- 山と雪
「北海道のアウトドアで生水を飲むことはどのくらいのリスクなのか?」をエキノコックスの面から考えてみた
2021.05.31 Mon
林 拓郎 アウトドアライター、フォトグラファー、編集者
夏山シーズンを迎えて、野山に出かける機会が多くなる。大自然のなか、岩の間から湧き出る冷たい水で喉を潤す。そんなアウトドアの醍醐味と言われそうな喜びも、北海道では避けるべきだと言われている。「エキノコックスになるぞ」と。
しかし具体的に「エキノコックスになる」とはどういうことなのか。だいたいエキノコックスとはなんなのか。ただ闇雲に恐れてばかりでは話は前に進まないので、エキノコックスに詳しい研究者にお話をうかがってきた。
聞かせてくれたのは国立大学法人 旭川医科大学寄生虫学講座・助教の佐々木瑞希(ささき みずき)さん。佐々木さんは獣医師さんで、主に条虫(ヒモのように長い寄生虫)や吸虫(ぷりんとしていて丸みのある寄生虫)といった寄生虫の研究をしている。最近では旭川市でカタツムリから新種の吸虫を発見したほか、旭川市近郊での都市部におけるキツネとエキノコックスの分布についても調査を進めている。そうした研究やフィールドワークの様子はtwitter(@parasitology_as)を通じても知ることができる。
今回は佐々木さんにエキノコックスの症例や感染経路、予防法について教えていただき、それをもとに原稿を構成している。
さて、Akimamaとして最大の疑問は、
「北海道のアウトドアで生水を飲むことがどのくらいのリスクなのか?」だ。それってどのくらい危ないの? 飲んだら速攻でお腹痛くなるの? などなど。
しかし、その答えにたどり着くためにはいくつかのテーマを順番に理解する必要があることも見えてきた。
・「エキノコックス」とはなんなのか
・「エキノコックスになる」とどうなるのか
・なぜ生水を避けるべきなのか
・予防策はあるのか
そして、
・現実的に、生水に頼らざるを得ない状況はあるのか
などだ。
長い話になるが、なるべく専門用語を省いて分かりやすくお話していきたいと思う。
1)エキノコックスとはなんなのか
エキノコックスの概要
「エキノコックス」とは寄生虫の名前だ。ヒトがこの寄生虫に感染すると「エキノコックス症」を発症する。ただし、ヒトに寄生するのはエキノコックスの幼虫のみだ。
エキノコックスは条虫というタイプに分類される寄生虫だが、この条虫が卵からかえり、幼虫になり、成虫になって卵を生むまでのサイクルを成立させるためには、2種類の生物に寄生する必要がある。幼虫のときに寄生する生き物を「中間宿主(ちゅうかんしゅくしゅ)」と呼び、成虫になってから寄生する生き物を「終宿主(しゅうしゅくしゅ)」と呼ぶ。
また北海道で見られるエキノコックスの場合、おもな中間宿主はエゾヤチネズミであり、終宿主はキツネとなる。キツネは説明の必要はないだろう。エゾヤチネズミは体長10cm程度の中型のネズミで、北海道の山林や野原ならどこにでも生息している。人の生活圏内で目にすることもめずらしくはない。
本来ならキツネとネズミの間で寄生環が成立するエキノコックスだが、その卵はヒトの体内でも孵化できてしまう。卵がヒトの体に入るのはアクシデント由来だ。野外作業で触れた土に混じっていたり、井戸水に含まれていたり、散歩に出た飼い犬の足の裏についていたりと、卵は思いがけないところから人の生活圏に取り込まれ、ふとした拍子に口に入ってしまう。そうした事態を防ぐためには人間とキツネとの生活圏が重ならないよう、ゴミや家畜、ペットの管理を徹底することが重要になる。(画像提供:国立大学法人 旭川医科大学寄生虫学講座)
エキノコックスの成虫は体長4mmほど。キツネの腸の壁に取り付き、栄養分を吸って生きている。ちなみにエキノコックスが寄生してもキツネにはほとんど影響がない。病気になることもなければ、死んでしまうこともない。成虫はただ、時期が来ると卵を産み落とすだけだ。
エキノコックスの成虫はキツネの小腸の壁にフック状のトゲで引っかかり、吸盤で吸い付いて栄養を得ている。苦手な人もいると思うので、その姿はスケッチ画で。(画像提供:国立大学法人 旭川医科大学寄生虫学講座)
寄生虫の卵のことは「虫卵(ちゅうらん)」と呼んでいる。エキノコックスの虫卵がじゅうぶんに成熟すると、虫卵を抱えた組織が成虫の体から切り離されてキツネの腸の中に落ち、便に混じって排出される。この便を食べたエゾヤチネズミの体内で虫卵は孵化して、幼虫となる。幼虫はおもに肝臓にたどり着き、そこで増殖していくのだ。このときの増え方は無性生殖だ。簡単に言えばたった1匹の幼虫が、クローンのようにどんどん増えていくことができる。
