- 山と雪
すぐそこにある外国! ホーボージュン「オホーツクの風と謎だらけの巨大島サハリン」後編
2017.08.21 Mon
ホーボージュン 全天候型アウトドアライター
北海道の北にある巨大な島サハリンは、
じつは稚内からわずか40数キロしか離れていない
〝日本にもっとも近い外国〟だ。
昨年の夏、香港・ベトナム・台湾・モンゴルのアジア諸国を放浪した
さすらいの旅人ホーボージュンさんが、
この夏は北方の島サハリンへ旅に出た。
最終回となる今回はいよいよ山中へと足を踏み入れた。
オホーツクを望む絶景の地でその胸に刻んだものは……。
(サハリン前編はこちらから)
ハスカップとウィルダネス
「ハアハアハア……」
予想通りの急登だった。
「ハアハアハア……」
これだからロシアン登山はいやなんだ。
歩き始めてわずか15分で僕はすっかり汗だくになってしまった。トレッキングパンツが太腿に貼り付いて足もうまく上がらない。登山口の森の中は風通しが悪く、蒸し暑かった。額を伝った汗が目に入り猛烈に染みる。今日もハードな1日になりそうだった。
それにしてもロシア人は本当に「直登」が好きだ。僕だったらもっと傾斜の緩い尾根からジグザグに登っていくだろう。なのにセルゲイさんもミリアも直登あるのみ。もう少しなんとかならないものか。それもこれもプーチンの強権統治の影響なのだろうか。まったくもってけしからん。もう少し弱者をいたわりたまえ。
今日僕たちがめざしているのはジュダンカ山(Gora Zhdanko)という沿岸沿いの美しい山だった。標高はわずか682mしかないが、北緯48度という高緯度にあるためその山容は日本の2,000m峰に近い。下の道路から見上げた山容はカリンカリンに尖っていて、まるでドラゴンの竜骨みたいだった。サハリン南東部の最も美しい山脈と言われているジュダンカ山脈これは僕のハンディGPSのログデータをGoogleEarthにレイヤーしたものだ。黄色が今回僕が歩いた軌跡。これを見るだけでもスペクタクルでしょ
「今日の予想行動時間は10時間。ヘッドライトを忘れずに」と出発前にセルゲイさんに念を押された。本当は昨日から2日かけて縦走する予定だったのだが、視界不良で断念した。その分を今日1日で踏破するのである。
人の背丈もあるクマザサを掻き分けながら僕らは登っていった。足元には肩幅ほどの細いトレイルがついていたが、とくに人の手で整備されているわけでもなさそうだ。いわゆる“獣道”なんだろう。よく見るとあちこちに動物の足跡があった。
「ウォオー! ウォオー!」
先頭を歩くセルゲイさんが大声で叫ぶ。ブッシュの中でクマと鉢合わせしないためだ。そして時々バックパックのサイドポケットに刺した大きな発炎筒に手を伸ばした。ここサハリンではペッパースプレーは使わない。光と炎でクマを撃退するのだ。セルゲイさんが発炎筒を触る度に僕の心臓は早鐘を打った。「ジュン、もしクマに会った時はどうするんだ?」
最初の休憩時にセルゲイさんに質問された。
「おーい! クマ公! 俺はここにいるぞー!」
僕は大声でそう叫びながら、頭の上で両手をブンブン降り回した。そしてゆっくり後ずさりしながらバックパックを地面に降ろした。
「ダー。正解だ」
セルゲイさんは満足そうに頷く。
僕はこのメソッドをアラスカで習った。デナリ自然保護区をトレッキングしたときに現地のレンジャーからレクチャーされたのだ。ポイントは3つ。ゼスチャーと声でなるべく自分を大きく見せること。怖くても目をそらさず、けっして背中を向けないこと。そしてバックパックを置き去りにしてゆっくりその場から離れることだ。重い荷物を背負っていてはとても逃げられないし、運がよければ人間よりもバックパックの中味に興味を向けてくれるかもしれない。クマの嗅覚は犬の7倍、人間の7億倍(!)と言われている。スタッフサックの奥にこぼれたビスケットのかけらだって見逃すことはないのだ。
「もうすぐベリーの実が熟れる。すると匂いを嗅ぎつけたクマたちが集まってくるんだ」
