ホーボージュン令和元年のアジア旅! 「ヒマラヤの果て、雲の手前。〜幸せの国ブータンを旅する〜」前編

2019.07.31 Wed

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ホーボージュン 全天候型アウトドアライター

Photo by Keiji Tajima


アウトドアライターのホーボージュンさんが
アジアバックパッキングのレポートをお届けして今年で4年目。
令和最初の旅先は、“世界一幸せな国”として知られる
ヒマラヤのブータン王国!
果たしてどんな自然が広がり、
人々の暮らしが待っているのでしょうか?

 

「旅になんか出ないですむなら、それがいちばん幸せだ」

 あれからもう何年になるだろう。その昔、バックパッカー仲間からそんなことを言われたことがある。

「俺らが旅に出るのは、きっとぜんぜん足りないからなんだ。なにが足りないのかわからないけど、とにかくぜんぜん足りなくて、でもここにいたんじゃ見つからなくて、やみくもに歩き回っているだけ。それが旅の正体だ」

 ドミトリーのベンチに座り、クソ甘いチャイを啜りながら僕らは答えの出ない話を続けた。あれは夏の終わりで、旅人は少しずつ自分の居場所に戻り始めていた。満室だったこのバッパーも、いまはもうガラガラだ。時刻は午前1時を回っていた。裏庭から虫の声が聞こえていた。さあもう寝ようぜ、明日は始発なんだろ? そう促して灰皿を片付ける。ああそうだな、お前も元気でな。トーキョウに戻ったら連絡くれよ。そう約束したが、あれっきり会っていない。

「ほんとうに幸せな人は、旅になんか出ないんだよ」

 別れ際、寂しそうに、だけどきっぱりとそいつは言った。

 あれから何年も経ち、去年の正月に、初めてのこどもが生まれた。この歳になって父親になった。まさか自分の人生にこんなことが起こるなんて思いもしていなかったが、それは想像していたよりずっと楽しく、素晴らしい体験だ。今もしあいつに「幸せか?」と問われたら「100%ね」と答えるだろう。あいつ風に言うのなら「ぜんぜん足りてる」のだ。

 それでも僕は旅に出た。目的地はブータン王国。「世界一幸せな国」として知られるヒマラヤの小国だ。

 足りないから行くんじゃない。幸せを求めていくんじゃない。これは僕にとってはもう一歩先の旅だ。新しい地図を携え、新しい旅をする。ヒマラヤの果て、雲の手前。チョルテンがそびえ、ルンタがはためく夢の国へ。
 

時代を超越したかのような
テーマパーク感

 バンコクを飛び立ち、インドのカルカッタを経由した小型飛行機は、分厚い雲の中をゆっくりとパロ国際空港へと下降していた。まるで東新宿の雑踏にいるような喧噪とむせかえるような熱気は、満席のインド人とともにカルカッタで排出され、ガランとした機内には僕とケイジ君、そして実直そうな若者の集団が残っているだけだった。

 でも彼らがブータン人なのかネパール人なのか、それともどこか別の国から来た観光客なのかよく判らない。そもそもブータン人てどんな顔なんだっけ?

 たいした予備知識もないまま、僕はブータンに向かっていた。知っているのは経済発展よりも国民の幸福をめざしているということと、国王夫妻が美男美女だということぐらい。東日本大震災の時に被災地で祈りを捧げる国王を見て、いつか訪ねてみたいなと思っていたのだ。 飛行機が着陸すると日本とのあまりのへだたりに軽い目眩を感じた。国際空港だというのにボーディングブリッジも駐機場もない。だだっ広い滑走路に小学校の木造校舎のような建物が建っているだけだ。建物の屋根は瓦葺きで、窓という窓、柱という柱にカラフルな色彩の仏教紋様が描かれ、まるで中世の仏教寺院のようだった。なにかの手違いで民俗資料館かテーマパークにでも放り込まれてしまったんじゃないかと僕は思った。
「コンニチハ。ガイドのソナムです。こちらはドライバーのセリングです。ブータン王国へようこそ」

 到着口まで迎えに来てくれたふたりの姿を見て、僕のテーマパーク感は倍増した。白いYシャツの上に着物のような前合わせの民族衣装を纏っている。膝丈の足元には黒いハイソックスを履き、ピカピカに光る革靴を履いていた。まわりを見回すと、同じように民族衣装で着飾ったガイドとドライバーが何組もいて、クライアントの到着を待っていた。きっと民族衣装の着用は政府の定めたレギュレーションなのだろう。政府公認ガイドのソナムさん(左)とドライバーのセリングさん(右)。ソナムさんは山岳ガイドでもあり、30日以上の長期トレッキングをガイドすることもある。敬虔な仏教徒でこの旅の途中形而上学的な話も熱心にしてくれた。

