- 山と雪
マカルー8,463m、“生きる”を噛み締めた岩田京子の6座目──その3
2024.08.18 Sun
岩田京子 登山ガイド
いよいよ、本番のマカルーへ(承前)
出発の朝、いつもの通りにダイニングでお茶をのみ朝食をとる。荷物が思ったより多くなってしまい「C2まで体力持つかな」と不安な気持ちになっていたが、ポーターさんがクランポンポイントまでギア類を運んでくれると嬉しい申し出があったので遠慮なく依頼する事にした。元気いっぱいに笑顔を見せてくれるポーターさん。
食事を終え身支度をする。準備が完了したところでガイドさんとともに、キッチンスタッフに挨拶をして、プジャ台に手を合わせる。「行ってきます!」と山に向かって歩き始めた。クランポンポイントまでは氷河帯の脇のモレーンや岩場を上がっていく。久しぶりの運動に身体がびっくりしている。なかなかペースも上がらず、何度も立ち止まる。やっとの思いでクランポンポイントに到着。ここでトレッキングシューズから高所靴に履き替え、アイゼンを装着し、いよいよ雪上を登りはじめる。「弱音を吐かずに必ずBCに戻ってくる!」と目標に定めて一歩を踏み出した。調整をしながら歩けるくらいのゆるめな雪面を登っていく。
しばらく歩いて行ったその先に、立ち塞がる壁が見えてきた。「まさかこれを上がるわけではないよね」と周りを見渡してルートを探すも登れるような場所は見当たらず。おそらく回り込んで見えない場所に登りやすい場所があるのだろう。と思いながら進んでいくと、蟻のような黒い点々が先ほどの立ち塞がる壁で動いているのが見えた。「いやいやいや……、嘘でしょ……」とつい言葉が出ている自分がいた。フィックスロープに沿って氷の急斜面を上がっているクライマー。
上部の終了点が見えないくらいの大きな斜面。見ているだけでも呼吸が荒ぶる。登るという以外、ほかに方法はない。が逃げ出したくなるほどの斜度だった。壁の取り付きからフィックスロープ(安全を確保するための固定されたロープ)が始まっている。壁の途中で休憩するのは無理そうなので取り付く前に水分補給をして登り始めた。ロープにアッセンダーをセットし一歩踏み出し身体を上げていく。足をガニ股にしないと雪面に接地できないほどの斜度、5,000mを超える高所でこの作業はかなりきつい。一作業ごとに呼吸が激しくなり、その呼吸を都度整えていかないと進むことができない。気の遠くなる作業が始まった。古いロープや途切れたものなどもあり、引っ張ったり揺らしたりしてどこに繋がっているのか? これにどの程度頼っていいのか? などチェックしながら登っていく。とても面倒な作業だが、ひとつでもミスをすれば命を落としかねない場所なので手を抜く訳にはいかない。チェックをしても完全には信用できない。バックアップのためにそばにあるすべてのロープを持てるだけ束ねて持ち少しずつ身体を上げていく。「ロープよ、切れないでくれ!」という緊張感で息切れもさらに激しくなる。
緊張がMAXになってくると、軽くパニックになりそうになって後ろを上がってくるガイドさんに「どのロープを使ったらいいの!?」と声を荒げてしまう(ガイドさんは何も悪くないのにごめんなさい)。そんな緊張の時間が続くひとつ目の斜面を無事に乗り切った。この急斜面が終わり、C1が見えてきた。おそらく荷物置き場として使われているC1。
最近は使われないことが多くなったというこのキャンプ地には、テントが2つ張ってあった。それを脇目に見ながら斜面をトラバースして進んでいく。そして今度は岩稜帯と氷の急斜面が見えてきた。「はぁ〜」とため息。「まだあるのか」「行くしかないよなぁ〜」心の声が言葉となって漏れていた。一旦休憩をしてマイナスになった気持ちを切り替える。歩いているとどこまで頑張ればいいのかわからず絶望的な気持ちになることもある。しかしそんなことに一喜一憂しているとメンタル的にも気持ちがマイナスな方向に持っていかれるので、私は今見えている部分の一歩一歩に専念する事にしている。そうすると気がついたときには結構な距離を歩けているのだ。人間の力は本当にすごい。歩み続ければ必ず到達できる。そう信じて先を見過ぎずに目の前の壁に淡々と向き合う。そんなふうにして2つ目の斜面を登り切り、すこし歩くと黄色やオレンジ色のテントが見えてきた。真っ白な雪原に突然テント村が現れた。C2に到着だ!C2の様子。
