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マカルー8,463m、“生きる”を噛み締めた岩田京子の6座目──その2

2024.08.14 Wed

岩田京子 登山ガイド

2024年 マカルーに向かう(承前)

 アイランドピーク登頂後、ベースキャンプからチュクンへと降りていく道中、いつもよりも強い疲労感を感じていた。平坦な道にも関わらずなかなか進まない足取り。標高が下がってきているにも関わらず呼吸も苦しい。しかし、「単なる疲れだろう、食べて眠ったらきっと元気になる」と身体の変調に目を背けた。だが身体に変化はなく、翌日ディンボチェへと向かう際にもペースが上がらず、呼吸も苦しい。身体の違和感を感じてはいるものの「まだ大丈夫」とそのままにしていた。

 そして翌日、ロブチェに向かう際、ついに熱が出始めた。長時間歩くことができず、頻繁に休憩をするようになり、食欲も少なくなってきている。「まずいな、なんとか戻さないと……」と思ってはいるものの「標高が高い場所では体調が悪くなるのは当たり前!」と気にしないようにしていた。

 ロブチェからゴラクシェップ、エベレストベースキャンプと1日で移動したのだが、このあたりあまり覚えていないくらい、頭がボ〜っとしていた。ロブチェの出発時とゴラクシェップでランチをしたのはなんとなく記憶にあるのだが、それ以外は記憶が飛んでいる。エベレストのベースキャンプでジュースを飲んだところで記憶が少し戻って来た。
EBCの展望地でも有名なカラパタール(丘)があるゴラクシェップという場所。

 エベレストのベースキャンプで、少し食欲は戻ったが熱は下がらず39℃をキープしたまま寒気を感じるようになっていた。この頃から身体の変調に目を背けることもできなくなってきていた。ベースキャンプからロブチェに降りていく際には、意識も朦朧としてきてフラフラと足取りもコントロールできない状態になっていた。喉の痛みもあり、いよいよ悪化の一途を辿る。これは「本格的にまずいことになってきた」と感じ始め、水分を多めに摂取したり、薬を飲んだり、いろいろと対策はしてみるものの改善は見込めなかった。
EBC出発時すでに顔はむくみ始めていた。

 ペリチェに到着したその日の夜、一晩中、呼吸困難が続き、横になることもできず壁に寄りかかったり、座ったままうとうとしたり、いろいろなことが脳裏をよぎる。今年は登れないのかなぁ。山に嫌われてしまったかなぁ。まだ私には技術的に早すぎるのかなぁ。などとよくないことばかりが浮かんでくる。そんなこんなで苦しみ抜き、なんとか朝を迎えることができた。しかしながら立ち上がることもできない状態だったので、朝食を食べにダイニングにもいくこともできず、結局、ガイドさんに体調不良であることが見つかってしまった。

 元気ならば1日休養した後、翌日、ペリチェからマカルーのベースキャンプにヘリコプターで向かう予定だったのだがこんな状態では当然、行くことはできない。高所では一旦体調が悪化すると症状が改善されることはほぼないということはわかっていた。ガイドさんとの話合いの結果、カトマンズに下山して体調を回復させてからもう一度考えよう。ということになった。すぐにヘリコプターが手配され、ペリチェからカトマンズに下山。ずっと気を張っていたため、ここまで酷くなっているとは思っておらずヘリポートまで歩くのもやっとなくらいの体調だったことに今更ながら驚いていた。

 思うように動いてくれない身体でヘリコプターの到着を待っている間、やっと自分の現状と向き合うことができた。「何やってるんだ、私……」自分の情けなさに腹がたち、へリコプターの中ではひと言も言葉を発することはなかった。分厚いダウンを着たまま降り立ったカトマンズ、街の人たちは皆半袖を着用していた。標高約4,200mのペリチェとは気温が違いすぎるのだが、高熱を伴う私はこの気温差を感じることができないほどになっていた。カトマンズの空港に到着すると救急車と看護師さんが待機していてゲートを通過する前に声をかけられ連行される。なんと緊急入院となってしまった。初めての救急車がカトマンズだなんて……不覚。ホテルで休養するだけだと自分は思い込んでいたので、救急車の車内では「もう終わりなのか……?」「こんなことで諦めたくない!」などという気持ちがざわついていた。思ってもみなかった急な展開に思考回路がついていかない。自分の体調の心配よりも、これから何が行われて、どんな判断が下されるのか不安な気持ちになっていく。

