- 山と雪
【山ヤの子育て】親子登山12座目・「がんばれ」と「がんばったね」の境界線
2021.08.16 Mon
まつだ しなこ 子連れハイカー
励ますことのさじ加減
山の天気と、子どもの気持ちは、本当に予想がむずかしい。
わずかな予兆から、なにを推測し、どう対処するか。なかなか思い通りにはいかず、自分の未熟さを反省する日々である。
最近のお気に入りのスタイル。ミュージシャンかと思ったら、お医者さんのつもりだったよう。3歳児の思考回路が謎すぎる。
先日も予測を誤って道に迷いそうになったことがあった。
「ひとりでできない。お母さんがやって」
いつもはお風呂上がりにひとりでパジャマを着ている3歳の娘がグズグズして、いつまでも着替えない日があった。
1歳の息子の着替えで手一杯な私は、「なんで自分でやらないの! お母さん、できるの知ってるよ!!」と励ますが、娘は裸でゴロゴロしながら、できないを連発し、最終的には大粒の涙を流しながら癇癪をおこす始末。私もイライラしてきて「なんで自分でやらないの!」と声を荒げてしまい、母娘の間に険悪な空気が流れてしまった。
その翌日、朝5時ごろに娘がそっとベッドを抜け出した。リビングでごそごそなにかしていたが、しばらくしてまたベットに戻ってくると、こんどはシクシクと泣き出す。どうしたのか聞いてみるとこう言った。
「お母さんにヨシヨシして欲しくて、自分でパジャマ着替えようと思ったんだけど、上手にできなかったの」
私はハッとした。娘は自分でやるのがめんどうで「できない」とだだをこねていたわけではなく、ただかまって欲しいだけだったのだ。それなのに、いつもできていることを「できない」と言われると、ついわがままを許してはクセになる、自分でやらせねばならぬ、とかたくなに拒否してしまう。言葉を文字通り受けとるのではなく、「できない」と言いたくなってしまう理由をまずは受け止めるべきだったのだろう。
山でも同じようなことがよくある。「もう疲れた」「もう歩けない」と娘が言いはじめたとき、ここで歩くのをやめてはすぐ諦める子になってしまうのでは、という懸念から、「がんばろう!」と叱咤激励してしまう。けれど、本当に疲れたのか、「疲れた」と言ってみたいだけなのか、それともなにかほかのことを伝えたいのか、その気持ちを受け止めていない「がんばれ」は、娘にとってただ冷たいだけの、拒絶の言葉に感じているのかもしれない。
言葉の意味を予測し、原因を取り除く
最近の山行で娘を観察していると、娘が「疲れた」と言い出すときは、いわゆる身体的な疲れではないことが多いことがわかってきた。「疲れた」と弱音を吐かれると、「もう少しがんばろう、あと少しだよ。最後まで歩いたほうがご飯もおいしいよ」と、真っ向から正論で向き合ってきたが、この言い方はまったく効果がなかった。まずは「疲れた」の意味することを予想し、原因を取り除くことが肝心だ。
娘の「疲れた」は、「飽きた」を意味することが多い。そのときは、前回の記事で紹介したトランシーバーを使ったり、「いっしょに○○を探そう」とミッションを与えて気分転換させてみる。「歩く」ということから、「遊ぶ」ことに焦点が変わると、途端にキビキビと動き出したりする。
「だれがいちばんにあそこまで行けるかな?」と、近い場所を目標に設定して競争心に火を付けると、急に「負けないぞ!」と元気を取り戻したりする。
つぎに考えられる可能性が、本人は意識していないがお腹が空いている、という場合だ。いわゆるシャリバテというやつである。大人にとっては短い行程なので、ついエネルギー補充を忘れてしまうのだが、子どもにとっては相当な運動量である。こういうときは「わかった、とりあえずなにか食べよう」と、お菓子ではなく、パンなどエネルギーになる物を補給してみる。
「サルノコシカケ」に座って放心状態。こうなると、もうなにを言っても気持ちが前向きにならない。「がんばろう!」は逆効果だ。