到着したのは16時頃。ベースキャンプ出発が8時30分頃だったので、休憩などを含めて7.5時間の行動時間となる。体調が悪かったのと、荷物が重かったのが原因か、思ったよりも時間がかかってしまった。アイゼンやハーネスなどの装備を脱ぎテント内に入る。そして暗くなる前に就寝の準備をする。その間にガイドさんが準備をしてくれた甘い紅茶を立て続けに2杯飲んだ。行動中にはあまり飲めないので脱水状態の身体は水分を欲しているので、これでも足りず、この後もシェルパティ、トマトスープ、味噌汁と水分をのみ続けた。
呼吸をしすぎたせいか、首と背中、腰の筋肉が痛む。冷たく乾いた空気をひたすら過剰に吸い続け、喉から肺にかけての気管支が荒れて敏感になり、空咳が止まらない。私だけではないようでテントのあちこちから辛そうな咳をするのが聞こえてくる。この標高では誰もが辛い状況なのだと実感する。C2のテント内の様子。
翌日は早めの出発になるので、夕食としてインスタントラーメンを食べて寝袋に入る。この日、苦しさのあまり横になって眠ることもできなくなり、途中から酸素を吸わせてもらうことになった、おかげですこしはウトウトすることができた。
翌朝5時頃、起床。ガイドさんがつくってくれたミルクコーヒーを飲む。食欲はあまりなかったので食事はせずにクッキーを多めに食べて終り。身支度をして歩き始めた。
この日の行程はC2〜C3まで。ひたすら登りとなるハードな1日だ。10時間位の行動時間を想定し6:20には出発。日の出は5時過ぎ頃なのですでに明るく、気温も温かくなっていた。しばらくは雪原の登り。しかしその先には長い岩稜帯と氷のミックスのセクションが待ち構えているのが見える。最近、ヒマラヤは全体的に雪が少なくなってきているようで、今まで雪や氷に覆われていた場所も岩稜帯となり、落石も増えて難易度も高くなってきているとの話を多くの人から聞く。順応で行ってきたアイランドピークもそうだった。この日の岩稜帯もそうなのか? と不安を抱きながら近づいていく。岩稜帯はハードだった。近づいた取り付きでは見上げるほどの斜面。ある程度の覚悟はしていたがそれ以上に辛かった。アイゼンを履いている状態、そして高所というせいもあると思うが、一歩岩を越えるごとに呼吸が荒ぶる。登りながらは整えることができないので、一歩足をあげ休んで呼吸、そしてまた一歩足をあげ休んで呼吸と繰り返す。これがいつまで続くのだろうという疑問も出てくるが、それを考えてもキリがないので、淡々と今の一歩に集中する。「やめる訳にはいかない」と自身を鼓舞し続け、写真も撮る余裕がないほどに夢中で登っていた。長めなミックスの岩稜帯を2つ終え、すこし斜度の緩んだ斜面をいくとC3のテントが見えた。約9時間行動、15:15頃にC3に無事到着できた。岩稜帯に向かう斜面にて。
この日の行程は、ベースキャンプで聞いた誰もが辛い、長いと口にしていた。それを事前情報として聞いていた私は、呼吸を乱さないようにできるだけ「慌てずゆっくり」を心がけて登ってきた。もちろん呼吸を荒げないと登れない場所もあるのですべてではないが、周りに惑わされないようにかなり気を配って登った。そのせいか、C3のテントに到着した際、ほんの少しの余裕は残っていた。「よし、これならいける!」ベースキャンプにいたときの私より体調がよくなっている気がする。翌日のサミットに向けての意識が高まっていた。
C3までの荷揚げは大変なので、テントはダイニングで会った無酸素でチャレンジしている彼といっしょになった。しかし、この日、彼は途中から疲れ切ってしまったようで到着が私より2時間ほど遅かった。到着してからも、自分で靴を脱ぐこともできず、そのままテント内で横になり水分をすこし飲んだだけで、食事もできない状態だった。大丈夫なのか? と心配にはなるが、これ以上、私にできることはない。そんなことより、自分もしっかりしなきゃとシュラフに入り仮眠をとる。C3の風景。
