- 山と雪
【山ヤの子育て】親子登山11座目・山ヤ流子育て、3年目の成果
2021.06.28 Mon
まつだ しなこ 子連れハイカー
脳神経細胞の70%は3歳までに捨てられる!?
人間の脳の神経細胞の数は、この世に生まれ落ちた瞬間がいちばん多く、3歳になるまでに約70%が排除されるという研究結果があるそうだ(*)。この説によると、残りの100年近い人生は、3歳までに取捨選択されて生き残った細胞とともに過ごしていくことになってしまう。こういう話を聞くと、早期教育に躍起になってしまう親の気持ちがよくわかる。
(*) 出典:クレヨンハウス『パパは脳研究者 子どもを育てる脳科学』
公園でママさんたちと立ち話をしていると、最近はもっぱら子どもの習い事の話になる。
「うちは通信で読み書きの勉強をはじめたわ」
「やっぱり指を動かすピアノが脳の発達にはいいみたいよ」
という会話で盛り上がるなか、登山のため、休日に極力習い事を入れたくない、身勝手な私は
「……。わが家は山登りをしなくちゃいけないので……」
と口籠って、その場の空気を微妙なものにしてしまう。
「貴重な幼児期の時間をムダにしてるのかな。でも山にも行きたいし、困ったな」
なんて親が葛藤しているうちに、娘はあれよあれよという間に3歳になってしまった。結局、なにも特別なことはしないまま、脳の神経細胞の取捨選択は終わっているのだろうか。
テレビを見るときはこのポーズが定番。だらだらする姿もすっかり一人前。
先日、家の階段に座り込んでぼんやりしているので、具合でも悪いのかと尋ねたら、いかにも鬱陶しいという表情をして
「なんでもない! 考え事してただけ!」
と怒られた。もうすっかり一人前の女子の風格である。
ちいさな頭にぎっしりつまった脳で、どんな考えごとをするのだろう。日々、たくさんの情報を取捨選択していくなかで、少しでも、山の楽しさを記録してくれているだろうか。
楽しく歩くための、あの手この手の隠し技
娘の頭のなかは、神秘のベールにつつまれたままだが、親として「わが子の、ここがすごい」と自信を持って言えることはある。歩くのが上手なことだ。
娘は本当によく歩く。最近では、距離4㎞を2時間くらいかけて歩けるようになってきた。3歳児にしてこの距離を歩けるのは自慢していいことだと思う。日ごろからトレーニングと称してなにかと歩かされているので、足腰が丈夫で、体力もあるのだろう。
しかし「歩くのが上手」というのは、体力があるという意味だけではない。彼女は、歩いているからこその楽しさや、遊びながら歩くコツを知っているのだ。もちろん長距離を歩ききるには、手を替え、品を替え、子どもを飽きさせないようにする親の涙ぐましい努力があるのは言うまでもない。
まず定番の「トトロ探し」。アニメ『となりのトトロ』が大好きな娘に、少し先にある大きな木を見つけては「あそこにトトロいるかなぁ?」と問いかけてみる。すると「探してくる!」と木に駆け寄っていく。これを何度か繰り返すと、しばらくは飽きずに進んでくれる。
「お母さんもいっしょにトトロを呼んで!」と言われるので、小声で「おーい、トトロ〜」と言うと、「それじゃ聞こえないよ!」と怒られる。
最強の小道具が、トランシーバー。いまやすっかり親子登山の必需品になっている。少し先に私と息子が進み、物陰に隠れる。それを娘と夫が「お母さんどこですか?」とトランシーバーで呼びかけながら進むのだ。
夫がバックカントリー用に購入したハイスペックなもので、けっしておもちゃではないのだが、いまやすっかり娘の所有物に。
そして、夫と山で意識的に大事にしているのは、植物の会話をすることだ。夫も私も高山植物が好きなので、登山の最中によく花の名前を教え合っている。「あ、イワカガミだ。そういう時期だね」「ギンリョウソウがはえてるよ」という夫婦の会話を聞いても、娘は最初こそ「ふーん」程度だったが、最近では匂いをかいだり、花の中を覗き込んだり興味津々。足元の草花を発見するのは、ロープウェイでひとっ飛びしては絶対にできない、歩くからこその楽しさだ。
