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【トルデジアン走ってきた #1】女、33歳。未経験からエベレスト3回分の標高と330kmを走ることになるまでの3000日
2017.12.22 Fri
中島英摩 アウトドアライター
“Tor des Geants(トルデジアン)”というレースがある。
イタリアの山岳地帯を150時間以内に330km走るというクレイジーなレース。
このグレートレースに挑んだライターの中島エマさん(33歳、独身、女性)が、
走りはじめるに至ったいきさつからトルデジアン完走までをAkimamaに寄稿。短期連載でお届けします!
クレイジーとかグレートとか。桁外れな世界が人々を惹きつけるのはなぜだろう。平凡な日常の中で、ハリーポッターみたいなそういうファンタジーの壮大さや未知なる世界に夢を抱いてワクワクするからだろうか。でもこれはクレイジーでもグレートでもファンタジー=幻想でもなく、いたって普通のとある女の話である。
「ほら、エマちゃんはさ、ちょっとベツモノだからさ」
33歳、独身、女。
そんな風に言われてもいまいちピンとこない。20代半ばまで、ナンバーワンにもナンバーツーにもオンリーワンにもなったことのない、ごくごく普通のひとりの人間として生きてきた。さして勉強ができるわけでもなく、だからといって運動ができるわけでもなく。派手なグループと仲が良いわけでもなく、だからといって地味ってことでもなく。ごくごく普通に育ち、ごくごく普通に大学を卒業し、ごくごく普通に就職してOLになった。
すべてのはじまり
20代半ばに、社会人になって数年間付き合っていた彼と結婚直前で別れた。よくある話だ。でもこれがたまたま、人生を大きく変えるきっかけになった。別れることになった細かい理由はさておき、その頃のわたしは、社会に出て色んな人や世界に触れて、溢れんばかりの感情と爆発しそうなほどのパワーが有り余っていたが故に、結婚して落ち着くことを全細胞が拒否したのかもしれない、と今は思う。自分で別れを告げておきながら、4日泣き明かした。
そして、5日目の夜。なんとなく外にでて、かったるい身体で近所を3km走った。ジョギングなどしたことがなかったから、その辺に散らかっていた学生時代の学園祭のTシャツにユニクロのスエットパンツ、足元はアディダスのスタンスミスだった。
その翌日も、その翌々日も3km走った。仕事が終わって帰宅し、独りでは広すぎる部屋を出て、夜の住宅地を黙々と走った。その次の日もその次の次の日も走った。痩せて綺麗になって見返そうとか、悲しい気持ちを忘れようとか特にそういうわけでもなかった。だからといって友達に愚痴って酒に溺れたいわけでもなく、急に独りになったもんで、20代のアフターファイブを持て余していただけかもしれない。20代OL、趣味なし彼なしではやることがなかったらしい。
それからおそらく、100日くらい走った。夜に走れなければ朝の仕事前に走るようになった。
はじめは何かにつられるように足が勝手に外に向かっていたが、次第にわけもなくただ走りたいから走るようになった。「走りたいから早く帰る」「毎日走っている」というと同僚が哀れな目でわたしを見て、飲みに誘ってくれることもあった。いつでも話を聞くよと慰められたけど、わたしはそれよりも走りたかった。まるでフォレストガンプのようだ。でも、この時はそんなことすら考えもせず、ただただまっすぐ前を見て走っていた。それこそまさに、フォレストガンプだ。
「Run, Emma! Run!」
ひたすら走り続けた約3000日
それからわたしの人生はまるで変わった。そばにいる人が変わろうとも、環境が変化しようとも、どんな時も走り続けた。日に日に増して、長い時間、長い距離を走るようになっていった。
走りはじめて200日が経つ頃に10m走れるようになった。
400日が経つ頃にやっと20km走れるようになった。
それから600日近く、20kmと闘い続けていた。
1000日くらいして試しに山を走ってみた。
1500日が経つ頃には山を20kmくらい走れるようになった。
1600日くらいだったか、山を80km走ったとき、たがが外れる音がした。
2000日頃には120km、夜を越えて山の中を30時間くらい走った。