C3〜summitへ
20時起床。少し食べものをお腹に入れ準備をして、22:10頃、C3を出発。ヘッドライトの灯りを頼りに長い長い暗闇のトラバースを歩く。徐々にトラバースルートは斜度が出てくる。ルートが蛇行していたり、ところどころ岩稜帯が出てきたりでルートを見失いそうになりながらも慎重に歩く。30分くらい歩いたところで、同じテントだった彼はサミットを断念して下山をすることになったようだ。体調も悪そうで足取りはフラフラしていたので、自身できちんと決断をしたとのこと。「またベースキャンプで会いましょう」と軽く声をかけただけで別れた。8,000mという場所は、おそらく人が居続けてはいけない場所。なので、いろいろな決断が必要になってくる。1秒ごとに物事は変化してくるので、常にさまざまなことに意識を持っていかれる。それらひとつひとつを“今の自分にとって”必要なのか、必要ではないのか、どうするべきなのか? と判断していく。その繰り返し。“いつもの感じ”は通用しない場所だ。
時間を経ていくうちに、だんだんと休憩や体調不良で立ち止まる人が多くなっていく。私はこの日かなり調子がよく、淡々としたペースを保つことができていた。立ち止まる人たちを横目に自分のペースで進んでいく。注意したほうがいい箇所や斜度が急に変わる箇所では、全員ペースが落ちたり、通過に時間がかかったりするので停滞する時間ができる。そんな時間に私は、ポケットに入れていたゼリー飲料を口にしていた。
クレバスが多くある広い雪原地帯に出た。エベレストやマナスルなどの人気の山に比べ、マカルーは登山者が少ないためかフィックスロープもすべてに張られているわけでもないのでルートを見失いやすい。そして何よりルートを間違えるとクレバスに落ちてしまう可能性もある。周囲を見渡しながら、歩ける場所を探しながらガイドさんと慎重に進む。C3を遅めに出たはずだが、かなりの人数を追い越してきたので前を歩くグループが1組のみとなってしまった。その1組も少し離れた場所にいる。こうなるとルートはもうわからない。雪面にあったトレースは風の影響でほとんどなくなっており不明瞭だ。前方を見上げて、行くべき方向を見定めたあと、その方向に向かって歩ける場所をひたすら歩いていくしかなかった。
なんとかクレバス地帯が終わり、岩稜帯に向かう前の傾斜のきつい雪面を上がっているあたりで空が白んできた。少し雪もチラついているものの、雪のおかげか今日はそこまで冷え込んでいない。などと変化を感じとりながら歩いていると、左の空が明るくなりオレンジ色に染まってきた。気温のせいかぼんやりとガスっていたので、なんとも幻想的な風景がそこに現れた。だんだんと明るさが増す空の経過をしばし見惚れていた。5:15頃、日の出に見惚れるガイドさん。
太陽のパワーはすごい。光をもらっただけでも少し疲れ気味だった気持ちが元気になっていた。気を取り直し、雪面を再び登り始める。登り詰めた場所からは、バリエーションルートのような岩稜帯が始まる。この標高でクライミングなのか……。と思うくらいの難易度。
両手両足をフル活用して登っていく。フィックスロープもあるのだが、古くなってちぎれそうなロープがたくさんまとまっているのでどれも信用ならない。できるだけロープに頼らないように登っていく。残置され、切れかけているフィックスロープ。
いくら登っても終わりが見えない岩稜帯に、緊張の糸がきれてくる。ロープのある場所と登りたいルートが違ったり、いい足場が見つからずによじ登るしか方法がなかったり、思考回路がだんだんと崩壊し始めてくる。身体をうまく使えない自分に苛立っていた。そんな状況になった頃、後ろから登ってくるガイドさんに「本当にここでルート合ってるの?!」と大声で叫ぶ自分がいた。叫ぶことで自分の不安を紛らわせていたのかもしれない。
