- 山と雪
密林に埋もれた鉱山都市を歩く、歓喜の別子銅山トレッキング&キャンプ
2019.08.15 Thu
愛媛県の東予地方に位置する「新居浜市」、「西条市」、「四国中央市」を舞台に、2019年4月20日から11月24日まで開催している地域振興を目的としたイベント〈えひめさんさん物語〉。
このエリアは、西日本最高峰の石鎚山(1982m)から、赤石山系、翠波峰へと続く長大な山脈を擁し、川や湖、そして海と、豊かな自然に恵まれたとびきりのアウトドアフィールドなのです。横浜から夜行寝台特急「サンライズ瀬戸」に乗って東予にやってきた、旅好きの茜(あかね)と岬(みさき)の二人の物語。第1回に続き、第2回目の今回は、「フィールド編」と題し、”東洋のマチュピチュ”ともいわれる、東平周辺の旧別子銅山トレッキングへ出発です。
先に言わせて! いよいよ(伊予)、やってきました! さっき新居浜に着いたばかりだけど、天気がちょっと心配なので、まずはマチュピチュに行こうよ!
いーよ(伊予)! マイントピア別子まで行けば、レトロな鉱山電車にも乗れるし、別子銅山のことをちゃんと予習もできるテーマパークにもなってるしね
別子銅山は、江戸時代1690年に発見され、1973(昭和48)年の閉山までの283年間で、約65万トンの銅を産出し、日本の近代化を支えた銅山で、工業都市・新居浜市発展の礎となりました。その別子銅山の施設跡を利用した体験型複合施設が、マイントピア別子です。マイントピア別子は、道の駅も併設され、最後の採鉱本部があった端出場ゾーンと、最盛期の拠点であった東平(とうなる)地区を開発した東平ゾーンとがあります。東洋のマチュピチュと呼ばれるのは、最盛期には約5000人もの人々が暮らした町や施設の遺構が、南米インカ帝国の遺跡マチュピチュを彷彿とさせる東平周辺です。
トロッコ列車にも乗れて、鉱山見学もできて1200円は安〜い。それに温泉もあるし、バーベキューもできるんだよ
ココだけで1日遊べるって、すごくない? 砂金も採れるし、しいたけ狩りも! でも、愛媛に来たからには、やっぱりコレでしょ! ここのイチ押し、伊予柑ソフト!
なに、これ〜、ウマーい、丸ごとミカンじゃん!
坑道の中は、冷んやりして涼しい! 暑い夏の観光には、いいかもね。
予習もバッチリだし、天気が悪くなりそうだから、早く東平に行こうよ!
東平は、大正5年から昭和5年までの間、別子銅山の採鉱本部が置かれた中心地で、掘り出された銅の鉱石を坑内電車で運搬し、ここで選鉱した後、貯鉱庫に貯め、索道を利用して、現在のマイントピア別子(端出場ゾーン)のある端出場へと輸送する中継所となっていたところ。この220段の階段も、もとはインクラインと呼ばれ、この場所には当時、端出場から索道を通じて運搬された物資を、さらに高地に運ぶためのケーブルカーのような施設がありました。
多い時には、社員や家族など約5,000人が共同生活する町でもあり、病院や小学校、郵便局、生協、プール、娯楽場などの施設もあって、とっても賑やかだったんだって。
今では、ほとんどの施設が取り壊されて、植林によって、すっかり森の中に埋もれてるけどね。
着いたよー! ここが今日のハイライト! 索道基地跡と選鉱場跡、貯鉱庫跡だって。
100年以上も前に、こんな山奥に人が作ったって、すごくない?
