが佐藤さんの仕事だ。

ーいまのお仕事について教えてください。

4月から11月までが川のガイド。ラフティングを中心にハイドロスピードやキャニオニング、パックラフト(※現在企画段階)のツアーをやってる。12月から3月までは、スノーシュー、エアボードのツアー。うちのお客さんは、年間通して圧倒的にラフティングのお客さんが多いから、エアボードのほうがちょっと人気かな。どちらかというと、スリルみたいなものを求めているお客さんが多いかも。
ラフティングツアーでのひとコマ。ツアー客を漕ぎ手に、ガイドは後方で舵を取りながら下っていく。緑のヘルメットをかぶっているのが佐藤さん。

ー夏は水系で、冬は雪系。佐藤さんは年間通じて自然のなかにいるんですね。

2004年くらいから一年を通してアウトドアガイドとしてやっていけるようになったかな。それまでは、冬はスキー場で働いたりしてみなかみにはいるけれど、別の仕事をしてた。いまでもみなかみにいるアウトドアガイド全体を見ると、そうした感じ(冬はガイド以外の仕事に携わる)でいる人のほうが多いのかもしれない。

ー季節に合わせて自然を案内するっていいですね。以前は、アウトドアガイド一本で飯を食っていく!みたいなことが、ちょっと夢のように思われていましたけど。

一年やれるようになって、あらためて分かることも多いね。やっぱりラフティングのガイドだけやっていたら、春先に水が多いことも当たり前にとらえていたし。この水はいったいどこからくるのか?なんて考えると、冬に降り積もった雪だからね。スノーシューのガイドもするようになって、そういう巡り巡っている実感みたいなものがあったかな。全部つながっているんだっていう。自然の奥深さを前にも増してとらえるようになった。

そういう意味では、去年のシーズンは歴史的に降雪量が少なかった。だからいつも増水シーズンといわれている5月も川の水は少なくて渇水状態。水が少ないからダムの放流もほとんどなかったし。

積雪シーズンは、スノーシューで深雪のなかをガイディング。季節に応じたアウトドアアクティビティ体験を多くの人に提供している。

ー自然の営みは、ぐるぐる回っているんですね。そもそもガイドになろうと思ったきっかけはなんだったんですか。

もともと都会で暮らすというか、そういう生活が想像できなかった。満員電車に毎日乗るとかね…。それをしたくないっていうのもあったけど。

子どもの頃から自然のなかで遊ぶのが大好きで、とくに静岡県御殿場市に住んでいた小学校時代の経験が大きいのかも。自然がたくさん残っている場所で、川に飛び込んで遊んだりとかして。大学生になったとき、その川に行ったらどぶ川みたいになってしまっていたけど…。周りにも家がたくさん建って、だいぶ変わってたなぁ。

ーご両親もアウトドア好きだったんですか。

スキーやキャンプには連れて行ってもらっていたかな。御殿場の後は神奈川県の横須賀市に引っ越したんだけど、そこも海が近くにある環境で。よく釣りにいったりして遊んでた。海に潜って貝を獲ったりして。

ー川に海。水が好きだったんですね。大学生のときは探検部だったとか。

大学に入学したてのころは、将来は司法書士になるぞ!って思っていたんだけど、アドベンチャークラブ(探検部)に入ったらあちこち行くのが楽しくなってしまって。川に行ったり、山に行ったり。外国もいろいろ行ったなぁ。

自分で行く先を決めて、自分でやることを決めて、好きなことをやるっていう。それがとにかく楽しかった。自分で決めたことだから、それは責任もって最後までやらないといけないし…というのも変だけど、とことんやってみたいって思っていた。

自然のなかにいたほうが落ち着くっていうかな、性に合っているんだと思う。その大学のときに川下りをしにみなかみによく来ていたというわけ。川下りのレースもあったし。

右が佐藤さん。神奈川大学のアドベンチャークラブに所属していた20代前半のころ。いろいろなところへ行くのがとにかく楽しかったという。

ーなるほど、学生時代に。みなかみで毎年開催されている川下りのレース(リバーベンチャー選手権大会。通称リバベンと呼ばれている)は、とても歴史があります。今年は第41回目の開催だとか。学生が運営している大会という点でも特徴がありますね。

そう、リバベン。第22回大会のときは、自分も実行委員として運営に携わった。もう20年も経つけど。レースの練習のためにきたりして。

ーはじめて川を下った日のことは覚えていますか?