ハッと我に返り、自分の言動が恥ずかしくなる。「ごめんなさい」と心の中で思いながら後ろを振り向くと、何を言われているのかわからない彼が“ぽか〜ん”としながらこちらを見ていた。訳のわからないことを叫んで困らせてしまう自分が情けない。
岩稜帯をやっと超えたと思っても、まだまだ危険箇所は続いていた。もう終わりかなと思い始めていた頃に出てきた、山頂手前のニセピーク。“フレンチクーロワール”を見た瞬間に私の気力は尽きてしまった。新しく降り積もったサラサラとした雪が足元にあり、踏み固めても固まらない。そっと体重を片足にのせ、重心を動かさないように後ろ足を引き抜き前に移動させる。少しでも重心が動いてしまうと足元の雪は崩れてしまいずり落ちる。
山頂に行くまでの数十m位はフィックスロープがあるものの、柔らかい雪の斜面をトラバースするため足場を安定させる事ができない。立ち止まることもできないほど不安定なので、当然すれ違いも難しい。つまり、山頂にクライマーがいる場合は手前の安定した場所で待つことになる。
山頂手前の待機場所。
そんな場所を無事に乗り切って辿り着いた山頂。長かった。本当に長かった。心が折れそうになり、もう辿り着けないかもと何度脳裏をよぎった事だろう。登頂できたという喜びよりも辿り着けたという安堵感のほうが大きかった。
8,463mの山頂は、人がひとり立つのがやっとで足元の雪は柔らかく、安心して立っていられる場所ではなかった。そのいちばん高い場所にタルチョがちょこんとあるシンプルな山頂。マスクとサングラスを外して登頂した証の写真を撮る。この一瞬だけは、張り詰めていた気持ちを緩め笑顔をつくることができた。
山頂での写真。
だか、登頂しても下山のことを考えると、まだまだ気持ちを楽にすることはできなかった。ベースキャンプに着くまでは危険な場所であることには変わりなく、むしろ下山のほうが遭難発生率も多いので緊張する。私の設定したゴール、ベースキャンプまでは張り詰めた気を許す訳には行かない。「無事にベースキャンプまで辿り着けますように……」とタルチョの前で手を合わせ山に歩かせてもらったお礼をして登ってきたトレースを引き返した。
下山をはじめようと山頂から降り始めた私たちを待つクライマーが先に見える。急いであげたい気持ちもあるが、この山いちばんと言ってもいいほどの危険箇所のため、人のことは考えずここは自分に集中する。不安定な柔らかい雪に足をそっと置き「重心をかけてもいいかな?」と一歩一歩足裏で雪の動く感覚、固まる感覚を確かめながら慎重に体重を乗せていく。一歩毎に息が上がる。早く通り過ぎたい気持ちを抑えながら丁寧に歩をすすめる。
これだけ慎重に進んでも何度か足をすくわれフィックスロープにお世話になった。両足ともにアイゼンの歯が効かず足元の感覚が一瞬でなくなった。「やばい!」と思った瞬間にスローモーションで身体が下方にずれていった。両手はフィックスロープを掴んではいたが私の重さを支えてくれるのか? ほかに何か止まる方法は……? と考えが頭を巡った。そんな最中、身体は無意識に顎を雪面に突き刺していた。頭と身体が別々に動いている不思議な感覚だった。
よく考えれば顎なんかで止まるはずないのに……。顔が埋まるくらいに雪面への摩擦に頼っていたが案の定止まらない。もうダメかと脳裏をよぎった瞬間、景色が止まった。これまた無意識にアイゼンの前爪をこれでもかと雪面へ引っかかけていたため、両手が伸び切ったギリギリのところで停止していた。ほんの1〜2mくらいの滑落だったのだが、ものすごく長く感じた恐怖体験。「助かった……」と安堵はしたものの、こんな場所に長居をしてはいけない。と滑り落ちた場所からもとの高さまで這い上がり、荒くなった呼吸のまま、足場を固めながら残りのトラバースを丁寧に進んだ。そんなこんなで無事にこの区間を乗り切り安定した場所で雪面にひざまずき、やっと呼吸を整えることができた。
「よかった、生きてる!」