見渡すと僕らのまわりにはベリーの灌木が茂っていた。まだ7月の初旬だったが大きな実がすでに紫色に熟し始めている。「あと1か月もしたらあたり一面ベリー類で覆い尽くされるわ。ブルーベリー、ブラックベリー、ラズベリー、それにこの青い実も」とミリアがいった。
ベリーの低い灌木。サハリンの原野には至るところにベリーが原生している。クマの大好物だ
ミリアが指さしたのはハスカップの実だった。見た目はブルーベリーによく似ているが少し縦に細長い。北海道のアイヌたちが「不老長寿の実」として重用していたスイカズラの一種だ。元々はシベリアが原産でここサハリンを経て北海道に渡ったのだ。一粒もいで前歯で噛むと口いっぱいに甘酸っぱさが広がった。
「うへー!」
僕にはえぐみが強すぎてすぐに吐き出したが、クマたちはきっと大喜びするだろう。ふと何百頭ものクマがこっちに向かって突撃してくる場面が頭に浮かび、僕はブルッと身震いした。
日本にもこんなふうにクマが跋扈する土地はある。例えば北海道の知床半島がそうだ。僕は知床をシーカヤックで一周したことがあるが、どこの海岸にもクマがわんさかいて上陸地を見つけるのがたいへんだった。サハリンは言ってみれば巨大な知床だ。南北950kmに渡ってウイルダネスが広がり、野性がうごめいている。
クマの気配に怯えながらも、僕はどこか嬉しかった。“人間ファースト”ではない正しい世界にいる気がしたのだ。僕が偉そうに言うのもなんだが、人間はもっと畏れるべきだ。たまにはこうして丸腰のまま野性の真ん中に投げ出され、怯えたり、わなないたりしたほうがいい。僕はビクビクしながらも妙な充実感を味わっていた。
大雲海と緑に燃える山
短い休憩を何度も挟みながら僕らはグイグイと登っていた。セルゲイさんの歩くペースは速いが、休憩は小まめにとってくれた。だいたい20分に1回は立ち止まり、立ったまま小休止する。集中力が途切れない快適なペースだった。
そうやって1時間半ほど歩くと森林限界が訪れ、まわりは岩とザレ石の岩稜帯になった。夏の太陽が岩肌をギラギラと照らす。斜面はますます急になっていった。
「ジュン! ケイジ! ついに見えたぞ!」
先行していたセルゲイさんが稜線の上で大きく手を振っている。これまで見たことのないはしゃぎ方だった。いったい何事だろう? 這いつくばるようにして稜線に上がる。すると
「うおおおおおおおお~!」
思わず雄叫びをあげてしまった。全身に鳥肌が立つ。興奮で両脚が震えた。
「うひょー!」
ケイジ君も呆然としている。
僕らの眼前に現れたのはどこまでもどこまでも続く雲海だった。オホーツク海にかかる雲海だ。その白い海はたゆたうようにして水平線まで続いていて、正面から差し込んでくる太陽の光が無限の白い広がりをキラキラと輝かせていた。まるで深い深いパウダースノーを見ているような気持ちだった。
そして僕らの行く手にはナイフリッジが続いていた。それはゴツゴツしていてまさにドラゴンの竜骨を思わせた。稲妻のように折れながら、トゲのように尖りながら、ナイフリッジは南方のピークへと続いていた。
「あそこにそそり立って見えるのがヴァディミロフカ山(Gora Vladimirovka )だ。まずはあの頂上まで登る。そこからいったん大きく高度を下げ、そのあとジュダンカ山に登り返す。ジュダンカ山まで行けるかどうかは時間とみんなの体力次第だ」
まるで歩兵師団に作戦行動を説明する師団長のように、セルゲイさんは男らしく言い放った。本人も興奮していることは目の奥の輝きでわかった。 それにしても、なんという絶景だろう。左手には大雲海、そして右手には緑の山々がどこまでもどこまでも続いている。木々の緑は短い夏に一斉に命を燃やすように吠えている。命の炎が、緑の炎が、地平線を焼きつくすように燃え広がっていた。
ここから先にはトレイルも踏み跡もなかった。セルゲイさんを先頭にナイフリッジを慎重に進んでいく。今日は無風で天候がいいからよいものの、視界が悪い時にはとてもじゃないが進めない。昨日登山を断念した理由がここに来てよくわかった。
日本の常識に当てはめればかなり危険な、そして緊張感を伴う山行になったが、僕はそれよりも嬉しさと楽しさで足を踏み外しそうだった。
こ、こんなトコロを行くんですか?
