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【トルデジアン走ってきた #2】330kmに渡る巨人達の旅。出発までの道のりもひと筋縄ではいかない

2017.12.27 Wed

中島英摩 アウトドアライター

世界でもっとも過酷な耐久レースのひとつに挙げられる“Tor des Geants(トルデジアン)”。このグレートレースに挑んだライターの中島エマさん(33歳、独身、女性)が、走りはじめるに至ったいきさつからトルデジアン完走までをAkimamaに寄稿。短期連載でお届けします!

▼前回のお話はこちら
【トルデジアン走ってきた #1】女、33歳。未経験からエベレスト3回分の標高と330kmを走ることになるまでの3000日



20代半ば、カレと別れたことをきっかけに暇になって走りはじめ、3084日目、ちょうど“33”歳になったばかりの年に、イタリアの山を“330”km走ることになった。
「Tor des Geants(トルデジアン)」、巨人達の旅という名のレース。
距離は330km、標高差24000mD+、制限時間150時間。超長距離レースだ。ヨーロッパアルプスの4大名峰、モンブラン(4810m)、グラン・パラディーゾ(4061m)、モンテローザ(4634m)、マッターホルン(4478m)に囲まれる山岳地帯を走る。累積標高24,000mは、数字上ではエベレスト登山の約 3 倍に値する。それが330 ㎞に詰め込まれている。

* * *

旅になんちゃらはツキモノ

 昔から宿題は3日前からはじめるほうで、山の計画は好きだけど、パッキングはだいたい前夜に慌ててやることになる。たとえそれが海外旅行でも同じで、何週間も前から散々出したり入れたりしたはずなのに、結局慌ててキャリーバッグに詰め込んで、大急ぎで羽田空港に向けて電車に飛び乗った。

 海外の山へ行くは、3度目だ。過去2度は、いずれもヨーロッパで開催されるトレイルランニングのレースに参加した。フランスの一大山岳リゾート、スイス・イタリアの国境にほど近いシャモニーという町をめざす。毎回エミレーツ航空を選び、ドバイを経て、スイスのジュネーヴ空港から入る。エミレーツ航空は、チケットが安いわりには機体がわりとキレイで、機内食も悪くない。1席に1つ付いたモニターのエンターテイメントコンテンツも充実していて、長時間のフライトにはありがたい。フライトアテンダントは、サービス大国日本からすればあまり愛想が良いとは言えないが、ドライな感じが気楽でいい。何よりも海外レースの際に皆がもっとも恐れる「ロストバゲージ」率が他の航空会社より断然低い。荷物だけは安心だ、完全にそう思っていた。

 が、荷物を預けるカウンターの目の前で、使い古したキャリーバッグの中央ファスナーが大破した。

レース用に持ってきていたダクトテープで内側からファスナーを止め、無理やり閉めて両サイドを完全封印した。羽田空港で急遽購入したベルトは、ジュネーブに着いたら跡形もなく消えていた。

 想定外のトラブルでローテンションのまま、仲間に出発の報告をしようと、寄せ書きでいっぱいの日の丸を持って、搭乗前に見ず知らずの人に写真を撮ってもらう。え? なに? あの人なんかの選手なの? 有名人なの? みたいなザワつきに気まずい顔しかできなかった。真夜中の薄暗い空港で、なんとも微妙な写真になってしまった。

旅にツキモノのなんちゃらは続く

 スイスのジュネーヴ空港に着き、空港からのワゴンタクシーに乗り込むと、シャモニーまで1時間と少し。中心街のちょっと良いホテルを予約した。予約時期が遅れてほとんどのホテルが満室で、ようやく抑えた宿だった。まぁ、初日くらいゆったりしたベッドでフライトの疲れを癒せば良い、そう思っていた。

「Excuse-moi, madame…」

「インイングリッシュプリーズ!」

 フランス人は英語を話さないという人もいるが、パリに行った時はそんなことはなかった。シャモニーも観光地なので、ちょっと英語が苦手そうな人はいるけれど、ホテルはだいたい英語が通じる。でもなぜか最初はいつもフランス語で話しかけてくる。何を言っているのかわからなかったので英語で、とお願いした。

