• 山と雪

日本の国立公園の未来を描く。ゴールドウインと環境省が、 国立公園の魅力を再発見するツアーを開催。

2022.01.15 Sat

麻生弘毅 ライター

「箱根八里は馬でも越すが……と『箱根馬子唄』で謳われる箱根八里とは、神奈川の小田原宿から静岡の三島宿までの32km、今みなさんが歩いているこの古道のことなんです」

 苔むす石畳の道をたどりながら、緑の息吹を味わうようゆっくり話してくれるのは、箱根町出身の登山ガイドであり、地元の魅力を伝える「EXPLORE HAKONE」を主宰する金子森さん。そんな箱根の山道を人々が行き交うようになったのは、鎌倉時代からだという。当時、道がつけられていたのは、麓の湯本から湯坂山、浅間山、鷹巣山を経て芦之湯へといたる、現在は「湯坂路」と呼ばれる人気のハイキングコースである尾根道だ。

「それが須雲川に沿った渓沿いの道に変更され、こちらに関所をつくったのは、往来の行き来を管理しやすくするため。いわば江戸を守るためだったそうです」

 雨や雪でぬかるむ渓の道は、その都度、周囲に生えるハコネダケを刈り、敷き詰めていた。より強い石畳の道がつくられたのは、おそらく1680年のことだとか。

 そうして整備されていった東海道の全長は495.5km。通常、15日をかけて旅したこの道を、もっとも速い飛脚は何日で走ったと思いますか? 森さんの話に引きこまれた一同は、首をひねる。いくらなんでも、4~5日はかかるよね……。

「リレー形式ですが、最速便は2日で東海道を駆け抜けたそうです」

 梢を通して晩秋の柔らかい光が降り注ぐ森の小径で、驚嘆のため息をついた。
1680年につくられたといわれる石畳みの古道。苔むした美しい径が、湯本から芦ノ湖までの間に、断続的に現れる 左)往事の畑宿の町並み。右)東海道495.5kmを、最速で2日で駆け抜けたという飛脚の、サラブレットのような下半身!

 富士箱根伊豆国立公園は、1936年(昭和11年)、十和田国立公園や大山国立公園と同時に、富士箱根伊豆国立公園として誕生した。その後、1955年(昭和30年)には伊豆半島部を取りこんで現在の名前に改称、1964年(昭和39年)には国定公園であった伊豆諸島が国立公園となって編入し、現在の形となった。

 富士箱根伊豆国立公園を利用する人の数は年間1億1250万人(2010年)、箱根地域には2004万人(同年)が訪れるという。これはグランドキャニオン国立公園の450万人を上回る、世界一の訪問者数であるという。

 こうした状況のなかで、ザ・ノース・フェイスなどのアウトドアブランドを扱うゴールドウインは、2020年10月、環境省と「国立公園オフィシャルパートナーシッププログラム」に基づき、「国立公園オフィシャルパートナーシップ」を結んだ。これは、環境省と民間企業・団体が協力し、日本が世界に誇る国立公園の魅力を国内、国外に向けて発信し、利用者の拡大を図ることで、自然環境保全の理解を深めるとともに、地域の活性化をうながすものだ。

「国立公園というと美しい自然だけにフォーカスしがちですが、魅力はそこだけにとどまらない。自然を支える環境や文化、歴史について学べる場をつくりたいと考えて企画したのが、今回の提携であり、ツアーなんです」

 そう話すのは、ゴールドウイン ザ・ノース・フェイス事業部の本武史さん。

「環境省と手を組んだのは、日本の国立公園を変えていきたいから。日本の国立公園の問題って、利用者自身が国立公園にいるということをほとんど意識していないことだと思うんです。ザ・ノース・フェイスというブランドが国立公園をきちんと表現することで、登山やアウトドアを愛するみなさんに、国立公園をもっと認識してほしいと考えているんです」

 続いてゴールドウインが国立公園に取り組む経緯について、経営企画本部の藤村充宏さんはこう話す。

「元々、本国のザ・ノース・フェイスがアメリカの国立公園に対してさまざまな活動をしており、現社長の渡辺貴生にそうした構想は以前からありました。それを支えていたのが、2013年に亡くなった加藤則芳さんの思想なのです」

 加藤則芳さんは、アメリカのバックパッキング文化、そして国立公園を知悉した作家。『ジョン・ミューア・トレイルを行く』(平凡社)など、多数の著作があり、アメリカのロングトレイル文化や国立公園のあり方を、日本に紹介した第一人者としても知られている。

「加藤さんと渡辺はさまざまなトレイルを共に旅しており、その会話などから国立公園への取り組みの種を育てていったのだと思います。日本の国立公園では利用者の境界に対する認識が曖昧。まずは自分が国立公園を歩いていることを意識してもらい、その背景にどんな魅力や取り組み、はたまた問題があるのかを伝えることで、国立公園に、ひいては環境への意識も変わってくるんじゃないか……その後押しをしたいと思っています」

 そんな言葉を聞きながら、わたしたちはこの日のゴールである芦ノ湖へとたどりついた。芦ノ湖の向こうにそびえるのは、雪をまとった富士山。絵に描いたような絶景が広がるけれど、この恩賜箱根公園を訪れる人は、他の観光スポットに比べて少ないという。