ヴァディミロフカ山の登りはキツかったが、絶景が僕の足を軽くしてくれた。こんな天国のような山ならいくらでも歩ける。だけどところどころに尻込みするような場所もあった。ろくなホールドもない絶壁の岩肌をロープなしでトラバースしたりするのだ。
「こ、こ、こんなトコロを行くんですか?」
セルゲイ師団長、さすがにこれはマズイですよ。大キレットとまではいいませんが、これは日本では明らかに「難所」と呼ばれる部類の場所ですぜ。こんなところにおじさん連れてきて、なんかあったらどうするんですか……。
「左足をその岩に乗せて、そのまま上半身を伸ばせば上のクラックに手が届く」 セルゲイ師団長は僕の抗議にはまったく耳をかさず冷徹に指示を出す。もはや僕に選択の余地はなかった。おそるおそる崖下をのぞいたらあまりの高度にキンタマがぞわぞわした。いかんいかんいかん。余計なことを考えると身体がすくんで動けなくなる。ここはもう勢いで乗り切るしかないのだ。
「ファイト!一発!」
僕はアドレナリンを絞りだしながら、果敢に足を前に進めた。
絶景とは心の窓だ
ヴァディミロフカ山を無事に踏破し、ジュダンカ山へと登り返すとそれまで海にかかっていた雲海がスッーと消え去り、その下から真っ青なオホーツク海が姿を現した。
「うわ……」
言葉が出てこない。瞬きもできない。僕はその場に立ちすくみ、ただただ息を飲むしかなかった。
これまでさまざまな国のさまざまな山に登ってきた。北極圏ラップランドから南米パタゴニアまで、モンゴルの奥地から台湾の高山まで。でもこんな光景はまるで見たことがない。ドラゴンの背中に跨がり、左足を真っ青な海に、右足を緑に燃える山に突っ込んでいるのだ。
まさかサハリンに、すぐそこの隣国に、こんな絶景が広がっているとは……。 いま日本では「絶景本」が大ブームだ。人気シリーズともなると50万部以上を売り上げ、Facebookでは70万を超える「いいね!」が付く。フォトジェニックな風景を求めてフォロワーが現地に押し寄せる。同じ画角でシャッターが切られる。
でも絶景というのは人に教えられて知るものじゃない。キュレーションメディアで集めるものじゃない。だれかの「いいね!」をたどって出会うものじゃない。絶景はポストカードではない。ポイントカードでもない。僕はそう思う。
それはきっと心の窓だ。こうして旅に出て、自らの足で歩き、迷い、引き返し、出直し、やり直し、夜に包まれ、眠り、また歩き始め、汗をかき、水を飲み、空をみつめ、後ろを振り向き、ふと顔を上げたときに向こうから飛び込んでくるものだ。
それは目でなく心に突き刺さる。それを求めていた人に刺さる。自分にしかわからないもの、自分にしか見えないもの、自分が見つけるもの、自分が気づくもの。きっとそういう類のものだ。
僕は絶句したまま、いつまでもこの絶景に抱かれていた。
ちょっと箸休め
Photo Library of Sakhalin
All photo by Keiji Tajima
三角標と地上の星
最後の急登をヒーヒーいいながら登り詰め、午後2時35分、僕はジュダンカ山の山頂に立った。4人でハイタッチを交わし記念写真を撮る。
畳1枚ほどの狭い山頂にはロシア正教の十字架である八端十字架(ロシア十字)が建っていた。僕ら日本人には見慣れない十字架だが、上の短い横棒は頭部を固定するのに使い、下部の横棒は足台を表し、それが斜めなのはキリストと共に磔刑に処された2人の盗賊の死後を表現している。ソ連時代にはロシア正教は苛酷な弾圧を受けていたからこの八端十字架もソ連崩壊後に建てられたものだろう。北海道のすぐ隣の島にいるというのに、なんだかひどくエキゾチックな気持ちがした。
ふと十字架の根元を見ると、そこには日本の山で見慣れた石柱がのぞいていた。