2300日とひと月、片道19時間飛行機に乗って、はじめて海の向こうの山を110km走った。
2700日ちょうど。ケーキではないモンブランの周りを3日間かけて、170km走った。それは一層わたしの欲求に拍車をかけて、もうどこまででも、地球の裏側まででも走って行けるような、そんな風に感じた。
そして、3084日目、33歳の夏。わたしはまた、走り出そうとしていた。
3084日目の旅のきっかけは、「クジ」だった。
2017年春に、大事なクジ引きがあった。山を330km走って良いかどうかの権利を決めるという、普通の人が聞いたら馬鹿みたいなクジだ。
いつのまにか山を走るようになって、5年。3000日近く走っているわりにはわたしは足が遅く、たいていレースではビリから数えたほうが早い。でも、長い距離ともなれば、たとえ足が速くても途中で怪我をしたり具合が悪くなったりして棄権する人がいる。だけどわたしには、走ることを止める理由が特にない。だれもわたしを止めたりもしない。どんな局面でも、結局のところ根底に「特に理由はないけどとにかく走り続けたい」という気持ちがあって、どうやらそれはトレイルランニングのエンデュランス(長距離長時間)に向いていた。
もっともっと山の中を走っていたくて、どんどん長い距離を求めるようになり、2016年にはモンブランの周りをぐるりと一周する“Ultra-trail du Mont-Blanc(UTMB)”という170kmのレースを完走した。トレイルランニングでは、100マイル=160kmというひとつのカテゴリのようなものがあって、【100マイルレース】は世界中で開催されている。トレイルランニングにもトレンドがあり、もっと別のスタイルもあるものの、黎明期からしばらくはロングレースをめざすブームがあり、100マイルレースはトレイルランナー達のひとつの目標や夢のような存在でもあった。
でもわたしは、100マイルを完走しても全然満足感がなかった。達成感は確かにあった。でも、3日間に渡る170kmのレースの最後の4kmを走りながら、「あ~もっと走っていたいな~」などと考えていた。どう考えても身体はボロボロだったけど、もっと向こうまで行きたくて、ゴールの向こうに見える遠くの山を眺めながら走った。わたしにとっての走る理由は「100マイルを完走すること」ではなかった。
わたしは、翌年、「山を330km走って良いかどうかの権利を決めるという、普通の人が聞いたら馬鹿みたいなクジ」にエントリーした。それに対し、全世界から実に何千もの人が手を挙げる。冷静に考えてみたら、正直わけがわからない。なんとも規模のでかいクジ引き当日、震える手で見た結果は、「落選」だった。2500人以上が走りたいと望み、選ばれたのは860人だった。
それなのに、当選おめでとうというメッセージがトレイルランニング仲間から次々に届いた。わたしは“ウェイティングリスト”が2番目だった。当選した人が参加しない意志を示すと、落選した人が繰り上がる仕組みだ。落選した人にも番号が付いていて、順番待ちをするのだ。2番目ならば、確実に繰り上がるらしかった。一週間もしないうちに繰り上がり当選となった。330km走れる~! と喜んでいるめでたい奴に、みんな優しかった。
だけど、親友が言った。
「わたしなら、お金もらっても、そんな距離走りたくないけどね」
そうしてわたしは、走りはじめて3084日目、ちょうど7月に33歳になったばかりの年に、イタリアの山を330km走ることになった。「Tor des Geants」、巨人達の旅。距離は330km、標高差24000mD+、制限時間150時間。普通の人の感覚では「クレイジー」で「グレート」な部類の超長距離レースだ。ヨーロッパアルプスの4大名峰、モンブラン(4810m)、グラン・パラディーゾ(4061m)、モンテローザ(4634m)、マッターホルン(4478m)に囲まれる山岳地帯を走る。累積標高24,000mは、数字上ではエベレスト登山の約3倍に値する。それが330 ㎞に詰め込まれている。
150時間、つまり一週間、好きなだけ、走ることができる。そう思うと、ゾクゾクした。その時はじめて、自分がちょっと普通じゃないベツモノであることを認識した。
エントリー費、約8万5千円を支払うと、チープなOKマークがわたしの大会参加承認を告げた。