やがて寄生されたエゾヤチネズミの肝臓は幼虫でいっぱいになり、肝臓障害を起こしてしまう。ネズミは体調が悪くなることで動きが鈍くなり、キツネに狩られやすくなる。その結果として幼虫はキツネの体内に取り込まれ、腸壁に取り付いて成虫となる。こうして寄生のサイクルが成立するのだ。
現在のところ、エキノコックスが見られるのは北海道がほとんどだ。しかし愛知県で野犬の感染例が報告されているほか、青森県などでもエキノコックス症の報告がある(日本経済新聞「寄生虫エキノコックス、本州で感染拡大の兆し」)。幸いなことに大規模な流行にはいたってはいないが、その感染エリアは広がりつつあり、本州でも気が抜けないのが実情だ。
エキノコックス症の症状
エキノコックスにとって終宿主はキツネだが、前述のように犬が終宿主になることもある。まれに、寄生虫は本来の宿主以外の動物にも寄生できてしまうのだ。そして、われわれヒトも、エゾヤチネズミに代わって中間宿主になりうる。
感染の経路はエゾヤチネズミと同じだ。感染は虫卵が口から入ってしまうことでのみ起こる。ヒトからヒトに感染することはないし、エゾヤチネズミからヒトに感染することもない。
ヒトの場合も、多くは幼虫が肝臓に寄生して増殖していく。どのくらい増殖するのかといえば、答えは「無限」だ。本来、エゾヤチネズミに寄生したいエキノコックスにとって、ヒトの体内は決してベストな環境ではなく、成長しても成虫になることはできない。それでも時間をかけて増えていく。一般的にエキノコックス症の潜伏期間は10年とも20年とも言われるが、それは体内で幼虫が増殖し、なんらかの病気が発症するまでの時間なのだ。
エキノコックスが寄生したヒトの肝臓。ヒトに寄生したエキノコックスの幼虫は、成虫になるための「原頭節(げんとうせつ)」という組織を作ることができないまま、ひたすら増殖を続ける。この過程で肝臓は炎症を起こして壊死していく。(画像提供:国立大学法人 旭川医科大学寄生虫学講座)
幼虫は中間宿主の体内で周囲の細胞を侵食し、幼虫自身の細胞を増やしながら大きな塊になっていく。肝臓であればその様子は肝臓がエキノコックスの幼虫の組織に徐々に置き換わりながら壊死していく。こうして肝臓の機能は徐々に失われ、最終的に中間宿主は死にいたる。
エキノコックス症の治療方法
現在、エキノコックス症の薬はない。治療方法としては幼虫が寄生している部位を外科的に切除するしかないが、幼虫は脳や眼球に寄生することもある。また幼虫は小さく、取り残しもありうることから、場合によっては数回の手術が必要になるかもしれない。根治がむずかしいという意味で、エキノコックス症は非常にやっかいなのだ。
2)なぜ生水を避けるべきなのか
感染源は卵
ヒトがエキノコックスに感染する経路はただひとつ。虫卵が口から入ってしまうことだと述べた。この虫卵は直径0.03mmと極小サイズのため、目視で見つけて取り除く、といったことは不可能だ。そこで感染を避けるためには、虫卵との接触機会そのものを減らすことが重要になる。そのなかでも重要なのが水場だ。
なぜ、水場が危険なのか
最大の理由は、生きるための場所である水場はさまざまな生物が集まりやすく、虫卵に出会う機会が増える場所でもあるからだ。キツネだけでなく、キツネの糞に触れた動物が来ることもある。現実的に考えれば、動物と人間とが餌場を共有することはほぼないが、野外なら水場の共有は起こりうる。動物が来ていたと知らずに、人間が水を汲むことがあるからだ。
また岩の間から湧き出た水も、その上流の状況は分からない。きれいな水に見えたとしても、虫卵が混じっていても不思議はない環境のなかを流れてきたかもしれないのだ。
野外の生水に「安全」はない。まず大前提として、このことを共有しよう。
登山やハイキングの途中で巡り合う湧き水。流れ出す水は、どう見ても清らかだ。が、その上流がどうなっているのかを確認できない以上、こうした水にも寄生虫リスクが潜んでいるとして行動したほうがいい。
必ず感染、ではない
冬場になると猛威を振るう「ノロウイルス」は感染力が強く、10~100個のウイルスが体内に入ることで発症すると言われている。ではエキノコックスは、いったい何個の虫卵が体に入ったら、感染してしまうのだろうか?