 ブータンでは外国人の自由旅行は禁止されていて、観光旅行はすべて政府公認ガイドが同行する。ビザ取得にはあらかじめルートとスケジュールを申請し、日数分の公定料金を納めなければならない。

 公定料金とはブータン政府が定める観光1日当たりの最低必要旅費のことで、具体的には1日ひとり290ドル(約32,000円)かかる。これにはホテル代、食事代、ガイド代、専用車のガソリン代、ドライバー代がすべて含まれ、僕のように登山を目的とした旅行の場合はレンタルテントやキッチンスタッフの人件費なども含まれる。ようはすべてが官製の観光ツアーなのだ。

 旅人目線でいうと勝手に動けないのはもどかしいが、この制度のおかげで野放図な観光開発が抑えられ、ブータンの伝統と平穏が保たれているのは確かだ。

 それにしても1日290ドルは痛い。今回僕は全10日間の日程で旅を計画していたのだが、旅費をなるべく安く上げるためにいろいろ工夫をした。たとえば公定料金はオフシーズンは240ドルに下がるので、渡航は6月まで待つことにした。6月に入れば往復のエアチケットもぐんと安くなる。雨季が始まってしまうから天候や眺望の点で不利だが、背に腹は替えられない。

 またブータン入国日から無駄なく動けるように、前日はタイのバンコクでトランジットし、8時間も待って未明に経つ便に乗った。こうすれば早朝に入国できるからだ。

「これが私たちのクルマです」

 ソナムさんが指さした先には韓国製の黒い小型車が駐まっていた。ボンネットには金色のペンキでドラゴンの絵が描いてある。ドラゴンはブータンの象徴で、正式国名の「ドゥック・ユル」は「雷龍の国」という意味だ。「これはセリングが描きました。彼の本業は絵師なんですよ」
「へえ~!すごい!」

 セリングさんは笑顔の優しい青年で格子柄の民族衣装を着ていた。英語があまり得意でないようで何をきいてもずっとニコニコしている。

 僕らはさっそくドラゴン号に乗り込んだ。まずは古都プナカへと向かう。ここへ行くには3,150mのドチェ峠を越え、4時間以上も山道を走らなければならない。細くて心許ない国道を走りだすと道ばたに『No Hurry, No Worry』という看板があった。急がなければ、心配事は起こらない、ということなのか。いきなり含蓄のある言葉をブータンは投げてきた。まあのんびり行こう。トレッキングブーツを脱ぎ、後部座席にあぐらをかいた。
 ロードサイドにはハゲ山が続いていて、ときおり大きな農家が見えた。どれも同じような瓦葺きの3階建てだ。窓には極彩色の仏教紋様や龍、虎、孔雀などが描かれている。日本だったら文化財に指定されるような立派な作りでアルミサッシも樹脂部品も使われていない。古民家だけでなく新築の家もすべて同じ作りだった。

「あれは法律で決まっているの?」ガイドのソナムさんに訊く。
「はい、そうです。ブータンの伝統的な建築様式で、西洋建築は禁じられています」

 1階は牛や馬の小屋で2階に家族が住む。3階は壁のない東屋のような構造になっていて、ここで穀物を乾燥させたり干し肉を作ったりするそうだ。建材は山から切り出した松やスプルースで、基礎になる日干しレンガも自分たちで作る。家を建てるときは近所総出で手伝うが、完成まで何年もかかるという。でもそうやって建てた家はとても丈夫で、築200~300年の民家はブータンでは珍しくないという。 移動中、ソナムさんからブータンの基本情報を教えて貰った。ブータンはヒマラヤ山脈の南側に張り付くようにあり、国土の45%が3,000m以上の高山だ。

 面積は九州と同じくらいだが人口は70万人しかおらず、人口の65%が農業従事者だ。これは世界でも断トツの1位。カンボジア、カメルーン、インドなど肥沃な大地を持つ農業大国よりその比率が高いことに驚いた。「ブータンには資源もないし工業もありません。みんな自分たちでお米を作ってそれを食べて暮らしている。私も年に3カ月はこうしてガイドをしていますが、残りは農家をしています」