「あっ!三角点だ」 石灰岩を切り出した石柱の頂部には登山者が残した賽銭が積まれていたが、それをかき分けてみると見慣れた十字の切り込みが入っていた。そして側面には「一等三角點」と漢字で掘ってある。おそらく日本統治時代に参謀本部陸地測量部によって設置されたものだろう。
この三角点を見た瞬間、僕の脳裏はまた『銀河鉄道の夜』のことでいっぱいになってしまった。なぜなら山頂の十字架が僕には「三角標」に思えたからだ。
じつは『銀河鉄道の夜』には「三角標」という言葉が何度も繰り返し出てくる。三角標というのは測量の時に三角点の上に組む木の“やぐら”のことなのだが、宮沢賢治はなぜかこれを“星”の暗喩として使っているのだ。たとえば「天の川」や「さそり座」の風景を賢治はこんな風に描いている。
百も千もの大小さまざまの三角標、その大きなものの上には赤い点点をうった測量旗も見え、野原のはてはそれらがいちめん、たくさんたくさん集ってぼおっと青白い霧のよう(中略)でした。
「そうだ。見たまえ。そこらの三角標はちょうどさそりの形にならんでいるよ。」
ジョバンニはその大きな火の向うに三つの三角標がちょうどさそりの腕のように、こっちに五つの三角標がさそりの尾のようにならんでいるのを見ました。
(宮沢賢治『銀河鉄道の夜』より)
いったいどうして賢治が星を三角標と呼んだのかは今も大きな謎なのだが、僕は広い空の中でこの三角点を見つけたとき、不思議とこの暗喩がスッと心に馴染んだ。
そしてもし山頂のこの三角点がひとつの星だとして、そしてさっき登ったヴアディミロフカ山頂がまた別の星だったとしたら、宇宙を走る銀河鉄道の窓からはどんな風に見えるのだろうかとひとり想像を巡らせたのである。
やっぱり「ドラゴン座」なのだろうか?
それとももっともっと巨大な星座のほんの端っこの部分なのだろうか?
もし昨日テントを張った浜が星だったら、
もしゴマフアザラシの岩礁が星だったら、
もし海岸に残された神社が星だったら、
もし僕がこうして訪ねる旅先のひとつひとつが星だとしたら、
それを繋ぐといったいどんな星座になるのだろうか。
「あっ、そうか……!」
この瞬間になにかがストンと腑に落ちた気がした。
旅というのは地上に星座を描くことなんだ。
自分が旅して感動した場所、楽しかった場所、きつかった場所、なにかを受け取った場所、なにかを失った場所、いつかまた来ると誓った場所、もう二度と来ることは叶わない場所に、思い出を埋めるように三角標を建てる。そうやって地上を歩き続け、地表に星を刻み続ける。そして自分にしか描けない大きな星座をこの地上に描くのだ。
いったいこれまでどんな星座を描いてきたのか、この先どこへ行き、いくつの三角標を建てるのか自分でもよくわからない。
でもこんなすごい光景を目の当たりにできるなら、きっと僕はこの先も旅を続けて行くに違いない。「さあ、そろそろ出発しようか。帰路も大変だぞ」
セルゲイさんの声に押され、僕は出発の準備に取りかかった。トレッキングブーツの紐を結び直し、バックパックのハーネスを絞り上げる。尻についた泥を払い、トレッキングポールを握ったらあとは一歩を踏み出すだけだ。
銀河鉄道に乗れなかった僕は、自分の足で歩くしかない。
そして自分の足でこの星に、自分の星座を描いていくのだ。
好奇心と衝動から始まったサハリン冒険旅行は、想像だにしなかった展開を見せた。ロシア語に四苦八苦しながらもこの島の地政学を学んだ。過去の戦争が引き起こした悲劇と引き裂かれた民族史を知った。国家とは何か、国境とは何かを考えた。海獣と野生動物の息づかいを感じ、ディープな自然に胸を打たれた。ツンデレに翻弄され、直登に悩み、見たことのない絶景に抱かれた。
ほんの短い旅だったけれど、この地に来てよかったと僕は思う。たくさんの三角標を僕はサハリンに建ててきた。
最後に一度、山頂の十字架をふり返る。
午後の低い陽光を反射して、それは星のように瞬いていた。
それでは、今回ガイドを頼んだセルゲイさんの「ADRENALINE TOUR」情報や、その他旅のお役立ち情報を公開します!