恐ろしいことに答えは「1」だ。
最大のポイントはエキノコックスかウイルスではなく「虫」だという点だ。たった1個でも虫卵が孵り、環境さえ整えば成長し、増殖することができる。しかしデータを見てみると、道内での新規エキノコックス症患者は平成27年から令和元年までの5年間平均では25人程だ(「エキノコックス症の知識と予防!!」)。農業や林業など、自然環境に近い仕事に就く人の多さ、アウトドアアクティビティなどの豊富な野外活動、そして今や市街地でもキツネが見られることを考えれば患者数は意外なほど少ない。
おそらくエキノコックスにとってはエゾヤチネズミの体内こそが最高の環境であって、ヒトはうっかり孵ってしまった場違いなゆりかごなのだ。つまり、虫卵を口にしてしまったとしても、ヒトが持つ抵抗力やさまざまな要因で幼虫が成長できないケースも多いのではないかと言われている。
感染の可能性は「1」個から始まるとしても、感染確率は100%ではない。恐れすぎる必要はなく、確率で言えば528万人あまりが暮らす北海道で、年に25人程度しかかからない病気だ。そして、この25人をゼロに近づけることはじゅうぶんに可能なのだ。
3)エキノコックス症の予防策
ここまでの話を整理してみよう。本来エゾヤチネズミに寄生するエキノコックスの幼虫はヒトにも寄生する。寄生した場合には肝臓などで増殖してエキノコックス症を引き起こし、命を脅かす。治療薬はなく、治療法は外科的手術による患部切除のみだ。
どう考えても罹るとやっかいなうえ、寄生のしかたがなんとも嫌らしい。治療法のことを考えると、予防策を徹底したほうがメリットは大きい。そこで北海道では、全道的にエキノコックスの感染を防ぐためにいくつかのポイント挙げて啓蒙活動をすすめている。
こちらは旭川医科大学 寄生虫学講座で呼びかけている、エキノコックスの予防策。手を洗い、野外にあるものは生では口に入れず、キツネとの距離を保つ、などだ。一般的にリスクとは「ハザード(事態の大きさ)」に「機会(さらされる時間や量)」をかけ算したものと考えることができる。エキノコックス症は根治が難しく命にも関わるので、ハザードは大きい。しかし感染原因は虫卵のみと機会のコントロールはしやすい。だからこそ虫卵との接触機会を減らし、日常生活でも取り込む可能性を抑えることが、リスクの低減に大きく役立つ。(画像提供:国立大学法人 旭川医科大学寄生虫学講座)
このうちのひとつが「生水を飲まないこと」なのだ。
ちなみに「生水を飲まないこと」というと、沢登りやカヌーなどの水辺のアクティビティが気になる人もいるだろう。が、問題意識を持って避けたいのは「生水を無警戒に利用する状況」だ。沢を登っている途中に口の中に流れ込む水や、水遊びで口に含んでしまう水は、飲み水に比べれば圧倒的に量は少ない。リスクとしても非常に小さいと思っていいだろう。
日帰りなら水は持っていこう
生水を飲んだらすぐにエキノコックス症になるわけではない。その可能性は非常に非常に低い。が、かかってしまったときが大変だ。北海道の生水は直ちに危険ではない。けれど、100%安全ではないのだ。
こうした状況を踏まえたうえで考えたい。野外で出会ったその生水は、本当に飲む必要があるものだろうか? 日帰りのアクティビティなら一日分の飲み水は持っていくことができる。リスクが潜んでいる以上、川や沢の水を「積極的に」飲む必要はないのではないだろうか。
野外での飲み水を考えた時、北海道における、もっとも安全で簡単な解決策。それは「飲み水はできるだけ持っていこう」だ。
「昔の人は湧き水で生活していたんだから大丈夫」「明治末期の北海道を舞台にしたマンガでは、沢の水を飲んでた」といった声も聞いたが、エキノコックスが日本で確認されたのは昭和12年(1937年)だ。エキノコックスは20世紀になって人の交流や交易が盛んになったことで、北方の感染したキツネが北海道に渡ってきたことで広まったとみられている。つまり、かつての北海道にエキノコックスは存在していなかったのだ。昔の生活様式をあげて安心することはできないことも知っておこう。
4)アウトドアで生水に頼る状況とは
リスクがあるなら安全な水を持っていけばいい、で終わるのはアウトドアのやり方ではない。現実的な対応策を考え、そのなかで最大限の安全性と楽しみを追求してこそだ。というわけで、生水に頼らざるを得ない場合の方策を考えてみよう。
生水に頼るのは縦走時
野外で飲み水を確保しなければならないのは、数日間にわたるアクティビティのときだ。とくに北海道の場合は営業形態の山小屋はほぼ無く、山中での安全な水の入手がむずかしい。縦走時には雪解け水や池の水など、現地の生水を利用せざるを得ないことも多い。
