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登って、滑って、また登る!?あなたの知らない山岳スキーレースの世界。
2017.04.04 Tue
去る4月2日、長野県小谷村栂池高原で第11回山岳スキー競技日本選手権大会が開催された。レース当日は雲ひとつない青空、春休み最後の週末でにぎわいをみせるスキー場に61名の選手が集まった。最年少はなんと7歳、最年長は60代。幅広い年齢層がともにレースに出場した。
山岳スキー競技。一般にはほとんど馴染みがないこの競技について、はじめに説明しておこう。スキー競技とはいいつつも、レース中には「滑り」だけでなく「登り」もある。登りと滑走を繰り返し、タイムを競う。おもにスキー場を起点に行われるが、大部分はいわゆるバックカントリーが舞台だ。
スタートの様子。栂池といえば昔から山岳スキーが盛んにおこなわれていた場所でもある。
登りには、シール(スキー板に着ける滑り止め)を着け、状況によってはアイゼンを装着することもあり、まさに山岳を舞台に繰り広げられる。数時間で完結するレースもあれば、数日にわたる長距離のものもある。雪上のトレイルランニングといったところだろうか。ただし、積雪のなかで開催されるだけに、さまざまなリスクがともなう。それゆえに、主催者は安全管理を徹底しとくに雪崩に対する備えを行っていた。
選手は安全のために、ビーコンやシャベルといった装備の装着・携行がルール上義務づけられている。滑走技術に加えて持久力も求められ、レースといえどもいざというときの危機管理は選手自身も心得ておかねばならないだろう。わたしたちがイメージするオリンピックのアルペンスキー競技とはまったく違った、とても冒険要素の高い競技なのだ。
かつての世界選手権での一コマ。フランス、イタリア、スペインといった国がこの競技では強豪だ。
山岳スキー競技(英名はSki-Mountaineering)の本場はヨーロッパ。シーズンともなると、大小さまざまなレースが行われている。たいていカデットという少年少女のクラスもあり、選手層は厚い。なかでも代表的なレースは、スイスの氷河パトロールレース(Patroulle Des Glaciers)だ。第1回は1943年に開催され、長い歴史を持つ。
ここ10年ほどで山岳スキー競技の世界的な組織が設立、体制が整えられ、世界大会やワールドカップも開催。ヨーロッパだけでなくアジアでも競技会が開かれるようになってきている。ゆくゆくは、オリンピック競技に!そんな将来も見据えている。日本ではほとんど知られていないが、ヨーロッパでは伝統的な競技でもあるのだ。
さて、この競技のイメージがぼんやり湧いたところで、話しを週末に行われた山岳スキー競技日本選手権大会に戻そう。11回目を数える今レースは、栂池高原スキー場をスタート・フィニッシュに行われた。成年男女、少年男女個人のクラスは、国際山岳スキー競技連盟(International Ski Mountaineerring Federation:ISMF)の協議ルールに沿って設定されたコース。ISMFのレーススケジュールにもきちんと掲載されているのだ。
レース前日のブリーフィング。天候や雪の状態によって直前までコースは見直しや変更が行われる。
しかし、日本ではまだ発展途上のこの競技。より多くの人びとがこのレースに出場、体験できるようにという思いから、ショートコースやさらに短い距離を設定したチャレンジという部門も設けられていた。そして、テレマークでの出場(※表彰は別枠)もOK。必携装備となっているビーコンやプローブ、ショベルもレンタルできるようになっており、レースの門戸を広げようとする主催者の努力がうかがえる。レース前日に行われたブリーフィングでも丁寧なルール説明がされ、コース上で危険の高い箇所は写真を交えて解説するなど、入念に行われていたことが印象的だった。
スタート直後。早くも飛び出すトップ選手たち。今回は日本代表選手が男女合わせて6名出場していた。
大会の技術代表である白馬村の降旗義道氏からは、通過中であった南岸低気圧の影響はないだろうということと、晴天が見込まれるが気温の上昇にともなって雪崩の危険性について注意喚起がされた。そして、まだまだ知られていない山岳スキー競技発展への熱い思いも吐露。出場する選手にも、ともにこの大会を作っていこうという一体感が生まれていた。
初出場やファンレーサーも多い。それぞれのペースでレースを楽しむことができる。
午前9時半。スタートラインにならんだ61名は緊張の面持ちでスタートの合図を待つ。「20秒前…」徐々にカウントダウンされていき、パーンッ!いっせいに走り出した。シューッ、シューッと、スキー場らしからぬ音があたりに響く。まずはシールを着けての登りだ。トップで飛び出したのは日本代表としても世界大会に出場している選手たち。そして、後尾には初出場の選手の姿もあり、一団は徐々に長細い列へと伸びていった。
当日は気温も高く暑さとの戦いでもあった。少年女子クラスで出場の駒井野乃さん。将来有望な選手のひとりだ。
すべてを見て回るのはなかなかに難しい競技なので、途中のトランジッションポイント(登りから滑走、あるいは逆となる旗門)で選手たちを待つことに。コース上には、目印となる旗が点々と打たれている。登り区間には緑、滑走区間には赤い旗がたてられており、選手は基本的には旗のあるところをたどるようになっている。
トランジッションでの様子。滑走に向けてスキーを履き、あるいはシールを一瞬で剥がして懐へとしまう選手たち。
レース当日の雪のコンディションは、かため。登りではシールが利きにくい箇所も多数あり、全体的に滑りにくいコンディションだった。しかし上を見上げれば雲ひとつ無い青空に、遠くの峰々も見えて眺めは爽快。登りの苦しさから解放され滑走区間に入った選手たちの「ホーッ!」という雄叫びが上がっていた。
きついレースではあるが、こんな景色のなかを滑走するのは爽快そのもの。
残念ながらタイムオーバーでフィニッシュできない選手もいたが、競技は事故も無く終了。アットホームで草レース的雰囲気をもちながらも、れっきとした国際競技規則に沿ったレースでもあり、レース初出場選手から日本代表選手まであらゆる層が出場する、じつにさまざまな顔を持った競技会だった。
成年男子で優勝した加藤淳一選手(中央)、2位の藤川健選手(左)、3位の松澤幸靖選手(右)。
主催団体である公益社団法人日本山岳協会は、2017年4月1日から日本山岳・スポーツクライミング協会と名称を改めた。期せずして改称してはじめての競技会が、この第11回山岳スキー競技日本選手権大会となった。2020年には東京オリンピック開催があり、山岳界にとってはフリークライミングの競技採用が大きなニュースでもある。フリークライミングの他に同協会が国際的な受け皿となっている競技には、アイスクライミングと今回の山岳スキー競技があり、どちらも同じくオリンピックでの種目採用をめざしている。
成年女子で優勝した星野緑選手(中央)、2位の加藤倫子選手(左)、4位の西田由香里選手(右)。
現在、競技人口や注目度はフリークライミングが比べものにならない突出具合だ。しかし、来たる2020年ジュニアオリンピックや、2022年北京冬季オリンピックでの山岳スキー競技採用の可能性も十分に考えられるだろう。近年はバックカントリースキーの人気の高まりもあり、各地で山岳スキー競技が開催されるようにもなってきた。少しずつではあるが出場者も増え、中学生や高校生のジュニア世代も数こそ少ないものの、将来有望な好タイムを出している。
日本にようやく根付きはじめた山岳スキー競技。この競技でオリンピック選手をめざすのもあながち夢ではないかもしれない。そんな期待を持たせるレースだった。
(写真・文=須藤ナオミ)