気持ちをあらたに、その後も続く危険箇所を下る。まずはフレンチクーロワールという凹状のルート。登りではアドレナリンが出ていたのであまり気にはならなかったが、狭く傾斜もあり普通に両足で立っていられる場所はなかった。フィックスを頼りにしか登り降りできない場所のため、当然すれ違いはできない。都度、登り下りでお互いに譲り合いをしながら通過する。そんな場所を下り終え、比較的平らな場所で一旦休憩。水分補給をして自分を落ち着かせる。汗はかかないものの緊張と高所の影響のためか、口を半開きにしたまま歯を食いしばり、かなり荒い呼吸をしていたので、口内が乾き唾が飲み込み辛くなるほど喉がカラカラになっていた。
登りでは、肺がはち切れそうなほどの呼吸をしながら岩場を上がってきたが、下りでは切れそうなフィックスロープを頼りに下るしかないため、登りとは違ったかたちで心拍数が上がる。フィックスロープ1本を下り切るごとにひざまずいて呼吸を整えなければ呼吸がうまくできなかった。時間をかけて何度も懸垂下降を繰り返しやっと岩場セクションを終える。
「この先もC3までまだまだ長いんだよなー」そんな事を思いながら、下方に目を向けると登っているときにはガスに覆われて見えなかった広い雪原が見えてきた。雪原にはフィックスロープが少なく、あったとしても風雪に埋もれてしまっているためほとんどないに等しい。なのでガスが湧いてしまうとホワイトアウトになりルートが見えなくなってしまう。しかもこの雪原はクレバス帯となっているので、下手に歩くと危険だ。ガスが晴れるときを見計らって、慎重に高度を下げて行った。だんだんとルートが不明瞭になっていく広い雪原。
ある場所のガス待ちでしばし休憩をしていると、少し下の平な雪原に差し掛かった場所で黒い塊が見えた。はじめはデポされた荷物かと思っていたのだが、少しして大きな声で叫んでいるのが聞こえてきた。よく見ると人が2人立っている。だんだんと近づくにつれ誰かが横たわっているのがはっきり見えてきた。
その場所に着き、そばにいたガイドに話を聞くと状況が読めてきた。山頂に到達する前に下山をしてきたが、この場所で疲れたと言って休憩している際にそのまま息をしなくなってしまったようだ。ずれたニット帽からのぞく顔をよく見るとダイニングでいっしょだった男性。あまりに突然過ぎる状況に、頭の整理ができなかった。彼の仲間が後ろから近づいてきたので状況を説明して引き渡し、私たちは先に進むことにした。立ち去る前、ベースキャンプで温かく接してくれた彼に向かって「何もしてあげられなくてごめんなさい。お疲れ様でした」と合掌し再び歩き始める。その場を離れた後も、しばらくは頭の中が真っ白だった。
自分に集中しなくては! と我にかえったのは、高所靴の中で違和感と痛みを感じ始めたときだった。恐らく靴下がゆるみ始めてしまい、ゆるんだ部分が足先の方にたまり、それが原因で靴ずれが起きてしまったようだ。足の裏、足の指など何箇所かに痛みはあったが誤魔化しながら歩き続けた。しかし次第に誤魔化しも効かなくなってきた。一歩足を雪面に置くたびに足裏にヒリヒリとした痛みがあり、体重をかけるたびに足の指などに激痛が走る。「あと何時間この痛みに耐えなくてはならないのだろう」痛みで気が遠くなりそうになってくる。たまに痛みを堪えるため足を止めるのだが、休憩をしても嫌なことを先延ばしにするだけなので意味がないなぁと思いながら、また歩きはじめる。この繰り返しが続く。
ガイドさんは、痛そうに歩いている私に気がつき「ゆっくりでいいよ!」と言ってくれるのだが、どう歩いても痛みを耐える事ができず「ウォー」とか「チクショー」などとわけのわからない奇声を上げて気を紛らわすのが精一杯。そんなことをしても、ペースは遅くなっていくばかり。「ごめんね」と謝ったり、太ももを握り拳で叩いたりさまざまな方法で痛みを紛わせながら、C3まで歩き通した。きっとガイドさんは何を言われているのか意味もわからず、戸惑ったに違いない。テントに到着した頃には疲れよりも痛みが上回っていた。急いで靴を脱ぎ、靴下を脱いだ。赤みや擦れは見受けられるものの、何とか皮は剥がれずに済んでいた。「よかった明日も歩ける……」とひと安心。ふやけていた足先をしっかりと乾燥させた後、薄い靴下に履きかえシュラフの上に横になった。22時頃出発して、9:45にsummit、C3に到着したのはおそらく16時頃。18時間行動という長い1日はやっと終わった。
