- 山と雪
【DISCOVER JAPAN BACKPACKING】 古来からの姿が残る、花の山へ。 白山・後編
2018.08.07 Tue
麻生弘毅 ライター
日本人に親しまれてきた山、その魅力を見つめ直す、「DISCOVER JAPAN BACKPACKING」。第二段の舞台は、奈良時代に開山されたという古い歴史を持ちながら、山本来の姿を色濃く残す、白山。そんな白山の麓に、自身のルーツを持つ山岳ガイドの案内のもと、花の名山をたずね歩いてみました。
【DISCOVER JAPAN BACKPACKING】 古来からの姿が残る、花の山へ。 白山・前編はこちらから!
御前峰(2702m)から火口湖めぐりへ。雪渓を残す前方の山は大汝峰(2684m)。
「あった!」
先頭を歩く山岳ガイドがふいに足を止め、腰を落とした。指さす先には、ムラサキイガイのような、黒とも濃い紫とも言い難い、微妙な色の花が咲いている。彼女は登山道脇で、大切に保護されているようだった。
「ちょっと、匂いをかいでみてください」
白山の麓、奥美濃の白鳥にルーツをもつ山岳ガイド・旭 立太さんは、ここまでこちらの気持ちを先読みするかのような、絶妙の案内っぷりを見せてくれていた。
さぞかし素敵な香りが……。
期待とともに花を近づけ、そっと息を吸いこむと、○△□×凸凹くぁwせdrftgyふじこlpっ!
麦茶だと思ったら麺つゆ……みたいな衝撃に尻餅をつき、驚きを隠せないまま、ガイドを見上げる。
「いや~、クロユリって生乾きの雑巾みたいな匂いがしませんかっ!?」
長身痩躯のオトコマエは、涼やかに笑った。
ウィキペディアによると、英語圏では「スカンクユリ」「汚いオムツ」「外便所ユリ」などという異名をもつクロユリ、ノーベル文学賞に輝いた作家・川端康成は「いやな女の、生臭い匂いだな」と表現しているそうだ。
的を射ているような、いないような……。
それよりずっと胸の奥深くに突き刺さったのは、クロユリの花言葉が「恋」、そして「呪い」であること。個人的に花言葉にはなんの興味もないが、こいつだけは、その芳香とともに忘れられそうにない。
室堂を背に、石畳の山道を登って山頂へ。今回歩いたコースは、非常に整備が行き届いていた。噂のクロユリ。場所によっては黄味が強い個体も。その香りはなんというか……。
室堂のビジターセンターでひと休みしたぼくらは、白山の山頂をめざしていた。
「白山」とは、最高峰である御前峰(2702m)、大汝峰(2684m)、剣ヶ峰(2677m)の3つの頂を中心に、四塚山(2519m)、別山(2399m)を含んだ総称。その名の由来は、雪をいただく姿が美しいことからで、それが四方の平野部から望まれたため、古くから名山として知られていた。前述の通り、開山が奈良時代の717年と古く、平安時代には加賀(石川)、美濃(岐阜)、越前(福井)から、禅定道と呼ばれる登拝路が拓かれていたという。
一方で活火山であり、地獄谷や白川谷では硫気孔が、この日登ってきた観光新道からは、マグマが冷却固結する際に生じる柱状節理を見ることができた。
「その名残のひとつが、山頂一帯に見られる火口湖なんです。楽しみにしていてください!」
手負いの草食動物のように用心深くなったぼくは、警戒しつつもうなずき、慎重に後ろをついてゆく。ほどなく山頂に到達、白山奥宮への参拝をすませ、右側の岩場にあがっていくと……………………っん!