ゆらぎの森へ! 絶品BBQキャンプ
霧がたちこめ、ますます幻想的な様相を呈する東平を後に、今夜は新居浜市にある別子山森林公園「ゆらぎの森」でキャンプの予定です。一路、車でキャンプ場をめざしますが、途中のんびりしているうちにすっかり、夕暮れ近くになってしまいました。でも心配ありません。今回はキャンプ道具も食料も自分で用意する必要がない、「手ぶらでコミコミキャンプ」というプランです。これは、遠方から来るキャンプ好きの旅行者に、とても便利なセットプランで、テントからマット、寝袋、イステーブルなどのキャンプ用具一式と夕食のBBQ、そして施設内のレストランでの朝食が、すべてセットになった楽ちんプランです。
テントも立てたし、炭起こして、早くBBQやろうよ!
ホント、お腹空いたねー。
ちょっと、これ見てー! すごく豪華なBBQじゃない?
うひょーっ、キャンプでこんな上等な肉見たのも、食べるのも初めてだよ。
マジ感動的! オーナー自慢の野菜もすごくおいしい!!
炊飯器の中には、炊きたてのご飯も入ってるんだよ!
オーベルジュっていうくらいだから、明日の朝食も楽しみだね。
朝ご飯の片付けもなくて、楽チンでいいね。
明日は別子銅山のトレッキングだから、早めに出発しよう。
わーい、キャンプ場の朝とは思えない優雅な時間。こんなセレブなキャンプ初めて!
今日はたくさん歩くから、お腹いっぱい食べておきなさい!
なんか貧乏くさーい。ぜんぜんセレブじゃない。
密林に消えた幻の鉱山都市へ
ゆらぎの森から新居浜方面へ車を走らせること、およそ20分ほど、日浦登山口から銅山越にかけての登山道沿いには、別子銅山が栄華を極めたころの遺構が、今もなお森の中に数多く点在しています。精錬所をはじめ、接待館や醸造所、小学校、病院、劇場など、標高1000メートル近い、険しい山を巧みに切り拓き、1万2000人もの人々が暮らす銅山街を形成していました。
この石垣やレンガの存在感に圧倒されちゃう。
ひとつ、ひとつ人が手で積み上げたかと思うとスゴイとしか言いようがない
ほとんどインディジョーンズの世界だね。
ここがどこなのかわからなくなってきた。聖なる棺とがありそうな雰囲気
さっきから頭の中でBGMが流れてる。
別子銅山発祥の地から銅山越、歓喜抗へ
日浦から銅山越の山中には、別子銅山の最初の坑道である歓喜坑があります。1690(元禄3)年に、坑夫長兵衛により、このあたりで見つけた有望な露頭のことを知らされた住友家が経営する吉岡銅山の支配人、田向重右衛門らが山中を調査し、みごと鉱脈を探し当て、人びとは、抱き合って歓喜し、開鉱を祝ったことから歓喜抗と呼ばれています。
だいぶ歩いてきたね。ずいぶんと広い街だったんだね。
この先のダイヤモンド水と呼ばれる水場までガンバロウ!
うわー、とても冷たい水だよー。
だいぶ高いところまで登ってきたね。もう少しで銅山越だよ。
昔の人は、この道を東平まで、掘った銅や生活物資を担いで運んだんだよ。
やっと着いたよ!
標高1294m、登山口から約2時間半。あとは歓喜抗めざして下るだけ。
元禄3年、329年前に長兵衛が歓喜した歓喜坑で、令和元年、清水姉妹が歓喜した!
やったー、お昼だー、お腹すいたー!!
時間と空間を旅した不思議なトレッキングだったね。
まるで歩きながら映画を見ているような、物語のある山だったね。
今回のふたりのフィールド物語は、いかがでしたか? ふたりのえひめさんさん物語は、まだまだ続きます。次回は山登りにすっかりハマった姉妹が、四国最高峰の石鎚山をめざします。お山開き大祭の間、ご神像が頂上に上がってると聞いて、頂上で御朱印をもらうため、雨のなか、女人禁制の開けた翌日、鎖場から頂上をめざします。次回もお楽しみに。
●えひめさんさん物語の詳細はコチラ
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