大雪山・トムラウシ山の北側に広がる「北沼」。7月上旬でも沼の周辺には写真のように雪が残り、雪解け水をたたえている。数日間に渡る縦走の場合はこうした水に頼ることになるため、生水をどうやって安全に利用するかを想定しておく必要がある。
煮沸すればOK
エキノコックスの虫卵は非常にタフだ。マイナス20度の低温に耐え、乾燥状態でも数日なら生きている。しかし高温には弱く、100度・1分間の煮沸で死滅すると言われている。生水は煮沸したほうがよいと言われる理由はここにある。国際山岳連合医療部会でも『山中における水の消毒』(http://www.jsmmed.org/_userdata/no6.pdf)という報告書で、「沸騰させればA型肝炎ウイルス以外のすべての消化管性病原体は死滅する」として、煮沸消毒を勧めている。
煮沸は手間がかかるし燃料も余計に必要になる。が、誰がやっても失敗がないという面において、安全な水を得るには有効な手段だ。実験によるとエキノコックスの虫卵は60度・10分、75度・5分の加熱で死滅するとされている。つまり沸騰したお湯が冷めていくまでの間に、虫卵はじゅうぶんに死滅する。沸騰してからの時間を測るほどの厳密さは必要とされない。
テント泊なら煮炊きをするだろうから、炊事作業の延長上で煮沸をすればよい、ということになる。その場合、以下のような工程と資材が必要になるだろう。
■生水を入れる容器/テント場に必ず水場があるとは限らない。水場がルート上のみ、という区間もある。となると、歩いている途中で水を確保して、煮沸はテント場でという動きを想定しておくことが必要になる。そこで生水を確保する容器を用意。内部は汚染されると考えて、生水専用とすることが大切だ。容量は必要量にあわせながら、少し余裕をもたせておきたい。
■煮沸した水を入れる容器/煮沸した水を入れて、翌朝までに冷ますための容器。熱湯の温度に耐えることはもちろん、注ぎ口が大きく熱湯を注ぎやすいこと、樹脂製なら水に嫌な匂いがつかないこと、なども重要。
どのくらいの量の水を煮沸するかを考えて、燃料も余分に用意しておく必要がある。上の工程なら浄水器は必須ではない。が、水の質によっては藻や細かなゴミ、にごりを取り除く目的で使用することもある。
浄水器も有効
多くの浄水器メーカーではカタログにウイルスやバクテリア、原虫の除去率を挙げている。浄水器の基本原理は濾過なので、要はどのくらいのサイズのものまで濾し分けることができるか、がポイントになる。この場合知っておかなくてはならないのが、ウイルスやバクテリア、原虫のサイズだ。大まかに言って、
ウイルス 0.1μm(0.0001mm)
細菌 1μm(0.001mm)
原虫 10μm(0.01mm)
虫卵 30μm(0.03mm)
あたりが目安になる。
浄水器がターゲットにしている細菌や原虫のサイズを考えれば、虫卵は桁違いに大きい。というわけで、細菌を濾過できる浄水器なら性能上、虫卵の除去はじゅうぶんに可能ということになる。
北海道在住の筆者が愛用している2種類の浄水器、GRAYLのウォーターピュリファイヤーとSAWYERのmini SP128。浄水器は手軽に安全な水を得ることができる優れた装置だが、扱いをまちがえると期待通りの機能を発揮させることができない。また、浄水器ならすべての製品が細菌や原虫を濾し分けることができるというわけではない。
5)結論
ここまで述べてきたようにエキノコックスは非常に面倒な病気だ。根治がむずかしいこともあって、予防が重要になってくる。そのリスクを考えれば、多少手がかかったとしても煮沸や浄水といった手段を経たほうが安心、というのがAkimama的結論だ。
たとえば冷たい湧き水をたっぷりと浴びたい夏日の登山もあるだろう。その水を飲んだからといって、必ずエキノコックス症にかかるわけではない。しかし水には腹痛の原因となる原虫などが含まれているかもしれない。流れ出る水をゴクゴク飲む、といった行為は避けて、せめて浄水器くらいは使ってほしいと思う次第だ。
もちろん理想を言えば、口に入る水はすべて煮沸してから利用したい。そう聞くと非常に面倒そうだが、キャンプの場合、調理や炊飯に使う水は加熱されるので煮沸する必要はない。となると、本当に煮沸しなくてはいけない飲料水は行動用のみ。つまり、煮沸すべき飲み水は思っているよりもずっと少ないのだ。
キャンプの夜に、翌日の用意として飲み水をつくる。そうした手間もまた、北海道というウィルダネスが色濃く残された土地の過ごし方なのだ。
取材協力/国立大学法人 旭川医科大学寄生虫学講座
参考文献/『増補版エキノコックス その正体と対策』著:山下次郎 増補:神谷正男 北海道大学図書刊行会