旭さんが、我が意を得たり、という様子で解説をしてくれる。
いちばん右が乗鞍岳で、その横のとんがりが槍ヶ岳、後立山の連なりがあって……そう、その先は剱岳。つまり、北アルプスの全部をひと目で眺めることができた。
「うわっ、トンボが2700mまであがってきている。珍しいなあ」
そんな言葉を聞きながら、対岸の山なみから目を離せずにいた。すると、北アルプスのほうから流れくる小さな雲が、見る見ると姿を変えながら大きく膨らんでゆき、地面に描く影が東側の斜面を、雪渓を、ぼくらの上を通り過ぎ、西の方へとゆっくり遠ざかっていった。
(左上)山頂からは、北アルプスの山なみが、南は乗鞍岳から北は剱岳まで、どどーんと勢揃い。左端のとんがりは、いつ見てもハンサムな槍ヶ岳。(左下)御前峰に据えられた白山奥宮。(右)山頂でひと休み。背後に見えるのは別山(2399m)と奥美濃へと続く稜線。
山頂からは北側へと下りてゆき、大小7つのお池めぐりへ。ひときわ大きくて、目を引くのが翠ヶ池。残雪からは冷気が立ちのぼっており、その向こうでコバルトブルーの水をたたえている。
高山植物は、残雪が消えたあとに芽吹くことが多いという。がらがらとした印象で、一見、生命を感じさせない活火山の山頂部だが、山道の両脇では、とりどりの草花がその顔をのぞかせていた。
ハクサンコザクラ、クルマユリ、イワツメグサ、イワギキョウ、ネバリノギラン、ハクサンシャクナゲ―――。
ずいぶん忘れてしまったと言いながら、旭さんは諳んじるように出会った植物の名を教えてくれる。なかでもハクサンコザクラは近年にない数らしく、しゃがみこんでていねいに写真に収めていた。そうしながらも、興味深い話をぽつりとこぼした。
「この池は千蛇ヶ池といって、白山を開山した泰澄大師が悪さをする大蛇、千匹をこの万年雪に閉じ込めたそうです」
しかし、池に雪はあるものの、そのほとんどは溶けている。
「そこで、雪が溶けて、蛇たちがあふれ出そうになると、あそこの大岩――御宝庫が崩れ落ち、池を塞ぐんだそうです」
このままここにいると、蛇に絡まれるうえに落石に遭うのだろうか。とはいえ、あたりはさながら高層湿原のような様相で、そこに一陣の風が吹くと、このうえなく気持ちいい。ここにテントを張り、一夜を過ごすことができたらどんなにいいだろう、と夢想する。旭さんは揚々と周りを見渡し、「今年はナナカマドの花も多いなあ」と目を細める。紅い実を結ぶ秋に備え、夏に咲かせる花は雪のように白いとは、なんだかとても縁起がいい。
その下に咲く「呪い」を見つけ、旭さんがこちらを見ていないことを確認してから、こっそりその匂いをかぐ。うわっとのけぞるものの、どういうわけか、微妙にクセになるなにかがある。これはやっぱり「恋」……?
