- 山と雪
【山ヤの子育て】親子登山14座目・広がれ、母の守備範囲
2022.03.09 Wed
まつだ しなこ 子連れハイカー
「ない」状況が、ないように
わが家の娘は「いつもあるものが、ない」という状況にとくに弱い。一瞬でデビルモードになる。
毎日の朝ごはんで食べているバナナ、ピンクのズボン、ぶどう味の歯磨き粉……。
うっかり買うのを忘れてしまうと「買ってきて!」「今すぐ洗って!!」とパニック状態。殴る蹴る、投げると全身全霊で不満をぶつけてくるので、受け止める側は気力がもたない。
カンシャクをおこされるのがイヤなので、先手先手をうって、バナナは大量に常備、お気に入りの服は毎日のように洗濯し、朝はジャムをずらっと並べて、どれがお気に召すかを尋ねる。
「石になります!」と宣言し、テコでも動かなくなる。こうなると「見ないで」「話しかけないで」「無視しないで」と、要求がめちゃくちゃである。
当然、親子登山やキャンプに出かけるときも、あらゆる状況を想定して準備していく。低山の日帰り登山なのにベビーキャリアの26ℓの荷物入れには収まらず、サブでもっていく30ℓのバックパックがパンパンになるほどだ。
あるとき、持ち物メモを片手にせっせと荷造りする私へ少し呆れたように「君は、対応力が足りないよ。もっと想定外にも強くならなくちゃ」と夫が言い放った。
そうは簡単にいうけれど、お漏らしの対応をしたり、所構わず爆発するカンシャクに対処するのは私なんですけど、とその瞬間はムッとしたが、少し冷静になってみると、たしかに夫のいうことも一理ある。大自然のなかでおきる想定外の事態に直面しても、「草でも、泥でも、掴めるものはなんでも掴んで這い上がる」という精神で乗り切ってきた夫からすると、知恵ではなく、大量の物をそろえることで守備範囲を広げようとする私の姿は、山ヤ魂を失っているように見えたのかもしれない。
事件は突然やってくる
ある物でなんとかする。なんとかできる。山で見せる母の姿はそうでありたい。
そう思えたのは、親子登山でいくつかの想定外の事件を乗り越えたあとだった。
ひとつ目は、一度も車酔いしたことがない娘が、登山口に向かうヘアピンカーブが続く道で盛大に吐いたときだ。それはもう、盛大に吐いた。しかも車を止めたあと、私はウェットティッシュを丸ごと忘れてきていることに気がついたのだ。慌てる私を救ってくれたのが、バックパックに常備してるトイレットペーパーと手拭いである。トイレットペーパーで汚れを拭き取り、濡らした手拭いで娘の全身をふく。「お尻を拭く紙でお顔を拭かないで」と不満げな娘に「これしかないんだから」と言い切ると、さすがに娘も状況を理解したのか、いつものようなカンシャクはおこさなかった。
親子登山をはじめたばかりのころ、動かない娘の冷えが想像以上で、もってきた子ども用の防寒着だけでは足りず、親のダウンでグルグル巻きにしたこともあった。
ふたつ目は、山頂の物陰で、大をしてしまった息子のオムツを変えようとしたときだ。なんと、いつも持ち歩いているオムツセットの中のお尻ふきが残り2、3枚というピンチに陥った。ここでもトイレットペーパーが活躍する。ペットボトルの水でトイレットペーパーを湿らせお尻をふく。息子はガサガサの紙に不満そうだったが、十分に事足りた。
夫いわく、イレギュラーなことを一度体験すると、それはもうイレギュラーじゃなくなる。そうやって対応できる範囲を広げていくのだそうだ。たしかに、意図せぬ準備不足が引きおこした事件によって、私の守備範囲は格段にレベルアップしたように思う。
北横岳、核心は帰り道にあった
子どもを連れて山に行くときは “こうでなくてはならない” という想定の範囲をこえたことで自分の気が楽になったのは、三連休の最終日に向かった標高2,480mの北横岳。
山麓駅(標高1,771m)から山頂駅(標高2,237m)まで伸びているロープウェイを使えば、1時間ほどのコースタイムで登頂できる、八ヶ岳の入門的な山だ。
道は石がゴロゴロしている箇所もあるけれど、基本的にはよく整備されており、危険箇所もなく初心者でも歩きやすい。天気もよく、さくっと登頂できる登山になるはずだった。
駅のトイレにはオムツ交換台や授乳室もある。山頂駅から30分で周遊できる「坪庭」を楽しむ人もロープウェイを利用するので、乗車時間前に余裕を持って改札に並んでおきたい。