「マダーム……ノー・リザベーション」

 えっ? 確かに予約したはずだとメールの履歴を探してみると、わたしの持っているカードが現地の決済システムに対応できなくてキャンセルになっていたらしい。
「わたしにはもうどこにも行くアテがない……!」
「どんな部屋でもいいんだ……!」
英語で何て言えばいいんだ!必死で考えて青ざめているわたしに、スタッフが上品な笑顔を向けた。

「Madame…Don't worry. We have room today. You can stay here, tonight!」
(マダーム、心配ないよ、空室があるから、今日ここに泊まることができますよ)

 中2レベルの英語で話してくれるホテルスタッフのおかげで、初日からモンブランの麓で路頭に迷わずに済んだ。

それにしてもめっちゃいい部屋。

自称晴れ女、最大の危機

 雨女だね! 晴れ女だね! という話をする度、そんなのがあれば地球温暖化とか氷河期とかそういうのがなかったんじゃないかと思いつつ、それでもわたしは晴れ女だと豪語し続けてきた。

 一週間ほど前から現地の天気予報をチェックしはじめたが、絶望しかなかった。
 初日、豪雨。
 二日目、雷雨、雪。
 三日目、雷雨、雪。
 四日目、雨。
 五日目、雨。
 六日目、雨のち曇り。
 七日目、曇りのち晴れ。

 5日前くらいの時点でもそんな感じだったと思う。怖かった。9月のヨーロッパアルプスの標高3000mは完全に冬山だ。過去にも天候を理由に、選手の安全を確保するためにレースが一時中断や中止になったこともあった。天候が悪かった年に、凍結した路面に足を滑らせた選手が亡くなって以降は、チェーンスパイクが必携装備*になった。気温は-5℃から-15℃、風速は2000m地点で15m/sとか25m/sとかいう信じがたい数字が画面上を踊っていた。それがスタート2日前になって急に前半の日程が曇り予報になり、後半が雨に変わっていた。到着した日は、かすかに空が白んでいたが、モンブランがよく見えた。

 ヨーロッパアルプスよ。見たか、これが晴れ女の本気だ!

*必携装備…トレイルランニングのレースではしばしば必携装備というルールがある。選手は大会側が指定するウエアやギアを必ず持って走らなければならない。レース前日の受け付け時には装備チェックがあり、これを守らなければ失格どころかスタートすらできない。

丸い山がモンブラン。フランス側、シャモニーから。

遠足の日に限って熱を出す

「わたしのチャームポイントは生命力です」というしょーもない自虐ネタが鉄板で、だいたいどこでもウケる。実際、風邪なんてほとんどひかないし、高熱なんて大人になってから出たことがあったか記憶に薄い。もちろん入院なんかしたこともない。

 なのに、なんかここぞという時にどこかがおかしくなる。遠足の日に限って熱を出す体質なのだ。唯一身体の弱い点と言えばアレルギーで、食べ物もホコリもダメで、植物にも弱い。それがよりによってこの旅の前に発症した。

 何がきっかけだったかよくわからないが、水っぽいアレルギー性鼻炎が出発2週間ほど前から続き、そのうち治るだろうと漢方を飲んでいたが、結局治らずまま現地入りすることになった。ヨーロッパアルプスのあたりは空気がとても乾燥している。到着して2日目にはかなり酷いクシャミ鼻水になり、慌てて後から来る日本人の方に強い薬を買ってきてもらうように頼んだ。前日に一時的におさまったように思えたが、“眠くなる”アレルギーの薬をレース中に飲むほど勇気はなく、結局レースには持っていかないことにした。

1週間のレースを11リットルのバックパックで走る。ここに入れない荷物は「ドロップバッグ」という大会指定のボストンバッグに入れておけば、ライフベースといわれる補給や休憩ポイントまで運んでくれる。