はじめての川はみなかみじゃなくて奥多摩だった。忘れもしない1年生の5月5日。奥多摩はみなかみほど激しい川じゃなかったから、「楽しいなぁ」って純粋に。他にもいろいろなアウトドアアクティビティを経験したけど、川下りはなんだかビビッときた。

小学校のときに川でよく遊んでいたことが基本になっているのかもね。でもなにより水が好きだったからなぁ。

学生時代に毎年出場していたリバーベンチャー選手権での様子。中央右から4番目にいるのが佐藤さん。同じクラブだった先輩や後輩とはいまでも交流がある。

ー穏やかな川での初川下り体験はよかったですね。ちなみに、みなかみでは無事にというか…、うまく下れたのですか。利根川の源流部ですし春先の増水期は国内屈指の激流スポットです。ある程度のスキルがないと、なかなか無事には下れないですよね。

1年生のときは諏訪峡(※増水期は瀬が連続する激流ポイント)を下らせて貰えないんだよ。先輩たちには、お前らはまだ早い!みたいに言われて。でも、レースの本番では諏訪峡を下るんだよ。もちろん1年生だけじゃなくって先輩に混ざって出場するんだけど、諏訪峡はぶっつけ本番!水も多かったし緊張しかない。隣のヤツは途中でボートから落ちちゃうし…。よくわかってなかったけど、ここで落ちたらヤバイぞみたいな勘だけ。

だから、学生のときに紅葉峡(※諏訪峡よりも上部にある渓谷で、増水時は諏訪峡よりも瀬が激しい)を下ったなんて言ったら、もう神レベル。あいつすげえぞってなってたね。

こちらが諏訪峡。ただし水が少ない夏場の写真。夏は緑濃く、秋は紅葉する美しい渓谷だ。 ©ググっとぐんま写真館

ーははは、もはや伝説的な。紅葉峡は未知の世界だったんですね。確かに当時はいまほど装備も川下りのスキルも、熟練されていなかった気がします。とくに学生ともなると、手探り状態。現在レースに出ている学生チームなんかは、もっとうまくて競技をしているっていう感じがします。

いまの学生のレベルに比べると、もっと冒険的要素が高かった気がするね。それに当時は全国から大学生がリバベンに集まってきて、ワーッと騒げるみたいな場だった。他大学の探検部との交流みたいな意味合いもあって。「お前らそんなことやってんだー」と、刺激しあっていたというか。

ー探検部での活動のなかでもやっぱり、川下りがいちばんフィットした感じだったんですね。 

カヌーで島一周したり、ジャングルを縦走したり、洞窟探検したり。登山でもなんでもやっていたけど、やっぱり川が好きというか。同学年のメンバーにもよるんだけど、ちょうど川が好きなメンツが多かったっていうのもあるかな。川に行くことが多かった。

1年生のときはタイに行って「タイ人にたい焼きを食わせろ!」っていうのをやった。

ーたい焼き??

川沿いに住む少数民族の集落に泊めさせてもらいながら、たい焼きを食べてもらって、旅をするっていう。ちょうどテレビ番組の電波少年でやってた猿岩石のヒッチハイクが話題になっていたころで、海外で何かをする!みたいなね。

ー猿岩石!懐かしいです。

あとは、ドナウ川をドイツからルーマニアまで2800キロを2ヶ月半かけて下るという活動とか。思いつきで言ってみたら、2人も仲間ができて、本当に行くことになった。

ドナウ川を下ったとき。前方に見えているのは、ドナウ川沿いに建つ南ドイツのウルム大聖堂。歴史的建造物をこうして眺めるのもなかなかだ。

もともと、「ブタペストのこの川って下れないのかなぁ」なんていう話しからはじまり、「下れるんじゃない?川は誰のものでもないんだから」とか言って。「じゃあ全部下ってみよう!」「マジでー!?」と。

