• 山と雪

マカルー8,463m、“生きる”を噛み締めた岩田京子の6座目──その1

2024.08.10 Sat

岩田京子 登山ガイド

8,000mの始まり

 2017年から始まった私の8,000m峰の遠征登山。2024年に向かったマカルーで登頂できた8,000m峰は6座目となった。
マカルーの山頂手前にある最後の難所。
 こうやって言葉にすると呆気ない感じだが、この7年間という時間には本当にさまざまなことが凝縮されている。悔し涙を流したり、大好きな人との別れがあったり。それでも頑張って前を向いてきた。ふだんの会話ではいいことしか話をしないので信じてもらえないかもしれないが、決して順風満帆に進んできたわけではないことだけは理解してほしい。成功体験の話をすると恵まれているね。とか強いんだね。などという言葉が返ってくる。しかしながら私は、幼い頃から病気がちで身体は決して強くない。そして高所にも弱く、高いところも寒いところも苦手。みなさんが想像するような屈強な登山家では決してないのです。

 そんな私が、2013年に初めてネパールへ足を踏み入れるところから始まる。

 この年、勤めていた会社が休暇の申請を認めてくれなかったため、すぐさま辞表を提出。勢いとはいえ辞めて時間に余裕ができたので、一度は歩いてみたかったネパールトレキングへと思いを馳せていた。インターネットなどで情報収集をして、地図を取り寄せるところから始めたのだが、訪れたことのない国の情報は文章をいくら読んでも、写真をたくさん見ても頭の中にイメージがどうしても入ってこない。わからないながらも「とりあえず行ってみて、どうにかするしかないか……」と腹をくくり始めた。そんなとき、ひょんな事からエベレスト遠征隊に同行させてもらえるというチャンスに巡り合ったのだ。この出会いはいまから思うと“運命”としか言いようがない。いわゆる、ターニングポイントだ。いままで8,000m峰というものにまったく興味がなかったのに、この日を境に8,000m峰に憧れを抱き続けることになろうとは思いもよらなかった。

 こうして私の初ネパールは、遠征隊についていくトレッキングだけではなく、途中6,000m峰にも登頂し、ベースキャンプマネージャー(ベースキャンプでの雑用係?)という任務にも従事させてもらうという盛りだくさんな旅となった。

 その期間中に遠征や高所登山に関する、いいところも悪いところもさまざまなことを学ぶことができた。自分は登らずにサポートという位置付けだったので客観的に見て考えることができた。現地でスタッフや隊員の方々の様子を見ているうちにいろいろと学ばせてもらったので、次に来るときにはエベレストや現地の人たちに「何らかの恩返しをしたい」という気持ちが芽生えた。そして「必ずここに戻ってきます!」という誓いを自分の心に秘めて、ベースキャンプを後にした。
はじめて訪れたベースキャンプから帰る日に、撮影してもらった1枚。
 帰国したあと4年の間、遠征時に感じた自分の足りない部分を見つめ直し、補う、そしてお金を貯めながらひたすらチャンスを狙っていた。待ち続けたのち、やっと掴めたチャンスは2017年のチョ・オユーへの遠征だった。いきなりエベレストへ向かうのは自分の実力からして無理だと感じていたので、8,000mの中でも比較的登りやすいとされているチョ・オユーの遠征は段階を踏むにはとても都合がよい。
 
 しかも、下山後にそのまま続けてシシャパンマ、マナスルに向かうという3座登頂チャレンジだった。実際、チョ・オユーは無事に登頂できたのだが、次に向かったシシャパンマでは脈泊が極端に下がりすぎたためにガイドストップがかかり、BCより上にあがれず断念。マナスルはルート工作ができず、BCで断念。現地では気が狂うほど悔しい思いをした。しかしその結果は自分自身に非があり、自分の甘さや情報不足など、気持ちだけでは登れないと気付かされた遠征だった。
 
 翌年の2018年、足りなかった部分をカバーして、準備を念入りにして再びマナスルへと向かった。悪天候に翻弄され、当初の予定とはだいぶちがった行程ではあったものの、無事に登頂することができた。そして翌年の2019年には、念願のエベレストからローツェの縦走。5年の年月をかけてやっと「必ずここに戻ってきます」と約束したエベレストベースキャンプに戻ってくることができた。一旦区切りをつけることができた遠征だったが、今度は自分のために登りたい!と、気持ちが変化した年でもあった。

 そんな気持ちとは裏腹に、翌年の2020年からは世界中にコロナが蔓延し一時遠征はストップとなってしまった。その後、復活の兆しが見えてきた2023年に遠征を再開し、アンナプルナに無事登頂。続いて2024年、マカルーへ……。
マカルーBCの夕焼け。
 一般的に8,000m峰に登る人たちのなかでは比較的に登りやすいといわれるチョ・オユー、マナスルと経験を積み、エベレスト&ローツェにも登頂することができたので、体力や判断力なども少しは備わってきたかなという自信がついてきていた。