「まだ歩けるけれど、ちょっと疲れた、眠い」という場合もある。こういう場合には、もう仕方ないので、本当にここで歩くのをやめるかどうかを、怒ったり交換条件を出したりするのではなく、聞いてみる。怒ったり、交換条件を出したりすると、「山に行くとつらい思いをするうえに、怒られる」と思ってしまう。冷静に尋ねてみて、それでも本人がもう歩かないと言ったら、そこは本人を信じて「がんばったね」と気持ちを受け止めることにしている。
富士山が目の前に! 絶景の竜ヶ岳
今回は、山を見ては「あれが富士山?」と尋ねるようになった娘に、大迫力の富士山を見せたいという思いから選んだ、竜ヶ岳。
静岡県と山梨県にまたがる1,485mの山梨百名山だ。登山道と山頂からは、目の前に雄大な富士山をのぞむことができる。
本栖湖キャンプ場を抜けた先にある登山口の入り口は、アルパカの人形が目印だ。序盤は整備された階段を登っていく。急ではあるが子どもでも歩きやすい九十九折りを30〜40分ほど歩くと、木々が開け富士山や本栖湖を眼前に見ることができ、一気にテンションが上がっていく。
「よーし、がんばるぞ!」とやる気満々の娘。
やがて道は笹藪に。景色も楽しめ、道も変化に富んでいるので娘の調子も絶好調。休み休みお菓子を食べながら、登山開始から2時間かかって、見晴らしが最高な休憩場まで自分の足で歩ききった。
休憩所には東屋もあり、眼前の富士山に見惚れて、つい長居をしてしまう。すっかりここがゴールだと思っていた娘のエネルギーがプッツリ切れてしまった。
さらに頂上へ向かうと樹林帯が終わり、笹藪のなかの急登がはじまる。直射日光がガンガン照りつけるなか、もうすっかりがんばり尽くした娘を抱えて、汗だくで夫が登っていく。頂上まで約1時間の歩荷訓練だ。
山頂は笹を刈られてつくられた広場になっており、雄大な富士山だけではなく、360度の眺望を楽しむことができる、お昼休憩には絶好のスポットだ。しかし、この日は晴天だったにも関わらず、山頂は風が強く、急にヒョウまで降ってきた。
富士山はすっかり雲のなかに隠れてしまった。風で汗が急激に冷えてダウンを着ることに。娘ははじめてみるヒョウにさっきまでの疲れを忘れて、大はしゃぎ。まさに山の天気と子どもの気持ちは予測困難。
帰りはコースタイムの短い、湖畔コースで本栖湖へ下っていく。湖は見えるが、富士山は見えなくなるので、やや単調だ。急な下りに悪戦苦闘するうえに、笹の落ち葉に滑ってなんども転び、すっかり娘は不機嫌に。
最終的には所々、抱っこしてもらいながら、なんとか下山した。
今回はなにかの動物の骨を発見することができた。恐る恐る触ってみる娘。植物や動物、虫に骨。山には、山でしか出会えないものがたくさんある。
もう3歳、まだ3歳
「がんばれ」と、「がんばったね」の境界線をどこに引くか、大変微妙な問題である。怒られた記憶やつらかった記憶が残り、山がきらいになっても困るので、あまり無理はさせたくない。かといって、疲れたところからのもう一歩の踏ん張りがないと、成長もない。進むか、止まるか。毎回判断に大変悩むのだ。
3歳になるとできることも増え、おしゃべりも達者になってくる。すると、親もつい「もう3歳だし、できるはず」という思い込みが生まれて、子どもが「できない」と言っても「がんばれ」と突き放してしまう。でも、まだ3歳だ。もうがんばらなくていいよと言うべき場面もあることを忘れてはならないと思う。
とはいえ、忙しい日常生活で、だだをこねる子どもに落ち着いて向き合って、その真意を推し量る、なんていう心の余裕が母親業3年目の私にあるはずもない。だからこそ、山でくらいは「疲れた」と言われたらイライラせず、その原因を解消したうえで「がんばれ」と励まし、もう本人が今日は十分やったと感じているなら「がんばったね」と認めることを大事にしたい。
ふだん余裕がなくてできない、子どもとの向き合い方をする場、それが、わが家の親子登山の意義なのかもしれない。
しなこさんの、パパママへのアドバイス
子どもは大人以上に汗をかいています。子どもが「着たくない」とめんどうがっても、長めの休憩をとる際には、ウィンドブレーカーなどをその都度、羽織らせて、体が冷えないようにしてあげましょう。