ーいいですね。やってみよう!っていうチャレンジングな感じ。

途中は全部キャンプ。2週間に1回くらいは町に出てシャワーを浴びて買い出しして。

ーいい思い出ですね。日本に留まらず外国の川も下ったり。本当に川の申し子みたいです。そうして川で経験を積んでいるいるうちに、現在勤務するカッパクラブと出会ったのですか。

大学3年の夏に、ちょうどみなかみで『恐怖のラフティング』っていうテレビドラマの撮影があって、その手伝いをしにきたときに小橋さん(カッパクラブ前社長の小橋研二さん)に声をかけられて。ガイドのアルバイトをやってもらえないかと。

もともとみなかみの環境は、いいなと思ってた。温泉も好きだったし、自然に囲まれてるし。ラフティングもすぐそばにある生活、ここで住めたらいいなぁって。それで夏にカッパクラブのラフティングガイドとしてアルバイトをはじめた。卒業するときには、もうカッパクラブでガイドとして働くって決めていたかな。

ドナウ川下りでは、川沿いでキャンプをしながら下った。一期一会の仲間たちとの記念撮影も旅の情緒。

ー実際にガイドになってみて、思い描いたのと違ったなぁなどありましたか。

そういうのはなかったけど、ただやっぱり学生時代は楽しいだけのものだったから。川を下ってワーイ!みたいな。でも、仕事としてきちんと向かいあっていくなかで責任を感じるようになった。

ちょうどガイドになりたてのころ、外国のラフティング会社で経験を積んだガイドが帰国してみなかみでもガイドしてて。そういう先輩ガイドたちというか、その人たちの姿勢や意識の違いを感じて「これがプロだな」って思った。プロとしてお客さんを連れて行くということを感じはじめた。

あと、レースやツアーで何件か死亡事故が発生していたこともある。現場を目の当たりにして、生死に関わる仕事なんだとあらためて感じたし。それでもやめたいって思ったことは一度もなくて、それよりももっとトレーニングしてやろう!っていう気持ちのほうが強かった。

ーもっとスキルアップしてやろうと。安全で楽しいツアーがなによりです。

ラフティングをしにきたお客さんは最初はあきらかに緊張していることもある。とくに水が多い日とか。でも終わってみると、笑顔で帰ってくる。これってすごくいい仕事なんだと思ったんだよね。自分も楽しくて、お客さんもこれだけ楽しんでくれる。もちろんリスクはあるし安全のためにやらなきゃいけないことも多い。でも続けられているのは、根底に楽しい!ということ、やりがいがある仕事だっていうことかな。

ーガイドが心から楽しめているってとてもいいツアーだと思います。いわゆるお客さんを連れて行くコマーシャルラフティングの歴史って、日本はまだ浅かったですよね。ガイドになったころにニュージーランドに行かれていたと聞きました。

そうだね、リバーガイドの資格というのも整いはじめたころだった。当時、小橋さんが本場に行って経験を積んできたらいいという考えがあって。小橋さん自身は、そういう経験ができなかったからっていうのもあったから行かせてくれた。

ニュージーランドの北島。ロトルアでワンシーズンガイドを経験した佐藤さん。カイツナ川には滝落ちするセクションもありスリル満点。映像はカイツナ川のラフティングPV。

ー実際に行ってみてどうでしたか。

ガイドとして川に出るようになって数シーズン経験した後だったから、ニュージーランドに行って自分が劣っているという感覚はなかったかな。ワンシーズン、向こうでガイドとして働いていい経験になった。きれいないい川で、川が人を楽しませてくれるというか。ガイドが話術で楽しませるっていうより、純粋に川が楽しい。自然のスケールの大きさは感じたけど、日本の自然も負けてないなとも思った。スキルがあれば、どこでもガイドができるし手応えも感じられたかな。それがわかっただけでも行った甲斐があったと思う。

ーちょうどそのころは、レースラフティングも本格的に取り組んでいましたよね。ガイド同士で結成されたチーム、ラピッドマスターズ。現在日本に唯一あるプロのレースラフティングチーム・テイケイの前身でした。