 しかし、これからはどの8,000m峰をセレクトしても困難を極めることはまちがいないという現実も理解していた中での、今回のマカルー遠征。安易に考えていたわけではなかったが、気持ち的にも身体的にも今まででいちばん辛いと感じる遠征となった。
 
  

2024年 マカルーに向かう

 今回、目的とする山はネパールと中国の境に位置する標高8,463m、世界第5位の高峰。

 チベットサイドから登られることもあるようだが、私はネパールサイドから一般的に登られているルートをめざす。一般的とはいうものの、決して楽な山でないことは覚悟していた。山頂直下には岩稜帯もあり比較的にむずかしい山とだという情報も得ていた。にもかかわらず、身体、体力、高所経験が思うようにつくれなかったこと、いっしょに登ってもらうガイドさんが直前で変更になったこと、遠征費用を捻出するためにギリギリまで仕事を詰めすぎてしまったことなど、準備不足で不安だらけの幕開けとなった。

 4月中旬、日本を出発し一路ネパールの首都カトマンズへ向かった。

 その後、国内線で世界一危険と言われる飛行場のあるルクラ空港へと向かった。天候が悪く、カトマンズの空港でフライトキャンセルとなり、1日ロスしてしまったが、翌日無事にルクラへ到着。ルクラの空港で標高はすでに2,860m。まずは大好きなエベレスト街道を歩きながら身体を慣らしていく。
ディンボチェの裏山、5,080m付近にて。
 マカルーのベースキャンプの標高は、5,700mほどと聞いていた。いきなり行くと順応していない身体は拒否反応を起こし、高山病の症状が酷く出る恐れがあるため、標高6,189mの登山へと向かって身体を慣らす。この山はアイランドピーク(イムジャツェとも呼ばれる)という名前で、エベレスト街道から少し外れたチュクンという村からベースキャンプへ向かい、アタックキャンプを使って登る雪山だ。傾斜もあり、岩稜と氷のミックス帯などの危険箇所もある。フィックスロープという、補助的なロープも張られているため、アッセンダー(ユマール)といわれる器具を使う技術を要する。
アッセンダーを使用して登る。

 はじめての高所登山などでも登られていることが多いのだが、今年は積もっていた雪が極端に溶けていて、岩が露出し落石も多く難易度は例年よりも高かったようだ。日本で事前に調べていた写真などの情報とは似ても似つかないほどの現状に戸惑いながらも無事に登頂できたことで、8,000mへ向かうための気持ちの切り替えとなった。
アイランドピークの山頂にて。
 今回のアイランドピーク順応登山は、ともに行きたいと申し出てくれた4人の友人といっしょだった。そのうち2名の体調不良のため、登山行程の大幅な変更やガイドの減員などがあったが、なんとか無事に登頂することができた。と、喜びも束の間。この頃から体調が悪化の一途を辿る。





「マカルー8,485m、“生きる”を噛み締めた岩田京子の6座目──その2」につづく

岩田京子 登山ガイド

日本山岳ガイド協会認定登山ガイド。アウトドア業界でのイベントの企画運営の仕事の経験を生かし、現在はガイド業をするかたわら、海外添乗員も兼務。プライベートでは、ヒマラヤの山々にチャレンジしている(チョーオユー、マナスル登頂)。2019年5月、エベレストーローツェへの連続登頂に挑戦。見事、成功を収めている。2024年、マカルーへの登頂も果たし、8,000峰は6座目に。
WEBサイト:山plus

Latest Posts

Pickup Writer

ホーボージュン 全天候型アウトドアライター

菊地 崇 a.k.a.フェスおじさん ライター、編集者、DJ

森山憲一 登山ライター

高橋庄太郎 山岳/アウトドアライター

森山伸也 アウトドアライター

村石太郎 アウトドアライター/フォトグラファー

森 勝 低山小道具研究家

A-suke BASE CAMP 店長

中島英摩 アウトドアライター

麻生弘毅 ライター

小雀陣二 アウトドアコーディネーター

滝沢守生(タキザー) よろず編集制作請負

宮川 哲 編集者

林 拓郎 アウトドアライター、フォトグラファー、編集者

藤原祥弘 アウトドアライター、編集者

ふくたきともこ アウトドアライター、編集者

北村 哲 アウトドアライター、プランナー

渡辺信吾 アウトドア系野良ライター

河津慶祐 アウトドアライター、編集者

Keyword

Ranking

Recommended Posts

# キーワードタグ一覧

Akimama公式ソーシャルアカウント