- 山と雪
最初は、氷河の崩壊が起きたのかと思ったんです——コロンビア/ネパール大地震支援活動報告会 report.1
2015.06.08 Mon
5月29日の金曜日、都内のコロンビア原宿店にて、ネパールから帰国したアドベンチャーガイズの近藤謙司さんの活動報告会が開催された。
エベレスト・ローツェ公募隊と、ロブチェ隊(コロンビア登山学校隊)を率いてネパールに遠征していたアドベンチャーガイズ隊は、4月25日に発生した大地震に見舞われてしまう。
そのときの現場での様子と、エベレスト登頂を断念するにいたる経緯、そして地震後のネパールでの活動について、豊富な映像や画像をもとに近藤さんが状況を説明してくれた。
地震発生の4日前となる4月21日に、エベレスト・ローツェ隊とロブチェ隊のメンバーは、標高6,119mのロブチェ・ピークをめざして行動を開始。ロブチェのベースキャンプからC1へ登高し、翌22日の昼12時15分ころに無事に登頂を果たしている。
このロブチェ・ピークの登頂は、エベレスト・ローツェ隊にとっては高度順応のための登山であり、エベレスト登頂への準備を順調に進めている途上だった。そして登頂を果たした全員でロブチェを下山し、翌日にはエベレストのベースキャンプへと歩を進めていた。
上の2枚は、エベレスト・ローツェ隊とロブチェ隊の合同チームが、6,119mのロブチェ・ピークに登頂したときのもの。奇跡的な晴れ間にも見舞われ、最高のヒマラヤ登山となった。これが、地震の3日前のこと。下の写真は、地震当日の朝、ロブチェ隊がベースキャンプを離れる前に、アイスフォールにて撮った記念写真。この数時間後には、地震が襲ってくる
ロブチェ隊はエベレスト・ローツェ隊の応援を兼ねて、エベレストのベースキャンプまで同行したもので、滞在自体は1日強の期間のみ。地震発生当日の25日の朝9時過ぎには、ルクラをめざして下山を開始していた。
そして、ロブチェ隊を見送ったエベレスト・ローツェ隊が、いよいよ本番のステージへと入ろうと準備をしていたまさに、そのときに……。地震が起きたのは、25日の11時59分。マグニチュード7.8の大地震だった。
「初めはなんだか分からなかったんですよね。日本の地震みたいに、最初にカタカタと小刻みな揺れが来るのではなくて、いきなり地面の氷河全体がゆっくりと大きく回っているような感じだった。だから、地震だとは思わず、もしかしたら温暖化の影響でクンブー氷河の崩壊が起こったのかと思ったんです」
とは、近藤さんの言葉である。そして、ちょっと心臓には悪いかもしれないけれど、と前置きをして、近藤さんはある映像を再生した。
「なんだ、この揺れ? なんだ、なんだ」という声。
「え、なに? 怖い、怖い」という叫び。
遠くから聴こえて来る地を揺るがすような轟音。
「あの音を聞いたときに、すぐに分かったんです。聞き慣れた雪崩の音だったので、これは来るなと。でも、当時は上空200mくらいのところに雲が厚くたれ込めていて、その上の状況がまったく見えなかったんです。とはいえ、そこには標高7,000mを超えるプモリがそびえているはず……」
そして映像には、想像を絶する雪煙の塊が、たとえば頭上にあがった10尺玉の大輪の花火のようなサイズで、ベースキャンプに一気に襲いかかってきた様子が映し出されていた。
コロンビアの報告会にて、近藤さんが再生した画像にあったベースキャンプを襲う雪崩の瞬間。テント群の上に積乱雲のごとくモクモクと頭をもたげているのが、雪崩の本流である
「表現が適切かどうかは分からないけれど、いつも山で遭遇する雪崩がダイナマイトによって起こるようなものだとすれば、今回の雪崩は原子爆弾が炸裂したかのようなサイズだった。さすがに、ダメかもしれないと思いました」
その画像は、隊に参加していたカメラマンの西田さんが写していたものだったが、雪崩の爆風で自身が飛ばされる様までしっかりと写し込まれていた。各国のテントが飛ばされる音、ポールが折れる音、テーブルやさまざまな器材、雪塊、小石など、あらゆるものが吹き飛ばされる様子が音とともに記録され、凄まじい状況が手に取るように分かる。