 ブータンには平地がほとんどなく、山間に棚田を作ってそこで赤米を栽培している。それをインドに輸出し、肉や野菜を買っているそうだ。

 また敬虔な仏教国なので殺生をとても嫌う。たとえば近くを飛ぶ虫たちすら、自分の生まれ変わる前の姿かもしれないと、手を出さない。だから山の民でありながら猟も釣りもしない。じゃあ全員がベジタリアンなのかといえばそんなことは全然なく、インドから輸入した食肉をワシワシ食べている。殺生と肉食は別問題らしい。そういう話を聞くとちょっとホッとする。

未明だった私たちを
先代の国王が変えてくれた

 2時間ほど走り、チュゾムという集落で休憩を取った。ここはパロ川とティンプー川が合流する場所で信仰上の聖地だそうだ。河原に大きな仏塔(チョルテン)が3つも建っていた。

「それぞれ違う形をしているでしょう? あれは、ネパール式、チベット式、ブータン式で、ここからは見えないけどインド式のストゥーパもあります。ここで合流した川はヒマラヤを下ってバングラデシュでブラマプトラ川に合流し、最終的にはガンジス川へと流れ込みます。その流域諸国の国際平和を祈念して各国の仏塔を建てたのです」

 橋の横には第5代国王のジグメ・ワンチェク国王と王妃の巨大な写真が掲げてあった。ブータン人はみんな国王夫妻が大好きだ。ここだけでなく道中のあちこちに写真が掲げられていた。 いまのブータンがあるのはワンチェク王朝のおかげだとソナムさんは言う。特に先代である4代目ワンチェク国王の果たした役割は大きい。

 4代目は17歳で即位し「世界一若い王様」と呼ばれた。若くして国の民主化と近代化に努め、外交をたくみにリード。さらに自分たちのような小さく貧しいヒマラヤの山国が生き延びるには拝金主義、発展主義を捨てることが重要だと見抜いた。そして国の指標をGNP(国民総生産量)ではなくGNH(Gloss National Happiness・国民総幸福量)にすることを提唱したのだ。

「長い間ブータンは未明の国でした。地面を耕して食べ物を育て、それを食べるだけの暮らしです。みんな牛のようにバカで、誰ひとり文字も読めない。私が小学校に入った1980年代の識字率は1割もなく、学校の先生も、お医者さんも、役人もみんなインド人でした」ブータン人は殺生を嫌い、動物に対しても非常に優しく接する。そのために国じゅう野良犬だらけだ。野良犬といっても政府により10万頭が避妊去勢手術とワクチン接種を受けていて、みな穏やかで人なつこい。

 そんな国を一変させたのが前国王の水力発電政策だった。ブータンはヒマラヤの斜面にあるので国じゅうに急流が走っている。雪解け水で水量も豊富だ。そこで各地にダムを造り水力発電をした。そしてその電気を広大なインド大陸へと供給したのだ。じつはこの売電収入が観光や米の輸出を上回るブータン最大の国家収入になっている。

「前国王はその豊富なお金をぜんぶ教育と医療に使いました。ブータンでは小、中、高、そして大学まで学費はすべてタダ。病院もタダです。昔は農家の子どもたちはみな畑の手伝いをさせられていましたが、今はみんなが学校へ行っています。そして今は学校の先生もお医者さんもみんなブータン人になりました」

 ソナムさんの娘も大学で経理を学び、今はオーストラリアで働いているそうだ。教育は国の宝だと、胸を張る。

 いい話だったけど、僕は猛烈に眠かった。なんだか意識がもうろうとしてあくびばかり出る。隣を見るとケイジ君も大あくびをしていた。退屈していたわけじゃない。高山病だ。手首のプロトレックの高度計を見るとすでに3,000mを超えていた。

「さあ着きました。ここがドチュラ峠です。標高は3,150mもあるので、ゆっくり歩いて下さいね」
 駐車場には小型バスやジープが連なり、多くの観光客でごった返していた。濃い霧があたり一帯を覆い、展望がきかない。晴れていればこの峠からガンカー・プンスムやゾンゴプーカンなどの7,000m峰が一望できるそうだが、残念だった。

 しかたないので周辺をハイキングすることにした。峠には数え切れないほどのチョルテンが建っていた。最近建てられたものらしく、どれも真新しい。

「全部で108個あります。これは2004年に先代の第一王妃が建てたものです」

 ブータン人は何かにつけチョルテンや寺院を建てる。これは当時インドとの国境で紛争が起こり小競り合いが続いたので、その勝利を祈念して建てたのだそうだ。21世紀だというのにまるで中世みたいなことをするのだ。