GRIVELのボストンバッグが支給される。この中に食料、救急用品、バッテリー、着替えなどを詰め込む。ファスナーがちぎれそうだった。

親切すぎるホテルからの温かいプレッシャー

 モンブランをはさんでシャモニーの反対側、イタリアのクールマイヨール。前夜に日本人参加者の集まりがあった。トレイルランニングの世界では有名な人もいて、錚々たる面々だった。皆平気な顔をして、ピザ片手に何百キロというレースの話をする。トルデジアンを何度も完走している人もいる。レベルが違いすぎて頭に入ってこなかった。1杯だけ、と決めてビールを飲み干した。

クールマイヨールにあるトンネルというお店。パリッとした生地のピザがめちゃくちゃ美味しかった。トルデジアンの選手御用達らしい。

 当日、朝。出発の日の朝食は、サラダやヨーグルト、スクランブルエッグにふわふわのパン。これから1週間食べられそうにないものをたっぷりお腹に入れた。ホテルの食堂の窓から見える空は青く晴れわたっていた。

ホテルの朝食はなんでも美味しかった。チーズやハムは大好物だ。普段は米食が多いが、イタリアやフランスで食べるパンが美味しすぎて、帰国後もしばらくパン中毒になったほどだ。

 ホテルを出る時にフロントのスタッフに『じゃあまた、一週間後ね!』と声をかけられる。滞在先のホテルはトルデジアンに出るランナーにとても親切なシステムで、レースに出ている間はなんと部屋をキープしたまま宿泊代がかからない。最初の予約時にメールが届いた時は、全く意味がわからなかった。荷物だけ預けるのかと聞いても、レースに出ている限りはこの部屋はあなたのものだと言う。

「ただし、リタイアして戻ってきたら宿泊代がかかるよ」

 これは凄まじいプレッシャーだった。なるほど、部屋をキープしておかないことには、万が一リタイアした時に泊まるところがない。シャモニーやクールマイヨールは観光客商売で物価が高く、シングルを取ろうものなら1泊13000円〜18000円くらいはかかる。たとえば3日でリタイアしたら4日分、4万円以上かかる。これはイタい。色んな意味でこれほどまでに選手想いのシステムはない。

「シーユーネクストサタデー!」

いよいよ330kmの旅へ

 元気に叫んでホテルを出た。
 スタート地点には、戦闘服に身を包んだランナーが続々と集まっていた。今まで走ってきたレースとはまるで雰囲気が違った。そわそわする選手などほとんどおらず、皆が淡々としていて動じない。年齢層が高く、白髪交じりの人もいる。皮下脂肪が少なく若いころに伸びた皮膚が余って皺となっている。その皺の深さは経験の深さだ。人生が刻まれている。使い込まれ身体の一部かのような装備。黒く焼けた肌。意志の強い瞳。
 わたしなんて、赤子のようだ。

「なんか、さすが、みんなすごいですね」

 仲間と話をしても、そんな他人事のような言葉しか出てこない。これから自分の身に起きることが想像できない。走り続けたい、そう思い続けてここまできたのに、なんだか身体が宙に浮いているような気分だった。

「写真、撮ってあげようか。ほら、そのへんがいいんじゃない。」

 仲間がフワフワするわたしの写真を撮ってくれた。笑顔を作ったつもりだったが、顔の筋肉が引き攣って上手く笑えなかった。

 わたしの走る人生、3084日目が始まった。

ゲートの周りには応援の観客がたくさん!

2015年まではMONTURA、2016年からMONTANEがメインスポンサーとなっている。

スタートゲートの前で折りたたみ時代の携帯電話くらいの大きなGPSを付けられる。できるだけ外側の布の薄いところ、しかもザックの上(肩や背中)の方でないとGPSを拾えないと言われて結構厳しかった。ゼッケンの位置を注意されている選手もいた。

引き攣りすぎの顔。

つづく
【トルデジアン走ってきた #3】ついにスタート。330kmの冒険のはじまりに浮足立つ

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