しかしそんな気持ちとは裏腹に、標高が下がって呼吸が楽にできるようになったためか、闇に吸い込まれるように意識が遠のいていく。空港から病院までのほんの数分という短い時間だったが久しぶりに安眠できた。サイレンが止み、目が覚める。病院に到着したのだ。救急車から病院内にある診察用ベッドへ通され、言われるままに血液検査、点滴、胸部X線など、検査や処置を受ける。問診を受けるもはっきりとした内容がわからず、戸惑っていると携帯の翻訳機能で質問してくれ、うやむやにせずきちんと説明をしてくれた。高熱が続き体力が弱ってはいるが、異常はみられないから大丈夫とのこと。恐らく高山病から来るものだろうという診断。結局、2日間の入院。点滴を受け続け、薬を飲んだ時には熱は下がるが、切れた瞬間からまた上がるという繰り返し。2日間寝たままで、トイレ以外起き上がれずの状態。歩き回れるような力は戻らなかった。
病院のベッドにて点滴を受ける。

 同院に入院している知り合いや現地スタッフがバナナやザクロジュースを差し入れしてくれるのだが、見舞いに来てくれるみんな同じものを持ってくるので、なんともすごい量になっていた。看護師さんには「Too much BANANA!」と笑われる始末。食べて体力を戻すために3食バナナを食べていた。

 3日目の朝、なんとか病院のテラスまで歩けるようになり退院。退院後、カトマンズのいつもお世話になっているホテルに移動。そこで山に向かうための身体の最終準備をする。寝たきりだった数日間に落ちてしまった筋力や体力を少しでも回復させるため、周辺を散歩したり、リハビリのような時間を過ごした。しかしいつまでものんびりしていられない。本来の目的は、マカルー登山。天候や順応のやり直しなどを考えると、早めにベースキャンプへと向かいたいと気持ちは焦るが、この体調で耐え切れるのかと不安もよぎる。残された時間はあまりないことはわかっていた。

 山中にいた間に街中の季節は進み、ジャカランタの紫色の花がきれいに色づく季節へと変わっていた。その時間の経過に癒されると同時に気持ちにも焦りが出始めていた。
カトマンズに咲き始めた紫色のジャカランタ。

 マカルーのベースキャンプは山奥にあるため電波状況が悪く、携帯の電波は届かず衛星携帯の電波もほとんど届かない。情報が得られないためできることならば早めにベースキャンプへ向かい、現地で情報を集めたり、状況を見ておきたいとガイドさんは言う。私も同じ意見だった。

「よし今すぐ行こう!」と言いたいところだが、今の私はザックを背負うこともできないほどの体力となっていて、ホテルの周辺を1時間ほど散歩するのがやっとという現状。とてもじゃないけどベースキャンプへ向かうことなんてできない。しかしこの状況をガイドさんに気づかれてしまうと、恐らく山には登らせてもらえず今回の遠征は終了。となることが目に見えていた。今後のスケジュール案を聞きながらも元気なふりをして、山に向かうためのミーティングをホテルでしていた。

 体力を回復するにはかなりの時間がかかるので、万全の体調をつくり出すのは、時間的にも無理だとわかっている。これからマカルーへ向かうためには多少の無理も必要だと腹をくくる。どこまでなら耐えられるのか自分との戦いになるだろう。現地スタッフには「2度目はないよ」と念を押されたが、自分の身体と対話をしながら、山に受け入れてもらえるように整えていくことを決め、体調の回復を待たずにマカルーのベースキャンプへ向かうことにした。カトマンズよりヘリコプターでルクラへと向かう。

 マカルーのベースキャンプは標高約5,700mと高いため、一度、ルクラに降り立ち高度に身体を慣らすため1日滞在することになった。

 体調の悪いまま1,350mのカトマンズのからヘリコプターで標高2,840mのルクラまで急に上がってきたので、順応が追いつかずダイニングの椅子から1歩も動けない。今まで何度となくこの場所にきているのだが、こんなに順応ができないのは初めての経験だった。何とか体調を戻せるようにダイニングでひとり、ひたすらジンジャーティを飲んでいた。こんな状態で「山に向かうことができるのだろうか?」と不安が拭えない状況。カトマンズを出発するときに、気持ちにケリをつけて上がって来たはずなのに「無理なのか?」といまだに弱音が出てくる。

 そんなとき、嬉しいニュースがあった。ペリチェで別れた仲間が今日ここに戻ってくるとのこと。なんと5日ぶりくらいにで合流できた。たった5日ではあったが、いろいろなことがありすぎて何ヶ月もあっていないように感じていた。久しぶりにあう仲間の顔を見て、お互いに経験してきた思い出話をしているうちに元気が蘇って来ていた。少し前まであんなにマイナスな気持ちになっていたのに、少し笑えるようになっていた自分に驚いていた。そして「弱音を吐いている場合ではない」と思えるほどに気持ちに大きな作用が働いていた。人が存在するというパワーは本当にすごい!