 でもそれは国民に支持され、国民は嬉々として労働力を供出する。仏教への帰依とと王朝への愛がこの国を一枚岩にしている。ワンチェク王朝、恐るべし、である。
 

山奥の工事現場で
国際政治の難しさを思う

 いろは坂のような急カーブの峠道をたどりながら、ドラゴン号はプナカをめざした。その途中でちょっとびっくりする光景に出会った。山奥のまったくなにもないところに赤ん坊を背負った女の人がしゃがみこんでいたのだ。粗末なサリーを着て、足元はゴムサンダル。スコールを受けたのか、髪の毛がびっしょり濡れていた。

「えっ?いまのなに?」
「インド人です」

 ソナムさんはとくに驚いた様子もなくそう言った。

「こ、こんなところで何してるの?」
「道を直してるんですよ」

 どういうことかわからずにいると、しばらく先に崩落した岩をどけている集団がいた。浅黒い肌と彫りの深い顔で一目でインド系だということが判る。びっくりしたのはスコップで砂利をすくっているのは痩せた女性で、手を添えてそれを補助しているのは、白髪の老女だったことだ。その横で男たちが巨大な岩にワイヤーをかけて転がそうとしていたが、みなサンダルで、軍手もヘルメットもしていない。もしあの大岩が足に落ちたらどうするんだろう?

「みんなインド人ですか?」
「そうです。ブータンでは道路修理はインド人の仕事です」
「重機は使わないんですか?」
「使うこともあるけど、彼らは大勢いるので人力でやります」
「でもどうやってこんな山奥に来るの?」
「近くに泊まっているんですよ。ほら、あそこに見えるでしょう?」

 ソナムさんが指さしたあたりに竹で組んだ粗末なバラックが見えた。屋根にはトタンがかけられ、その上に石が乗せられている。見るに耐えない粗末さで、とても家族連れが生活するような場所に見えない。

「あんなところで寝るんですか?」
「ええ。そうですよ」

 ソナムさんは当たり前のような口ぶりだった。
 ブータンは政治的にも経済的にも大国インドに依存している。国内のインフラ整備も同じで、舗装道路の敷設や修繕はインドの政府系企業に丸投げらしい。つまり彼らはインドから派遣された出稼ぎ労働者なのだ。

 それにしてもひどい待遇だ。これじゃあまるで奴隷じゃないか……。胸の奥がザラザラするのがはっきりとわかった。

 さっきのドチュラ峠のレストランには100人以上のインド人観光客がいたが、みな例外なく裕福そうだった。上等なサリーをまとい、身体中にジャラジャラとアクセサリーをつけている。子どもたちはギャーギャー騒ぎまくり、恰幅のよい男たちはブータン人の従業員をアゴで使っていた。まるで宗主国のような態度だった。

 彼らのあいだにあるヒエラルキーや一種独特の空気感を、日本人である僕はうまく理解できない。インドに今も根深く残るカースト制度のことを考えるとなおさらだ。14億人がひしめく大国インドと、わずか70万人のブータンとの関係性はとても微妙なものなんだろう。

 かつてブータン王国の隣には「シッキム王国」という国があった。チベット仏教ニンマ派の仏教国だったが、70年代にインドと対立し滅亡した。インドに併合されてしまったのだ。ブータン人はそんな悲劇と大国の恐さを目の当たりにしている。山奥の道路修理を眺めながら、僕は国際政治の難しさを肌で感じていた。
 

ピュアな村人と
巨大なポー
 いろは坂のような急カーブの峠道を使って一気に1,300mまで駆け下ると、プナカの田園地帯が広がった。美しい田園にある民家レストランに入る。待ちに待ったランチタイムだ。

 食事は炊いた赤米に野菜や肉の煮物で西洋スタイルのしゃれたものだった。ブータン料理は世界一辛いと言われていたので恐る恐る口にしたが、どれもマイルドでまったく辛くない。村で取れたナスやジャガイモは素朴で滋養たっぷりの味がした。
 食事を終えたあと、近くの村へ散歩にいくことにした。この村の奥にチミ・ラカンというお寺があるのだ。田んぼのあぜ道を歩いて行くと、小さな子どもたちが走り回って遊んでいた。子どもたちはみんなシャイでとても澄んだ目をしていた。向こうから歩いてきた男の子に手を振ると、はにかみながら「グズサンポーラ(こんにちは)」と返してくれた。あー、なんて素敵な村だ。みんなピュアピュアじゃないか。