あのころのレースもまたいまとはちょっと違って、レースしたいっていうよりも未知の世界への挑戦みたいな。どんな激流が待っているのか!という。ガイドとして腕を試したい、激流に挑んでみたいという気持ちだった。アフリカのザンベジとかアメリカ、チリにも行ったなぁ。

ー世界の激流を下ってる!すごいです。ザンベジ川は一度は下ってみたいと思ったりします。

ザンベジ川のときはトレーニング期間も入れて3週間くらい滞在した。そういういろいろな川を下った経験は、いまでも活きていると思う。レースだから速さを競うんだけど、それでももっと冒険的要素が強かったな。上位をめざす仲間もいたけれど、自分はとりあえずやってみよう!そんな気持ちだった。

しばらくレースから遠ざかっていた佐藤さんだったが、一念発起!マスターズクラスの年齢になり、ラピッドマスターズとしてレースに出場した。

ーさきほどのドナウ川の話しみたいですね。やってみよう!って。それって、なにごとにもに対する佐藤さんの姿勢なのかもしれませんね。きっとガイドは好奇心が旺盛だからこそ、お客さんとも楽しさを共有できるのかもしれません。ガイドの資質というか。でも最近ガイド志望が少ないと聞きました。

なかなか若手が入ってこない現状はある。自分も経験的にはガイドを育成する立場にあるんだけどね。こんないい仕事があるのになぁ〜って思うよ。いまは全国的にネパール人のガイドが多く働いている。即戦力だし、みんな真面目で勤勉。言葉もすぐ覚えるしね。

ーエッ!ガイドの世界もインバウンドの波が。驚きです。確かに未経験者が一人前のガイドになるためには、何度も川を下ってトレーニングを積まなくてはならないです。ひとりのガイドを育てるのに、それなりに時間もかかりますね。

日本人がトレーニングからはじめてガイドになるというのが少なくなってきているね。アウトドアツアーに参加する人は年々増えているけど、慢性的なガイド不足でもある。ガイドになったとしてもなかなか続かない現状もあって。やめてしまう理由は、ラフティングは季節が限られてしまうということもあるし、安定を求めてしまうのかな。

ーでも佐藤さんはこうしてアウトドアガイドとして年間されています。ツアー会社に雇用されていても、企業のサラリーマンっていうのとはちょっと違う気がするんですよね、ガイドって。もっとDIY的というか。ガイド一本で食べていくって、たやすいことではないけれど、決して無理な話ではないとも思います。

少し前までは、結婚したらこの仕事をやめるか独立するかの二者択一みたいな流れは強かった。いまだにそういう感じはあるけれど、ガイドでも食べていける時代になってきたと思う。アウトドア産業も町に受け入れられるようになってきたしね。みんな家族をもってここに住むようになった。それにどんな生活スタイルを求めるかというのも大きいよね。仲間のガイドなんかは、ガイド業のかたわらで野菜を作ったりして、自給自足をはじめたりしているよ。

それにガイドのスキルって、危機管理とかお客さんをうまくコーディネートして、話術も必要。だからどんな仕事にも活かせる要素があると思う。

カッパクラブの仲間たちと。2列目、左から4番目が佐藤さん。みなかみの自然を知り尽くした頼もしいガイドたちだ。

ー佐藤さんもいまは3人の子を持つお父さんです。大学の後輩だった宏美さんと2003年に結婚されて、家族5人。

結婚したときは、ちょうど年間でアウトドアガイドとしてやっていける!となってきた時期でもあったかな。そうだね、毎日楽しく暮らせているなぁ。いきおいで家も買っちゃったし。通勤時間は車で15分、信号がひとつもないという環境…。

ーうらやましい!通勤は電車で1時間以上なんてよくあります。お子さんたちは、アウトドア好きですか。

こんな環境だからアウトドアというか外で遊びもするけど、ゲームも大好きなんだよねぇ。でも夏休みには必ず家族でキャンプで旅行するようにしてる。去年は粟島に行って魚や貝を獲って食べたりして。