ロープウェイの乗車まで想像以上に時間がかかってしまい、坪庭に到着した時点で10時半という少し遅めのスタート。
展望台で最後の身支度を済ませたあと、坪庭を通り、登山口に向かう。坪庭はスニーカーでも歩ける石畳の道なので、調子が出てきた娘はグングン進む。
道が整備されているため「なんだかお山じゃないみたいだね」なんて、一人前のセリフを言うようになった。
道の両枠にブルーベリーの仲間のクロマメノキが生えていたため、気になって仕方がない様子で、10分のコースタイムを30分かけて登山口に到着。ここからは道に土が混じる登山道だ。
しばらくは娘の背丈ほどある低木の間を通っていくが、程なく森の中に入る。
だんだんと斜度が急になってきて、大きな石も増えてくる。お菓子を食べたり、ときどきお父さんに引っ張り上げられたりしながら、へこたれずに進んでいく。
山頂まで基本的にはずっと登りが続く。森林の中を進んでいくので、時折、飽きてしまうのか、座り込みそうになってしまう。
途中に、大きなブランコがある北横岳ヒュッテがあるので、「お山のなかにブランコがあるんだよ。そこで、みんなでおやつを食べようね」と声をかける。すると、ちいさな目標がモチベーションになったのか、またグングン歩き出す。
登山開始から2時間30分で山頂に到着。
すっかりガスがかかって、当初の目的であった北アルプスを眺めることはできなかったけれど、今回も自力で登頂した娘は大満足。
行きも帰りも「お父さん、手を繋ごう」と手を差し伸べる。何歳までお父さんと手を繋いで歩いてくれるかな。
娘は帰りも自力で山頂駅まで歩き切った。下山したのが15時半なので、5時間かかっての登山である。
想定外だったのは帰宅時の大渋滞。いつもは20時までには帰宅し、お風呂に入って21時就寝のリズムを崩さないようにしていたが、とても間に合いそうにない。
以前ならこの想定外な事態にイライラしてしまっていた私だが、この際、割り切って「せっかくだから、夜中のドライブ体験をしてみよう」と思い直した。サービスエリアで遅めの夕食をとり、ふだんは厳禁にしている食後のお菓子も車内で解禁。「ダメなことって楽しいね」なんて言いながら、まるでパーティーのようにちょっと特別な時間を楽しむことにした。
遠方へ日帰り登山に出かけると、登山の前後にも想定外なことがおこる。そこも含めて、イレギュラーを楽しむくらいの気持ちだとお出かけが気楽になるかもしれない。
モノが多いからこそ、失うモノ
想定外がおきることは想定内、と割り切って、娘への対応が大雑把になってしばらくたったある朝、事件はおきた。
お気に入りのユニコーンのトレーナーの洗濯がどうしても間に合わず、また朝からカンシャクをおこされるにちがいないと思って、ため息をついていたら娘がこう言ったのである。
「ま、いっか」
この言葉に私はおどろきのあまり腰を抜かすところだった。いつもなら30分以上はカンシャクをおこされるところなのに、そんな娘の口から「ま、いっか」という言葉が出るとは!
時間とともに成長しているというのもあるだろうが、彼女のなかで「あるもので、なんとかしよう」という状況を何度も経験することで、夫のいうところの対応力が育ってきたのかもしれないとも思う。
ふと、わが子を取り巻く環境を見渡してみると、なんとモノにあふれていることか。
TVをつければ、いつでも大量の番組から、そのときに見たいものを選ぶことができる。家の中には子どもの空腹に対応できるよう、食べ物のストックがたくさんある。子どもにとって親が「ない」というときは、「あるのに、もらえない」と思う状況ばかり。私の子育てに足りなかったのは、「本当にないから、あるものでなんとかしなきゃ」という体験かもしれない。
それにしても、一度、殻が破れると、そこからの成長は目覚ましい。
私が体調を崩して寝込んだときに、「お母さん、もうダメかも」なんて気弱なことを言うと、「じゃあ、お父さんと暮らすしかないか」という気持ちの切り替えぶりだ。頼もしいやら、さみしいやらである。
しなこさんの、パパママへのアドバイス
悪い想定外が突然のケガや体調不良です。遠出した先でも病院に行けるよう、子どもの保険証や医療証のコピーを持ち歩くようにしましょう。