 ところがどっこいぎっちょんちょん。

 それは僕の勝手な思い込みだった。村に入って仰天した。立ち並ぶ民家の壁という壁にとあるものが描かれているのだ。それは……。

「ち、ち、ちんこ!」

 いや、ちんこなんてもんじゃない。どちんこである。巨大なのである。巨根なのである。しかもどれもイキり立っているのである。
「な、なんじゃここはー!」

 オーバーリアクション気味の(というか大喜びの)僕にソナムさんが解説してくれる。

「ブータンではポー(男根)は、豊穣多産と戦闘力の象徴なんです。最近では少なくなりましたが、昔は家の外壁に大きなポーを描いたり、木彫りのポーを軒下に吊して魔除けにするのが普通だったんですよ」

 チベット仏教は性的な要素が強く、その正統な流れを受け継ぐブータン仏教でもポーはとてもありがたいものなんだそうだ。そんなポー信仰のなかでも有名なのは16世紀の高僧ドゥクパ・クンレだ。彼は酒と女性が大好きで、ブータン中でどんちゃん騒ぎの宴会をして「風狂僧」と呼ばれていたそうだが、ケンカもめっぽう強く、悪魔を次々退治した。その時には自らの“燃えさかる稲妻”つまり“どちんこ”を悪魔の顔面につきたて、前歯をへし折ったそうだ。風狂僧クンレは多くの国民に愛され、彼を祭ったチミ・ラカンは“子宝の寺”として栄え、今では世界中から女性が訪れるようになった。僕の女ともだちが子宝祈願にチミ・ラカン寺を詣でたことがあるのだが、巨大なポーを抱きかかえて仏塔の回りをグルグル歩き回らせられたらしく「何かの罰ゲームかと思った」と言っていた。でも昨年めでたく第一子を出産。ポーの威力おそるべし。

 それにしてもこの村はポーだらけだ。「Artist Shop」とか「Folk Art」と書かれた民芸品店の軒先はポーでいっぱい。ポーのネックレスやピアス、はてはマグカップまで売っている。そのなかで僕の目を釘付けにしたのがポーの飛行機だ。胴体がポーなのはもちろん、4機のジェットエンジンも、果ては水平尾翼までポーなのだ!

「ほすぃ……」

 1歳半になる息子へのお土産としてこれほどのものがあるだろうか? ほら、とーちゃんヒマラヤの奥地でシアワセ見つけてきたぞ……。わーい。ブーン、ブーン。無邪気に遊ぶ息子の笑顔が目に浮かぶ。その横でかみさんもニコニコしてる……わけないな。こんなモノを買って帰ったら激怒するに決まってる。「ジュンさん! もう行きますよ!」

 坂の上でソナムさんが呼んでいる。僕は慌ててあぜ道を走り出す。道ばたに寝そべっていた野犬につまづいて転びそうになった。それをみて子どもたちが笑う。とびきりの笑顔だ。空は青く、山の連なりはどこまでも続いている。

 ここはシアワセの国。僕の旅はまだ始まったばかりだ。

ちんこ村のこどもたち。ピュアピュアなのだ。

画廊でタンカ(仏画)を見せてもらう。僕は父方の実家が寺なこともあってタンカにとても興味を持っている。ネパールに行くたびに買い求めてきたけど、ブータンのタンカは格段にレベルが高い(と思う)。

ブータン料理は世界一辛いと言われる。みんな青唐辛子(ハラペーニョ)が大好きで、まるごとバリバリ囓ってしまう。ただしツーリスト向けの食事はいたってノーマル。ふつうにおいしい。ブータン産のビールも普通においしい。

あなたのためのアルティメイト・スーパー・マーケット(笑)その名もファミリーマート。

ファミマの中はこんな感じ。どこの店の棚にも潤沢に商品が並んでいる。食糧品から日用雑貨に至るまですべてインドからの輸入品だ。

ブータンでは民族衣装の着用が強く推奨されていて、男性は「ゴ」、女性は「キラ」と呼ぶ衣装を纏う。

 次回はいよいよトレイルへ。
 雷龍の国・ブータン旅 中編へ続く
 

もう少し知りたい?
雷龍の国「ブータン」の基礎知識

 ブータンは国土は九州を少し小さくしたほどで、南部の山麓に平らな細い土地がある以外、国土はほとんど山脈の中。北部は中国のチベット自治区、インドのアルナチャルプラデシュ州と接し、南部はインドのアッサム州、西ベンガル州と隣接。高知県とほぼ同じの76.5万人が住んでいる。首都にして最大の都市が標高2,300mにあるティンプーだ。