あらゆる悲鳴のなかに、「口を抑えろ、抑えろ」という近藤さんの声も混じっている。
「でも、声を掛けられたのは、僕の回りに居た人たちだけでした。このとき、隊のなかにもテントに入ったままで数十メートルも飛ばされたメンバーもいました。どうすることもできなかった。アッという間のできごとでした」
雪崩に襲われる前のエベレストベースキャンプの様子。写真は近藤隊のテント群。ここに写っているテントはすべて、雪崩で吹き飛ばされてしまうことに
本当に偶然にも、近藤さんが率いた隊には死者は出ずに済んだものの、近くにいたインド隊や中国隊のなかには、亡くなってしまった人もいた。雪崩の直撃を受けた医療チームのテントも飛ばされ、エベレストのベースキャンプは一時的に大混乱に陥っていた。
「ただ、雪崩の被害を受けなかったチームもあったので、各国とも動ける人たちですぐに救助活動を開始しました。人命救助が最優先で、医療テントを新たに別の場所につくったり、血まみれの人たちを運び出したり、そのほか、散乱した用具を集めたりもしましたね」
近藤さんたちはこの間、修羅場というに等しい場所で、大変な時間を過ごしている。
「このときに救われたのは、僕らの隊のシェルパのキッチンチームが、折れたテントの支柱や幕を使って空間を確保して、あったかいラーメンをつくってくれたこと。雪崩のあと、ほんの1時間くらいで。このラーメンにはみんな救われましたね。落ち着きを取り戻すことができた」
聞けば、キッチンチームのメンバーのなかにも、頭を切ったりして大ケガをしていた人もいたらしく、そんななかでの行動だった。
***
近藤隊は、この後も1週間近くをベースキャンプに滞在し、30日にゴラクシェプまで下山している。
「ベースキャンプにいるときは、まともなテントもなかったので、みんなで顔を会わせてごはんを食べることもできなかった。それに、強烈な体験をしていたので、雪崩の音に恐怖を感じてちゃんと眠ることもできなかったんです。それで、隊を立て直す必要もあり、まずはゴラクシェプまで下山しました。といっても、標高にして150mくらいを下げただけでしたが」
まさに、命からがらといった状態だったが、隊はここで、ひと心地を付けることができたという。そして、このタイミングで、今年のエベレスト登山の中止を決めている。
「わかってはいたことなんですけどね。どの国の隊も今年は、エベレストを断念しています。でも、みんなの顔を見ながら決められたことが、よかった。想いはみな、それぞれだとは思いますが……」
と、ここまでエベレスト・ローツェ隊の話を進めてきたが、地震当日の朝、ベースキャンプで別れたロブチェ隊は、あのとき、どうなっていたのか……。
今回の報告会には、コロンビア登山学校からロブチェをめざしていた2人の女性隊員も参加していた。話を聞けば、本当にいろいろな偶然が重なって「無事に」下山できたことが分かる。彼女たちが地震に遭遇したのは、ゴラクシェプのロッジの中だった。
下山を開始したロブチェ隊に体調の悪かった人が居たらしく、当初はロッジに立ち寄る予定はなかったものの、ひと休みのつもりでロッジ内にいたときに、あの地震に見舞われている。
しかも、5人で1枚だけ頼んだはずのピザが、なぜだか5枚出てきてしまい、それをみんなで食べていたときだったという。ゴラクシェプの前後のルートは、モレーンが積み重なった岩場が続いており、もしもルート上で地震に遭遇していれば、どんな状況に陥っていたかも分からなかったらしい。
体調の悪さと5枚のピザ。なんとも、不思議な組み合わせであるが、これにより、彼女たちは無事を得ている。
ロブチェ隊に身体的な被害はなく、その後、ルクラへ下山。ここからフライトでカトマンズへと飛ぶ予定でいたものの、地震後のネパールのフライトは混乱が続き、定期便には乗れず仕舞いに。結局、ルクラから一度、ビラトナガルという街へ飛び、そこからカトマンズへと戻るルートをたどっている。
彼女たちは5月2日に無事、日本に帰国している。
(コロンビア/ネパール大地震支援活動報告会 report.2に続く)