翌日はC3からの下山のみなので、明るくなってからゆっくりと準備を開始。テントの中でバキバキになった体に鞭を打って身支度をする。
7,000mを超えた場所での身支度はこうなる。
C2〜クランポンポイントを経てベースキャンプへと無事に帰還。プジャ台を回り、スタッフとハグをして気持ちをやっと緩めることができた。「もう、歩かなくていいんだ」と現実に戻った。
ベースキャンプのプジャ台に挨拶をしながら回る。
歩き終えて……
山はその人の動向をいつも見ているのではないかと私は思う。その動向をみて、真剣に向き合ってきた人のみを受け入れてくれているような気がしてならない。しかし、受け入れてくれたとしても決して優しい顔を見せてくれるとも限らない。受け入れてくれた山とどう付き合っていくかは、個々の判断なのではないか……その判断を間違わないように事前にどんな準備ができているかで登山の内容が決まるのだと思う。行きたいという気持ちだけでは受け入れてもらえない。力があるだけでも受け入れてもらえない。すべてが整ったときにやっと扉が開き歩むことが許される。誰に対しても変わらない、あるがままの道を開いてくれる。歩みながらもなお、その道にどう向き合っていくかを常に考え、このまま進んでいいのか? と問いかけながら一歩を進んでいく。すべては自分の判断。山は決して助けてはくれない。優しくもしてくれない。ただそこにあるだけ。私たち登山者はそこを歩かせてもらっているだけに過ぎない。挑むとか、制覇とか、踏破とか、勝利とか、私の頭の中には思い浮かばない。
「今日も歩かせてくれて、ありがとうございます」というひと言のみ。ともに山頂に立ってくれたガイドさんと。
今シーズンもたくさんの人がヒマラヤの山を歩き、頂きに立てた人、残念ながら途中で下山を決断した人、意と反して命を落としてしまった人を見てきた。昨日まで隣でいっしょに笑ってご飯を食べていた彼は冷たく重くなっていた。そんな彼に何もしてあげられず、私自身が下山するのがいっぱいいっぱいという標高の8,000mという場所。写真や映像で見る現実とは違い、人が訪れてはいけない場所なのだと改めて感じた今シーズンであった。
自身の想定することが通用しない場所であり、自分の意思や願いだけでは登ることができない場所。誰から見ても「大丈夫」自分でも「行ける!」と確信できていても、叶わない事柄が突然訪れる。自分自身を理解した上でどんな辛い判断もできる精神力がなければ、闇に飲み込まれてしまう。覚悟ができてない人は8,000mへ踏み込むべきではない。そんな当たり前だと思われる内容を私自身も含めて改めて考えさせられる遠征だった。
近年では、世界中の名だたる山々は歩かれていて、映像や写真、文章が残され、いい部分や珍しい部分のみが切り取られていることが多い。見る方もそれを望んでいるので仕方のないことなのだと思うが、自分は見えない部分も想像できる登山者になりたいと常に思っている。
近年では、8,000m峰を登るということ自体、珍しくはなくなってきており、他者との差別化を計るために無酸素、速さ、回数、危険度などを追い求めるクライマーが増えてきた。それに伴い遭難事故も増えている気もする。
今回の遠征は、登頂できたという結果だけを見ると成功と思われるかもしれないが、自分にとっては「甘かったな」という反省が残る結果となった。下山後もいろいろな人と話をしたが、やはり「8,000m峰はそんなに甘くない!」と改めて考え直すきっかけとなった。そして、改めて生きて下山することができ、元気に日常生活を送れている今に感謝している。
応援してくださったみなさま、「おかえり」と温かく受け入れてくれたみなさま、本当にありがとうございます。
元気に今、日本の山を歩けていることにも改めて感謝しつつ、また来シーズンもヒマラヤに受け入れてもらえる準備をして行こうと思います。下山途中の休憩時の様子。