いよいよ、本番のマカルーへ 

 今までの5座では「よし頑張れる!」という気持ちをもったまま山に向かうことができていたのだが、今回は少し弱気。そんな間にも、ガイドさんはルクラ滞在中に情報を集めて来てくれダイニングに戻ってきた。「これから天気が悪くなっていくみたいだから、悪くなる前にベースキャンプに入らないとヘリコプターも飛ばなくなってしまうかも。早めにベースキャンプに行って準備を整えた方がいい」とのこと。私もその意見には賛成だった。ヘリコプターの予約が取れ次第出発しようと、ふたりの意見は一致。「しっかりしなきゃ!」と自分の気持ちを切り変える。

 そして意志が固まると、そのときは突然やってくるものだ。ルクラに到着した翌朝7時頃、ガイドさんが私の部屋のドアをノックしてきた。ドアを開けて「おはよう」と挨拶をすると間髪入れずに会話が始まる。

「天気のいいタイミングでベースキャンプに入らないと、ヘリコプターが飛んでくれなくなってしまうから、今から出発したい。朝一のヘリコプターに乗れるけどどうかな?」

 どうもこうも、「行けるチャンスがあるならば行きたい!」と私。本気で山と向き合う覚悟を決め、急いで荷造りを始めていると、やっと山に迎え入れてもらえた気がして、嬉しさが込み上げていた。朝食も食べずにパッキングをして飛行場へ向かう。手続きを済ませて8時頃フライトでマカルーのベースキャンプへと向かう。フライト中の上空から、数日前に順応で登ったアイランドピークを眼下に見ることができた。
上空より見えたアイランドピーク。

 そんな景色を見て想い出にふけっていると、あっという間にベースキャンプに到着。なんと所要時間約15分! 降り立ったベースキャンプは標高5,700mほどの場所にある。ルクラとの標高差が約3,000m。ヘリコプター移動で短時間に標高を上げ過ぎたので、ヘリから降りてしばらくして高度障害が出てくる。

 身体が高度に追いつかずフラフラしていた。当然呼吸も荒くなっており、身体が驚いているのがわかる。ベースキャンプより一段高い場所にあるヘリポートから、マカルーのベースキャンプを眺めながら呼吸を整え自分を落ち着かせる。マカルーBCの全景。

 ベースキャンプにはいくつかの会社が入っており、それぞれにダイニングテント、トイレテント、シャワーテント、個人テントなどがありグループごとにまとまっている。それらのテントが点々としている風景は、どの8,000mでも同じ感じだ。

 エベレスト、チョオユー、マナスルなど人気の山は、登山者も多いため大きな村になっていることが多いのだが、今回私が降り立ったマカルーのベースキャンプは閑散とした雰囲気だった。2024年のマカルー登山のエントリー数は現地で聞いた感じだと40〜50人程度とのこと。すでに登頂して帰国している人もいるので、私が到着した5月7日では、その半分程度のクライマーがいるという感じだろう。

 そんな風景を数分眺めながら、マカルーの間近に来たことを肌で感じていた。

 呼吸も少し落ち着いてきた。大きな荷物はポーターさんに任せて、自分は身ひとつでヘリポートからゆっくり歩きダイニングに向かった。大きなロッジ型のキッチンテントに入ると、朝食をつくっている最中のスタッフが3人。「ナマステ」と挨拶をして、甘いミルクティーをいただく。お世話になったキッチンスタッフ3名。

 少しすると、クライマー達が朝食を食べるためにダイニングに集まってきた。いっしょに朝食を食べながら、ダイニングをシェアする人たちと初顔合わせをする。スイスから来たというガイドさんと2人のお客さんというグループ、無酸素で登頂をめざす男性1名。この4人が今回のシェアメイトのようだ。