「ここは、ぼくのとっておきの風景のひとつです」

 ガイドの森さんは、そう言って笑った。
旧箱根離宮跡地に広がる県立恩賜箱根公園は、芦ノ湖と富士山を望む展望スポット

 翌日は、湖へと延びる尾根をたどり金時山へと向かった。芦ノ湖と、箱根の町をぐるりと囲む外輪山の稜線へ。見通しのよい稜線に立つと、箱根の町がカルデラのなかにあることが一望できた。
箱根の町をぐるりと囲む外輪山の稜線はエスケープルートの多い、安全で快適なトレッキングコースとなっている

「箱根を形づくるカルデラは、ひとつの大きな火山が爆発してできたと思われていましたが、今は複数の爆発によってできたものだということが分かっています」

 森さんはていねいに説明を加えてゆく。

 目の前の黙々と煙を上げる大涌谷は約3000年前、箱根の最高峰である神山(1438m)の爆発の名残だとか。そのときの爆発により、早川はせき止められて芦ノ湖になり、いちばん最後、溶岩の熱が下がって塊となってから突き出たのが、神山の直下でにょきっと顔を出す冠ヶ岳(1409m)。そうした活火山を擁しながら、西の駿河湾と東の相模湾はすぐそこ――箱根がもつ地域の特殊性について、箱根ビジターセンターの上妻信夫さんはこう話してくれた。

「箱根はふたつの海を行き来する東西の風によって、雨が多いんです。どのくらい降るかというと、年間3500mmほど。雨の島として知られる屋久島が4000mmですから、その雨量の多さが分かると思います」

 お椀状のカルデラ地形がつねに湿気をたたえることで、多くの植物を育む土壌となる。箱根で見られる植物種は1600種ほど。「ハコネ」の名を冠する種が多くあるとともに、サンショウバラなど古い時代の植物がそのまま生きているという。それらの植生を支えるもうひとつの要因が、芦ノ湖という大きな水瓶の存在だという。

「水深が深く、伏流水も多いため、最低気温が-14度にもなるけれど、芦ノ湖は凍らず、水温は4度を保っている。つまり、芦ノ湖の周辺はそれほど冷えこまず、夏もそれほど暑くならないんです」

 そんな特殊な環境から、暖かい気候を好むカシノキと、寒冷な高地を好むブナの木が隣り合って生えている場所がある。

「そういう樹木相を見ていると、夏は涼しく冬は暖かいことがよく分かる。箱根は植物や動物にとって、じつのところ、わたしたち人間にとっても住みやすい場所なんです」

 それまで登山者の姿を見かけなかったが、乙女峠を過ぎるとその姿がにわかに増える。にぎわう金時山(1212m)の山頂で、心地よい風に吹かれた。
金時山の頂上に到着。心地よい風に吹かれながら、眼下に広がるカルデラ地形と水平線を眺める
箱根の自然、土地の成り立ちをわかりやすく解説してくれる「箱根ビジターセンター」。右が上妻信夫さん
3日目の午前中は、マウンテンバイクに乗って芦ノ湖を周遊

 山登りを続けていると欲張りになるのだろうか、「山を登るという身体的な喜び」だけでは満たされなくなるようなところがある。その足りないピースがなんであるかを、森さんや上妻さんの言葉が明らかにしてくれた。わたしたちは、自覚的に意識している以上に、山登りを通して自然を知りたいと願っているのだろう。もっといえば、自然に秘められた物語に惹かれて、よいこらしょと山に登っているのかもしれない。往来の歴史と文化、そして火山が織りなす地形と自然の特殊性をもつ富士箱根伊豆国立公園は、そんな登山の奥深い喜びを知る、格好の舞台だろう。

 フランスでの暮らしを経験するなど、海外の山々にも精通している森さんが言う。

「アメリカの国立公園もすばらしいですが、戻ってくるたびにほっとするんです。それはきっと、箱根の歴史や文化が醸し出すなにかが漂っているから。そんな地域が大切にしてきたものとお客さんを、この土地の自然を活かしたアウトドアアクティビティを通してつなぎたい。ガイドのいちばんの役割は、そこだと思っています」
箱根の地が積み重ねてきた歴史、文化を紐解く、ガイドの金子森さん(左)。初日に訪れた、江戸初期創業の「甘酒茶屋」にて

 最終日は、江戸時代以前のメインルートであった湯坂路を歩き、麓の湯本へと下っていった。気持ちのよい草原のような浅間山を通って、なだらかな優しい道を下ってゆく。生前の加藤さんと親交の深く、数々の旅を共にした藤村さんが、しみじみと思い出話をしてくれた。

「自然を守ろうという気持ちは、自然を楽しむことで育まれてゆく。だからこそ環境を、国立公園の自然をみんなが享受できるようにしていきたい。そのためにも、自然を愛するわたしたちが環境省の応援団になる必要がある……加藤さんはいつもそう言っていました。」

 その言葉にうなずきながら、本さんが続ける。

「国と協力関係を築くことで、長期的に見て、アウトドアの価値や需要を高めていきたい。一企業が国と手を結び地域を盛りあげる。そのひとつの事例になることで、日本の国立公園全体の流れを少しずつ変えられると思っています」
浅間山から湯本へと続く、江戸時代以前に使われた古道。今は「湯坂路」と呼ばれる人気のトレッキングコース



*ゴールドウインによる「富士箱根伊豆国立公園ツアー」は来春にも開催される予定だ。詳細は、3月にオープンするザ・ノース・フェイスの特設サイトにて。

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