ちいさな花にもそれぞれ特徴があり、その特徴を愛でて名前が付けられていることを、なんとなくでも理解しているのだろう。
単調だからこそ工夫して歩いた御岳山(みたけさん)
3歳の誕生日記念登山は、山神様に今後の山人生の安泰を祈願するために奥多摩・御岳山へ。ケーブルカーであっという間に山頂へ行くこともできるが、今回はもちろん歩いて参拝することに。
ケーブルカーの駅の大行列を横目に、大きな鳥居をくぐって、いざ登山開始。登山といっても、山頂まで続く道は車が通れるほどしっかり整備されたコンクリートの道だ。御岳山は山頂付近に宿場があり、生活している人もいるため車が往来する。幅が広く歩きやすいが、車には十分に注意しながら歩かなければならない。
この、つづら折りになっている単調な道が山頂まで続くことになるので、いつも以上に子どもが歩くことを飽きないようにする工夫が必要だ。
登山道からケーブルカーが行き来するのが見える。単調な道を歩くときは、こういうちょっとした景色の変化でもすごく楽しい。
気持ちが疲れて足取りが重くなってきたらトランシーバーの出番だ。
最後の難所は山頂の武蔵御嶽神社の長い階段だ。かなり急になっていて段差もあるので、3歳児の短い脚では一段一段登るだけでかなりハードな全身運動になる。少し心が折れそうになるも、途中にある休憩椅子に腰掛け、おやつでエネルギー補給し気持ちを立て直し再スタート。
階段は一層注意が必要なので、父としっかり手をつないで登っていく。
山頂でお山の神様に「これからの長い山人生」の無事を祈願。青梅の街並みを堪能したのち、ゆっくり下山開始する。帰りは、私がコンタクトレンズを落とすというハプニングに見舞われたためケーブルカーで下山した。今回も約3㎞の距離を、一度も抱っこされることなく自力で歩ききった。
山頂では真っ赤なシャクナゲが満開だった。季節の移り変わりを肌で感じて、楽しんで欲しい。
「仲間」で歩く
娘は、自分と父や母、弟の関係を「仲間」という言葉を使って表現することがある。保育園でも、先生方に「あーちゃん(娘)とお父さんとお母さんは仲間なんだよ」と自慢げに語っているそうだ。
「家族」という概念がまだわかっていないだけかもしれない。それでも「仲間」という言葉には少しワクワクするような響きがあって、この言葉を選んでくれていることが嬉しくて仕方がない。
娘が山でよく歩く理由は、もしかすると彼女なりの「仲間意識」にあるのではないかと思ったりもする。親子登山というアクティビティは「困難な目標を家族みんなでいっしょに達成する」という点が特徴的だ。子どもだけががんばるのではない。楽しいだけの時間でもない。父も母も、背中で寝ている弟も、みんなが汗だくになって同じゴールをめざす、という稀有な体験なのだ。その体験のなかで娘の脳は、家族のことを「いっしょに生活する共同生活者」としてだけではなく、「いっしょに冒険する仲間」と認識をしてくれたのではないだろうか。
ときに泣き言をこぼしながらも、自分の足でしっかりと前に進もうとする娘と、これからもいっしょに歩ける仲間のような存在でありたい。
脳の大部分が完成してしまうといわれる3歳までの乳幼児期。あれもこれも体験させたいと焦ったり、なにも手が回らないと落ち込んだりするときもあるけれど、ひとまず、3歳までの山ヤの子育ては及第点ということにしよう。
しなこさんの、パパママへのアドバイス
山では「花しらべ」というアプリを愛用しています(有料)。写真を撮るだけで植物の名前がわかるすぐれたアプリです。山ではアプリ、家では子ども図鑑をすぐ手に届くところにおいて、山と家で使い分けています。