 さらに話を聞いていると、彼らはすでにCamp3までの順応を終えているとのこと。その後の天候が悪く10日間ほどベースキャンプで待機しているようだ。好天の兆しが出たら、サミットプッシュに入るとのこと。スケジュール案を聞いてみると、やはり私たちの想定していた日程と同じだった。おそらくこの日程でベースキャンプに待機しているクライマーが同じようなスケジュールで山頂をめざすことになるだろう。できればそこでサミットしたい、と考えることはみな同じだった。ダイニングテントの内部の様子。

 朝食後、他のチームのテントを訪問したり、上部キャンプへ順応行程を行ったガイドたちの話を聞いてルートの状況を聞いたりと情報を集めた。それらを元に改めてスケジュールをどうするか話し合い、ガイドさんと2人で出した結論は「今から3日後にBCを出発!」だった。それ以降は天候が悪い状況になる可能性が高く、マカルーの上部エリアは天候変化により遭難の危険もあるため、みんなが動き出すタイミングがベストでは、という結論に至った。

 入院後の体力回復が思うようにいっておらず、順応行程(C2に宿泊してC3タッチしてBCに戻るという練習の行程)をする自信がなかった私は、順応行程をせずダイレクトに山頂に向かいたい。しかも、いちばんコンパクトな日程で。というリクエストにガイドさんは了承してくれた。C1、C4は最近使われていないようなので、C2とC3にのみ宿泊してサミット。その後、C3に宿泊してBCへ戻ってくるという、4日間の登頂計画となった。

 体調を整えるためのタイムリミットは3日間。この間に、山頂に向かうための気持ちと身体を整えなければならない。「大丈夫か……? 私」

 実はこの時点でも、ダイニングテントと自分のテントを往復するのがやっとだった。いつもならば、ベースキャンプの中をうろうろと散歩したり、キッチンでスタッフと一緒に団欒したりする余裕があるのだが、今回はあまりにも体調が悪かった。トイレも息切れが激しくなるので歩いて行けず“ピーボトル”(尿を溜めておくためのボトル)を使っていたほどに弱っていた。この状況をガイドさんに知られてしまうと「山には連れていけない」と言われるのは目に見えているので体調が戻っているかのように元気なふりをしていた。

 そんな私と3日間過ごしていた周りのクライマーは私を見て、あまり話もせず、動き回らないので「山の事のみを考えている静かな女性」と思っていたようだ。

 出発前日、まだ出発を迷っていた。退院してカトマンズを出るとき、ルクラからベースキャンプ入りするときそれぞれに気持ちを固めたつもりではいたのだが、まだ引っ掛かりがあった。

 このまま上をめざしてもいいのだろうか? ガイドさんに負担がかかるようなことだけはしたくない。山頂に立てるイメージは頭の中にはあったものの、いつものような込み上げる力は感じられずモヤモヤした状況だった。しかしながら、行かないという選択肢はなかった。体力は完全には戻っていなかったが、何とか少しずつ歩けるようにはなってきていたので、最終決定をして準備に取り掛かかる。

 この遠征は、誰に言われたわけでもなく「マカルーに登りたい!」と自分で決めたこと。弱気な気持ちを追い出し「もう迷わない」と気持ちを入れ替えた。

 まずは、気になっている事項をひとつずつ確認していく作業から始める。酸素が上部キャンプにちゃんと上がっているか? 何本使うことができるのか? 食べ物は何を持っていくか? 自分で荷上する荷物の最終確認……など、午前中に準備を終える。午後は、バッテリーの充電やリラックスタイムに充てた。いよいよ山へ上がるのか……と想像するだけで落ち着かない。

 翌日からはきちんとした食事ができないので、夕食には豪華なお肉を出してくれた。熱々プレートに乗ったステーキ。




「マカルー8,485m、“生きる”を噛み締めた岩田京子の6座目──その3」に つづく

岩田京子 登山ガイド

日本山岳ガイド協会認定登山ガイド。アウトドア業界でのイベントの企画運営の仕事の経験を生かし、現在はガイド業をするかたわら、海外添乗員も兼務。プライベートでは、ヒマラヤの山々にチャレンジしている(チョーオユー、マナスル登頂)。2019年5月、エベレストーローツェへの連続登頂に挑戦。見事、成功を収めている。2024年、マカルーへの登頂も果たし、8,000峰は6座目に。
WEBサイト:山plus

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