ーそういう経験もいいですね。お父さん頑張らないと!です。今後もっとこうしていきたいとか、ありますか。

冬もツアーが開催できるようになったとはいえ、まだまだ夏の集客には及ばない。だから、雪や寒さを活かした新しいツアーをはじめたいね。冬にもたくさんの人にみなかみに遊びに来てもらえるようにしたい。ガイド仲間で案を出し合ったり、ツアーができそうな場所に調査に行ったりして自然をもっと活かしたものを作りたいと、いまは模索中。

日本人ガイドが減ってきたという話しはしたけれど、自分と同年代のガイドはみなかみにたくさんいる。先輩ガイドも現役だし、一歩先の人がいるからまだまだやれるぞ!みたいなね。自分はこの仕事が好きでいいなって思っているから、同じくこの仕事に就きたいっていう若手があらわれてくれたら、嬉しいなぁ。
葉が色づきはじめたころの諏訪峡。春夏秋冬、さまざまな表情を見せてくれる。©ググっとぐんま写真館

ーみなかみも住みやすくていいところですもんね。

ここに住んでいていい点は、四季をはっきりと感じられるところかな。春は本当に春らしい。寒くてつらかった冬を乗り越えてやってくる暖かさとか。春の訪れとともに緑がグググッと芽吹いたり。山から動きが出てくるところが好きだな。夏は日中は暑いけれど、夜は涼しいし。秋は秋で春夏でため込んだ感じが紅葉になって出てきて、それが儚げに散っていく…みたいな。

ーははは。詩人のようです!

そんななかで働く、いい仕事だと思うんだよな〜。

(文=須藤ナオミ)



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雑感後記
 佐藤さん…いや、すっすーとはかつて一緒に働いた仲間。同い年で同じ横須賀出身でもある。ユーモアがあって静かで素朴な人柄。世界中でこの人を嫌いな人はいないだろう。ガイドは経験もそうだが、資質や人となりが重要なファクターとなる職業だ。間違いなくすっすーは天職に就いていると、今回あらためて話しを聞いて実感した。ガイドを志したい若人よ!ぜひともカッパクラブの門をたたき、すっすーに弟子入りして欲しい!


佐藤晋(さとう・すすむ)
1975年北海道生まれ。アウトドアガイド。大学在学中からラフティングガイドとして川を下りはじめる。卒業と同時にカッパクラブに入社、リバーガイドは20年以上のガイドキャリアを持つ。現在はラフティングの他に、ハイドロスピード、キャニオニング、スノーシューもガイディング。四季を通じてみなかみの自然を案内している。


カッパクラブ
「もっと ずっと 楽しく アウトドア」をキャッチフレーズに、群馬県みなかみ町を拠点にさまざまなアウトドアツアーを開催している。1994年、前社長である小橋研二氏がアメリカで開催されたアドベンチャーレースに出場したのを機に、種目のひとつであったラフティングをはじめとするアウトドアツアーを企画運営するカッパクラブを創立した。今年法人化20周年を迎える。




求む!アウトドアガイド!カッパクラブ採用情報

カッパクラブでは2017年シーズンのスタッフを募集中。経験は不問!自然が好き、アウトドアが好き、仕事にしたい、そんな方を求めています。さまざまなアウトドアツアーを開催していますが、ガイドはラフティングガイドの職能が必須となります。未経験者はトレーニング生として見習いからスタート。一人前のガイドになるべく、先輩ガイドから接客をはじめスキルを学びます。

雇用期間:4月〜10月の6ヶ月が基本。繁忙期、週末など応相談。
年齢:トレーニング生での募集は20歳から30歳まで
待遇:独身社員寮完備。食事補助あり(1日2食)
休暇:月4から6日。※基本的に週末、祝日、お盆といった大型連休の休暇は不可。
給与:トレーニング生1ヶ月目は試用期間、2ヶ月目以降月給10万円。ただし、トレーニング期間は3ヶ月。(※つまり3ヶ月以内にガイドアップをめざす)ガイドアップ後は、月給制(初年度15万円から)、または日給制(6千円から)など希望に応じた雇用形態になります。

※ガイドのほかにも求人情報があります!詳細はカッパクラブのホームページへ。

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