たっぷりの残雪をたたえる翠ヶ池と、白山を成す主峰のひとつ、大汝峰(2684m)。(上段左から右へ)室堂から山頂の火口湖付近、砂防新道にかけてであった美人さん。イワギキョウ。クルマユリ。ナナカマド。ハクサンシャクナゲ。カニコウモリ。ゴゼンタチバナ。岩についたミネラル分を舐めているという、大きなヤマナメクジ。ヨツバシオガマ。イワツメクサ。黄色いミヤマキンバイと紫のハクサンコザクラ。
室堂に戻ると、今度は「エコーライン」を通って下山した。例年ニッコウキスゲが多いらしいのだが、ここに限っていえば、今年のこの場所は不作らしい。珈琲をたて、持参のキュウリに味噌をつけている、いかにも山慣れた夫婦に声をかけると、やはりエコーラインのニッコウキスゲに関しては、今年はよくないらしい。
旭さんは、その口調から「金沢の方ですか」と声をかける。キュウリを頬張るお父さんは、たちまち相好を崩した。
「白山へはもう、80回は登ったかな。ここは庭みたいなものだから」
下山路には、砂防新道を使った。甚之助避難小屋を過ぎると、あたりはしだいにブナの森に包まれてゆく。
「火山の北斜面はブナの森になる山が多いけれど、白山もそうなんです。それも、意外と深くてよいんですよ!」
国内において、ブナの森が広がったのは、1万2千年前。そんなブナの森とリンクするように定着していったのが、最古の土器文化だといわれている。遙かなる先人は、ブナを眺めて暮らしていたのだろうか。
ハクサンコザクラを愛でながら、旭さんはこんな言葉を口にした。
彼女たちが氷河期から生き残ってきたことを思うと、感慨深いですよね―――。
国破れて山河あり、といういうように、山や自然はなにがあっても残るものと考えられてきた。ところが昨今の自然災害、そして原発などの人為事故を見ていると、その思いが揺らいでゆく。移りゆく世にあって、山はその姿をいつまでも変えずにいてくれるのだろうか。
本来、登山という行為には、未知未踏を求める、という意味が含まれている。誰も見たことのない、さらなる高みへ。
その一方で、古の人々が愛してきたものを、その思いを汲んで眺めにゆく、という登山があってもいい。幸いなことに、白山には、氷河期から咲く花があり、1300年前から信ずるものに導かれ、先人が歩んできた路がある。それは、いまのうちに見ておくべきものなのかもしれない。
まだ見ぬ空間ではなく、日本人の源流を求めるよう、時間を遡る旅へ―――。
熱に浮かされたような思いにとらわれそうなので、足を止めて深呼吸。
すると、ふわりと蝶が舞った。
秋に備えて英気を養っているのだろうか、ときに2000km離れた南の島まで旅をするというアサギマダラが、ブナの合間をひらひらひらり。
(左上・中)相手にいらぬ遠慮させぬよう、ジョークを交えながら、さりげなく登山者に手をさしのべる旭さん。植物や山の成り立ちなど、豊富な知識やスマートな対応に驚かされたが、印象に残るのは、周囲への目の配り方とそこから得た情報をもとに、先を読む能力。案内してもらうだけでなく、そんな姿を目の当たりにできることこそが、山岳ガイドと一緒に行く登山の魅力かもしれない。(左下)標高を下げると、あたりはブナをはじめとした森に包まれてゆく。(右)下山後は有峰温泉へ。風情のある町並みをゆく。
●今回使用したバックパック
グレゴリー/パラゴン48
¥28,080(税込み)
容量:48ℓ
重量:1.45kg
最大積載量:18kg
ミニマムな1泊登山の装備を快適に収めるだけでなく、バリエーションルートなど、よりチャレンジングなフィールドでもホールド感を保ち、バランスよくフィットする人気モデル。「昨年の誕生以来、愛用しています。グレゴリーが優れているのは、なんといってもショルダーハーネスのフォルム。スノーボードで怪我していることもあり、首回りの違和感が肩凝りに直結するのですが、グレゴリーの各モデルにはそれがありません。パラゴンはとくにフィット感に優れていて、クライミングハーネスを付けるときなど、ヒップベルトを締めなくても、心地よく背負うことができるほど(笑)。腕まわりの自由度も大きいうえに、荷重分散、バランスに優れているので、テクニカルなバリエーションルートであっても、行動時間が長いときは、登攀系のモデルではなくパラゴンを選ぶことが多いです」
旭 立太(あさひ・りゅうた)
1977年岐阜県生まれ、山岳ガイド。バックカントリースノーボードをきっかけに山の虜に。2008年に自身のガイドカンパニー「Rhythm Works」を立ち上げる。縦走からバリエーションルート、沢登りからバックカントリーライディングまで、幅広い山の魅力を伝えてくれる、マルチな山の案内人。
http://www.ne.jp/asahi/rhythm/works/
【撮影=三枝直路】