 ブータン王国は7割近くが森林に覆われていて、国が指定する保護区の中には4つの国立公園がある。中国との国境をなすヒマラヤ山脈東部の「ジグメ・ドルジ国立公園」には標高7,326mの最高峰チョモラリ(ジョモラリ)山があり、そのベースキャンプをめざすツアーも人気がある。

 公用語はゾンカ語と英語(実質上)。インドとの関係が深く、学校教育では英語が必修なので若い世代はみな流暢な英語を話していた。「ブータン」というのはチベット語で、「ブ」は「最後の」で、「タン」は「チベットの谷」という意味がある。17世紀に独立国となりゾンカ語の国名を「デュック・ユル」(雷龍の国)とした。

 通貨はニュルタムでインドルピーとが等価で使われている。観光客が立ち寄るような場所は(山間部であっても)普通に米ドルが使用できた。物価は500mlのミネラルウォーターが約25円、ガソリン1ℓが約65円だった。
 ちなみにクレジットカードはほぼ使えない。ティンプーやパロの土産物屋でも機械はあるが回線が通じないことが多かった。
 それからブータンは禁煙国家だ。喫煙は法律で禁じられていて煙草はどこにも売っていない。ただし外国人の喫煙はホテル内や指定場所ではOK。 

ブータンへのアクセス
 残念ながら日本からブータンへの直行便はなく、第3国で乗り継ぐ必要がある。日本からのアクセスでもっとも一般的な乗り継ぎバンコクーパロ間の便を利用した場合、バンコクーパロ間のフライト時間は4~5時間。今回は早朝からブータンに入るため、バンコクで8時間トランジットの時間があった。

今回旅の手配をお願いした
アルパインツアーサービス

 本編でも触れたが、ブータンでは外国人の自由旅行は禁止されていて、観光旅行はすべて政府が直接管理している。近年、オンライン上で航空券やホテルなどを個人で簡単に手配できる時代となったが、ブータンの旅となると話は別。日本国内に大使館が存在しないため、自力で手配する場合、入国の際にかならず必要となるビザや、現地ガイド・ドライバー、公定料金の支払いといった手続きはすべて現地の代理店とのやりとりになる。
 だが、想像するだけでも大変な作業。国内の専門会社の手を借りると早い。今回手伝ってもらったのは、今年で創立50周年を迎えた「アルパインツアーサービス」だ。欧米やネパール、ニュージーランドといった人気エリアから、パキスタンやキルギス、ジョージアなどのマイナーなエリアまで、国内外の山旅をアレンジしてきた老舗のツアー会社だ。希望すれば日本語のできる現地ガイドをアレンジしてもらうこともできる。

 現在アルパインツアーが募集しているブータンツアーはコチラ。
“雷龍の国” ブータン・ヒマラヤ・ハイキングとプナカ 7日間
■2019年11/09(土)〜11/15(金) 7日間
■2020年4/17(金)〜4/23(木) 7日間
ともに¥416,000(東京・大阪・名古屋・福岡発)
 

旅の相棒
グレゴリー/バルトロ65
■価格39,000円+税
■重量:S2.399kg、M2.490kg、L2.580kg
■容量:S61L、M65L、L69L
■最大積載重量:22.7kg
■カラー:ダスクブルー、オニクスブラック
 歴代のトリコニとバルトロを愛用してきたが、現行モデルは快心のできだ。このバルトロ65、背負い心地のよさはグレゴリーの真骨頂だから今さら語るまでもないが、他では例えばフロントの大型ポケットが使いやすい。今期からストレッチメッシュのカンガルーポケットになり、従来のポケットの使いやすさに惚れ込んでいた僕は当初は悲しみに暮れていたが、使ってみると悪くない。ジャケットや汚れ物をパッと突っ込めるから便利だった。また、ハイドレーション用のスリーブが超軽量のデイパックになっていて、ピークへのアタックはもちろん、買い出しなどにも使える。長期放浪旅にも便利なのだ。
 

(文=ホーボージュン、写真=田島継二)


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