サハリンバックパッキングお役立ち情報
サハリンのアウトドアはお任せ「ADRENALINE TOUR」
サハリンでの登山は現地までの公共交通機関が乏しく、旅行者向けレンタカーもないことから、現地ツアー会社にガイドを頼むのが現実的だ。日本からのパッケージツアーもあるが僕は自分で旅を組み立てたかったので、現地ガイドに直接連絡をとりコーディネートをお願いした(前編参照)。
今回全面的に協力してくれたのはユジノサハリンスクに本拠を置くADRENALINE TOUR(アドレナリンツアー)だ。山岳ガイドのセルゲイ・ヴァシレンコさんとお兄さんが5年前に設立した若い会社だが、セルゲイさんは登山やトレッキングだけでなく、自転車ツーリングやバックカントリースノーボードにも精通したスポーツマン。サハリン全域でさまざまなアクティビティをガイドしてくれる。
なお「ADRENALINE TOUR」のサイトはロシア語オンリーなので、ブラウザ「Google chrome」で開いて、まるごと翻訳にかけて眺める方が理解しやすい。 今回行ったジュダンカ山脈の一部を1日で往復するツアーは、日本円で6,000円ほど。ユジノサハリンスクからの送迎、ガイドがついている。
今回は通訳(英語)と食事担当のサブガイドが同行してくれたので3日間9食の食事はたいへん満足できるものだった今回アドレナリンツアーで訪れた場所のGPSデータ。ジュダンカ山脈だけでなくプガチェフスキー泥火山(Pugachyovskiy gryazevoy vulkan)やアグレダルカ川(Peka Ugledarka)の滝など、サハリンならではの風景をいくつも案内してもらった
サハリンってご飯おいしいの?
ユジノサハリンスクで人気なのは日本料理と韓国料理だが、僕らは敢えて現地の料理を食べ歩いた。そのなかでもっとも美味しかったのはジョージア料理。シチューやチーズを挟み込んだピザのようなパンが絶品だった。ジョージアはかつて「グルジア」と呼ばれていた南コーカサスの山岳国。1991年にソ連から独立したが、なぜかサハリンにはジョージア人の出稼ぎや移民が多い。黒海に面したはるか西の国の民がこんな極東の島に暮らすのをみて、ロシアのデカさを痛感した
ユジノサハリンスク市内はバスを駆使せよ
ユジノサハリンスク市内にはバス路線が網羅され市民の足として利用されている。運賃は一律20ルーブル(約36円)。運行間隔も路線も行き先も謎だらけだが、それでも3日目くらいには自在に乗りこなせるようになった。目的地とホテルの名前をロシア語で紙に書くかスマホ画面に入れておくと運転手さんや乗客が助け船を出してくれる。レッツ・チャレンジ!
帰りは飛行機でひとっ飛び
帰路はユジノサハリンスクから札幌(新千歳)まで飛行機を利用した。オーロラ航空の定期便が夏は週3便飛んでいる。詳しくはこちら
旅の相棒
グレゴリー/バルトロ65
■価格39,000円+税
■重量:S2.2kg、M2.3kg、L2.3kg
■容量:S61L、M65L、L69L
■カラー:NAVY、BLACK、RED
バルトロは背負いやすさやフレームの完成度のほか、細部もよく作り込まれている。たとえば正面に逆U時型のジッパーが備わっていて、ダッフルバッグのように大きく開口できるのもよかった。狭いテントの中で荷物の整理をするのにこれがとても便利なのだ。ほかにも正面ポケットに内蔵された専用レインカバーや左右2気室になった天蓋ポケット、不要なときには取り外せるボトムのストラップ、カメラやスマホを安心して入れておける防水構造のウエストポケットなど気の利いた工夫が満載。
<文=ホーボージュン、写真=田島継二(Heart Films)>